第一話 交渉
「――はぁ、謎だ。世界はこんなにも魔物で満ちているというのに、何故俺は定期試験の勉強をしてるのか」
季節は未だ夏。
風に揺られて響く風鈴の音色。それに呼応する様にミンミンと小うるさく鳴く蝉。夏の風物詩達が音色を奏でる中、宗士郎は来たる定期試験の準備をしていた。
それは何故か…………。
非常にシンプルかつ明快に試験期間一週間前を切っていたからだ。
牧原 静流の計画を阻止した後、瀕死の重傷で病院に担ぎ込まれた宗士郎は入院二週間と二日程で無事退院。腹に風穴が空いていたにもかかわらず、宗士郎の傷は完全に癒えていた。
あんな騒動があったというに、ほぼ壊滅状態だった街は完全に復興完了。翠玲学園『学内戦』は魔物を率いたカタラ、並びにカイザルと静流との激闘があった為、秋学期に延期。
夏季休暇まで残り二週間と、クラスメイトが歓喜の踊りを踊る中、
『定期試験はもちろん行いますよ。赤点の人は補習もあるので悪しからず』
と、盛り上がっていたテンションを冷やすが如く水を差し、臨時担任となった凛が現実を無慈悲に突き付けてきた。
仕方なく、宗士郎達は勉学に励む事になった訳だが、その間も当然魔物は出没した。魔物の処理の仕事も当然の如く、宗士郎に回ってこなかった。
激闘を制した宗士郎は、医者にしばらくは戦闘は控えるようにと言われたものの、どうにも落ち着かず実家の道場で真剣を使った素振りをしていた所を柚子葉に見咎められ、今に至る訳だ。
「お兄ちゃんったらもう、仕方ないんだから。お茶淹れ直してあげるから頑張って」
「柚子葉。お兄ちゃんにはな、カイザルを倒すっていう大事な使命があるんだ。だから……定期試験なんぞやってられるかあああ!」
「全くだぜ相棒! こんなもぉんっ、将来の何の役に立つってんだコノヤロォォォォ!」
勉強の場は鳴神家の和室。
昼食後、少し大きめのテーブルでシャーペン片手に試験対策に励んでいた宗士郎と響が突然天井に向かってノートや辞書を投げ捨てた。勉強を放棄した宗士郎の集中が切れたと勘違いした柚子葉がキッチンへと向かっていった。
「落ち着きなさい、二人とも。言いたい事はわかるけど、少しは真面目に勉強してるみなもを見習いなさい」
「真面目? 桜庭が?」
そんな中、宗士郎の第二の幼馴染である楓が放り捨てられた勉強道具一式の落下速度を時間逆進の応用で時間を操り、静かに畳へと落下させた後、黙々と勉強に勤しむみなもに視線を向ける。
「あ、やっぱりこうなるんだ。ええと、2-√5と…………」
「算数ドリルは答え見ちゃいけないって……! 小さい頃にお母さんに習わなかったのかぁあああ!?」
「えええ!? え、何!? まずこれ数学だし、なんで私怒られてるの!?」
数学の問題の答えを考えて解く前に見たみなもに、響が何故か発狂した。勉強の鬱憤が溜まっていた所為もあるだろうが、一番の原因はやはり『異界』へと行けない事だろう。
「はぁ……皆、勉強に手がつかないようね、私もだけど。士郎、本当に許可が下りなかったの?」
「少し違う。正しくは、許可を出す条件を取り付けた感じ。あの脳味噌が筋肉で出来た連中には現状が理解できないのか、全く――」
勉強に身が入らないのは皆同じだった。
宗士郎は彼等を上手く説得できなかった歯痒さを胸に、数日前の出来事を思い出していた。
東京都『アマテラス』関東支部にて………………。
「――何故ですか!!! 何故、許可を出してくれないんです!?」
「………………」
重苦しい空気がその場を満たす中、既に七十歳は超える現在の日本のトップ――『内閣総理大臣』大成 元泰の先程から変わらぬ態度に業を煮やした宗士郎が会議室のテーブルを叩き怒鳴った。
宗士郎から溢れる怒り心頭のオーラに、総理の他に在籍していた日本組織の各代表者達は冷房が効いているというのに脂汗を垂れ流した。宗士郎の雰囲気に呑まれなかった総理の精神力は流石の一言に尽きる。
「ま、まあ落ち着け。怒鳴っても仕方あるまい」
「そうだよ、宗士郎君。君を連れてきたのはあくまで説得の為だ。テーブルを叩きにきた訳じゃないだろう?」
既に何度か顔合わせした事のある顔見知りの自衛隊のトップと宗士郎の付き添い……ではなく、宗士郎を連れてきた翠玲学園学園長の二条院 宗吉の二人が会議室の空気を一変させた宗士郎を宥めた。
「(流石は、今の日本を背負って立つ男だ…………。つけ入る隙がない……子供の言い分は聞くに値しないって事か)」
会議が始まって既に一時間弱。
あらゆる資料・言い回しを用いた説得も意味をなさなかった。総理以外の者に多少の揺らぎは見られるものの、総理が断固として首を縦に振らないので、賛同したくともできない状況だ。
何故、一国民の宗士郎が国家元首である総理の大成 元泰と――それもテレビなどで飽きる程出てくる多忙な人物と顔を合わせているのか。それは異世界に君臨する魔神カイザルの目論見を止めなければならず、異界へと続く『異界の門』の通行許可を貰いに来た為だ。
「何度訊かれても同じ事だ、許可は出せん。今の『アマテラス』関東支部に……日本に、君のような魔物に対する戦力を失う余裕などない」
宗士郎の怒りのこもった言葉を総理は貫禄のある姿ですげなく一掃した。
――『アマテラス』。
日本に存在する、魔物に対する抑止力を結集させた組織の通称だ。
日本神話中の最高神である天照大神から取った名前で、詳しくは『異界脅威物処理結社』という名称なのだが、長い上にダサいとの事で今の通称で呼ばれるようになった。支部長は総理自ら兼任。関東の他にも、北海道、東北、中部、近畿、中国、九州支部と存在しており、戦力は支部毎に存在している異能力者を本人達の了承なく頭数に入れている。
もちろん身内の危険があれば、『アマテラス』からの魔物討伐要請を宗士郎は受ける。実際、過去に危険度Sの魔物『禍殃の竜』の討伐要請を受けた事がある。
だが、関東どころか日本全土の危機も眼前に迫りつつある今、戦力が無くなるなどと言っている場合ではない。
「ですがっ、総理も見たでしょう!? 奴が本気を出せば、日本は……! この世界はいつ消えてもおかしくない!!! 『異界の門』への通行許可をどうか…………!」
「ふん……大体、君が話した話が真実かすらわからないというのに、素直に頷けとはおかしな話だ」
「全くですな!!! 小僧! ちょっと腕が立つからといって、調子にのるんじゃないぞ! お前が自由に動けるのは私達のおかげという事も忘れるな!」
総理に続き、警察庁長官の男、国家公安委員会の代表者が宗士郎の――否、複数の異能力者が異世界へと向かうのを良しとしない。運よく、カタラとの戦闘からカイザルと宗士郎が対峙した時までの映像が残っていたおかげで、これ以上ない説得の材料として使う事ができたが、頑なに許可を出してはもらえない。
許可を出さない総理にも、腰巾着のようなご機嫌取りにも宗士郎は相当頭にきている。確かに、カイザルが危険だという事は映像からは判断できない。ましてや、直接カイザルと対峙してすらいない彼等に察しろというのも無理な話だ。
「(それでも……それでも俺はっ…………! 守りたい人達が、守りたい日常がある…………! その為にも、この頭の固い連中を説得する。いや、しなければならない!)」
宗士郎の脳裏に大切な家族や仲間の顔がちらつく。個人の心情としては大切な存在だけを守れるのなら、他人はどうでもいい。自分の力では身近な存在しか守る事ができないのを知っているから。
だが、身近な人を守る以前に日本全土をも呑み込まんとするカイザルの野望を止める為には、他人――まだ見ぬ仲間を見つける必要がある。宗士郎自らの力だけではカイザルには遠く及ばないからこそ、己の信念を多少曲げてでも、押し通す必要があった。
「お願いします! 今動かなければ、人ひとりの命だけじゃない…………もっと大勢の人が死ぬ事になる! その結果は総理からしても好ましくない筈だ!」
少しだけ切り口を変えて攻める。内閣総理大臣は言わば、『心臓』だ。経済という全身の『血管』に国民という名の『血』を流し続けねばならない。血が全身に巡らなければ、いつかは死にゆく運命。国民が居てこその国家というものだ。
「ふむ、もし仮に今の話が本当だったとして、何故わざわざ別次元の世界に行く必要がある? 腰を据えて、そのカイザルとやらを待ち構えておけばいいだろう」
「貴方がそう言えるのはカイザルの恐ろしさをこれっぽっちも知らないからだ! そもそも、俺達異能力者の全体的な力は脆く弱い。だからこそ、『異界』に行って仲間を集める必要がある!」
「ふん、私が統べる国はそんな未知の敵に負ける程、弱くはない。それに、言葉を返すようだが、戦力が高くない事を知っていて、なお許可を出せと言うか。君を含む異能力者が一斉に異世界へ行った際、魔物に襲われたら関東支部は一巻の終わりではないか」
「ぐっ…………!」
説得の為の演説を考えてきていた宗士郎だったが、思ったよりもヒートアップしている。そのおかげか、総理に揚げ足を取られる事を許してしまった。
話の趨勢が総理に傾いたのを良い事に、国家公安委員会の代表がこれ幸いとばかりに話を切り上げにかかる。
「全く話になりませんなぁ総理! こいつを追い出しましょう、今すぐにっ! 時間の無駄ですよ!」
「――この分からず屋がぁ!!!」
「ひゅわ!?」
「宗士郎君!?」
堪忍袋の緒が遂に切れた。今までは目上の人だからと敬意を払っていたが、宗士郎は既に我慢の限界だったようだ。
「いい加減にしろ! 経済や国を回してるのはあんた達だが、今の日本を魔物の脅威から守ってるのは俺達子供なんだぞ! 大人の代わりに最前線で戦っている子供が直接観て、〝危険が迫ってる〟事を進言してるんだぞ! 何で、こんな簡単な事がわからない!」
「…………っ」
生半可な怒りではない。もはや殺気の域だ。
宗士郎のはるか年長の代表者達が子供の発する圧にたじろいでしまう。流石の総理も宗士郎の魂の叫びに冷や汗をかかずにはいられなかった。
「…………そこまで言うのなら、この日本に脅威が迫っている証拠を見せてみよ! それがわかれば、許可を出しても構わない」
「……っ、はははっ」
「何がそんなにおかしい」
「言ったな? 証拠さえあればいいんですね?」
「……確かにそうだが?」
宗士郎は悪役っぽく口角を上げた後、真横に座っていた宗吉に視線を向けて頷く。宗吉がスーツの前ポケットに忍ばせていたボールペンらしき物を取り出し、ボタンを押した。
『…………そこまで言うのなら、この日本に脅威が迫っている証拠を見せてみよ! それがわかれば、許可を出しても構わない』
「な――っ!?」
「これはペン型ICレコーダー。今までの会話、録音させていただきました。その言葉、違えないでくださいよ?」
「ぬぅぅ…………っ!」
先程のあからさまな激怒は云わば、挑発だったのだ。説得に失敗したように見せかけ罠を張り、口を滑らせてくれるのを待っていたという訳だ。
「貴様謀ったな! それを寄越せ――ぐっ!?」
国家公安委員会の男が席を立ち、ICレコーダーに手を伸ばしたが、その手は届かず。宗士郎に足払いをされ、床へと這いつくばる。
「……上に立つ者は自らの言葉に責任を持たなければならない。その意味の重さ、大成総理には理解できますよね」
「それを渡せ、鳴神 宗士郎!? 先程の言葉、総理への侮辱と捉えるぞ!!!」
「――もういい、やめろ。これ以上、無様な姿を晒すな愚か者が」
総理が未だご機嫌取りを行う国家公安委員会の男を制した。機嫌を窺うべき対象に止められたとあれば、黙らない訳にはいかない。男は舌打ちをして席へと戻った。
そうして総理は自衛隊のトップと宗吉へと鋭い眼光を向ける。
「一本取られたな。これはお前達の入れ知恵か?」
「いえ、とんでもない。総理に物申すなどという過ぎた真似は私には到底…………」
「右に同じです。宗士郎君、いえ鳴神君が考えた事ですよ大成総理」
「そうか…………鳴神 宗士郎」
「はい、何でしょうか」
総理が宗士郎の相好を窺う。
「いや、なんでもない。今の日本にも骨のある奴がいたのだなと思ってな」
「そんな大した奴じゃありませんよ、俺は。そこの御二方のほうが余程立派だと思います」
「ぐっ…………」
「……チッ」
宗士郎の嫌味なセリフに警察庁長官と国家公安委員会の男がばつが悪そうに顔をしかめた。
「一度口にした言葉だ。撤回するつもりはない。証拠さえ見せてくれれば、すぐにでも許可を出そう」
「では…………!」
「ただし、二週間以内だ。それ以上は待てん。その期限が過ぎれば、今後許可を下ろす事は一切ないと思え」
「っ! ありがとうございます! それと、今まで無礼な態度をとった事をお許しください……!」
「構わん、今回は不問にしておこう。今日はここまでだ。私は忙しいのでな」
総理が場を締め、会議室から姿を消す。他の代表者達も総理の後を追うように、続々と退席していった。
総理の背が消えるまでお辞儀していた宗士郎に自衛隊のトップが話しかける。
「やったな、鳴神君」
「ええ、ですが……微妙な落としどころになってしまいました」
「そうだね。むしろ、一番辛いのはここからだ。宗士郎君、アテはあるのかい?」
「宗吉さん…………。可能性はかなり薄いですが一応は。それが駄目なら無理矢理にでも世界を超えます」
「ははっ、そうならないように私も協力するよ」
不安の表情を浮かべ、宗士郎は宗吉達と『アマテラス』関東支部を後にした。
………………
…………
……
「――まあ結局は自分達の利益と保身しか考えない奴等って事がわかったよ。許可が下りなかったのは残念だけど、妥協策を提示させたつもりだ」
「証拠さえ揃えば、ねえ…………二週間なんてあっという間よねえ。こんな事をしてる場合じゃないわ」
「そのとぉおおおっり!!! そもそも勉強なんてもん、元々糞くらえじゃァァァァ!!!」
「もう、楓さんも響くんも納得しないでよ……! お兄ちゃん、今できる事ないんでしょ?」
「ない……と言いたい所なんだが、なんでかな…………証拠の方からこっちに迷い込んできそうな気がしてならないんだ」
アテはある。
神族のアリスティア、もしくはラヴィアスに頼んで直接危険性を語ってもらう方法だ。彼女達との交信手段は人間からはできず、あちらからの一方通行な為、手を貸してくれるかさえわからない。
神族の立場としても、人が住まう世界への干渉はなるべく避けなければならない掟がある。半ば博打に近い証拠提出手段だ。
が、しかし。
宗士郎には何故か確信に近い予感があった。
神族の力を直接譲渡された影響か、近い内この日本に何かが訪れるような……そんな予感が。
「だが残念なみなもに、少しでも証拠集めをしようにもマイシスターが許してくれない。畜生! 危険が迫ってるというのに何故だ!?」
「いやいや!? 普通だからね! ほんの少し前までお腹ががっぽりと空いてたんだよ!? 自粛してて当然だよ! それに何その言い回し!? 〝残念な事に……〟でいいじゃん!?」
「はぁ……これだから居候マリモは」
「居候マリモって誰!? 藻じゃないからね! 一文字しか合ってないからね!?」
「――うにゅわぁあああ~~~~! もうっ、少し静かにしてください!? 鳴神様! みなも様!」
「「あ、はい」」
非常につまらないじゃれあいをしていた宗士郎とみなもの二人に、部屋の隅で瞑想をするかのように目を閉じていたもう一人の居候兼家族の和心が狐人族独特の耳をピンっと立て憤慨した。
そのまま再び瞑目。何かを探るように意識を集中させている。
和心の行動に疑問を持った宗士郎が皆を代表して訳を尋ねた。
「どうかしたのか、和心?」
「むむむ、何故だかわかりませんがお母さんの気配が何処かでしたような気がしたのでございます」
「和心の? 確か、神天狐だって言ってたけど」
「はい。それとお母さんの気配に混じり、探っている内に何か良からぬ気配がこの世界に迷い込んだ形跡を半刻程前に発見しました」
「半刻!? 半刻といえば…………!?」
「一時間前だ! 和心、それはカイザルの――――ッ!?」
良からぬ気配の元は誰か、と聞こうとした瞬間、不意に宗士郎の携帯端末に着信が入った。
それはまるで不吉な相を知らしめるかのように。
あまりにも状況に即したタイミングに、宗士郎は生唾を飲み込んでから電話に出た。
「っ、もしもし……」
『――鳴神君か!? 頼むっ、現場に来て君の意見を聞かせてくれ!?』
電話の越しに聞えてきたのは、いつか魔物闘技場の件でお世話になった――警察の北郷 秀虎の緊迫した声だった。
再び始まる日常。そして、閉ざされた『異界』への道。証拠を欲する宗士郎に電話かけてきたのは警察の秀虎だった。
果たして、その要件とは……
読者開拓&夕方以降は都合が悪い為、今日は昼に投稿しました。
なろう民の中に、異能好きって以外と少ないのかな? かなり気になります……
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