第四十二話 月華の下で
「ごめん、今日の分がまだだったな。母さん…………」
月明かりが仄かに辺りを照らす。
深夜に目が覚めた宗士郎は『雨音』を持って、十年前に死んだ母親である薫子の墓前に来ていた。
灰が積もった前香炉に新しい線香を刺し、お猪口にお酒を入れて置く。お供え用の牡丹の花は先日変えたばかりなので、変える必要はない。軽く墓の掃除をし、綺麗になった後に墓前に『雨音』を静かに置いた。
「今日も母さんの形見、研磨しておいたよ」
ここに来る前、俺は『雨音』の手入れを行っていた。ご先祖様が土地神様から授かった宝刀であり、今では俺の相棒だが、『雨音』は鳴神家当主だった母さんの形見だ。
この宝刀は持ち主を選ぶらしく、代々当主に受け継がれてきた物だった。
だが、母さんが死んだ後は現当主の父さんではなく、俺が所有者に選ばれた。理由は今でもよくわかっていない。
(まあ、そんな事はどうでもいいさ)
眼を閉じて、手を合わせる。数秒手を合わせてから、閉じていた眼を開けた。
「昨日は流石に言い過ぎたな…………」
昨日の依頼の帰り際に言った事を思い出す。桜庭の為を思って言った事だったが、あの顔を思い出すと、今でも辛そうな顔をしていた事がわかる。まるで理解できないとでも言いたげな顔だった。
俺と桜庭じゃ、助けたい人が少しだけ違う。
俺は大切な家族、友達。
桜庭は家族、友達、そして他人だ。
俺は身の回りの人で精一杯だけど、桜庭は自分と関係ない、自分にとって価値のない人を助けようとしていた。
――――甘い
一言で言えば簡単だが、桜庭のあれは重度のお人好しだ。
俺とは根本から決定的に違う。
俺は十年前のあの日から、家族や友達の為に敵であれば、容赦しない。例え倫理に反していようと、この考えは変えられない。斬って守る。
正直に言うと、俺は家族や友達以外はどうでもいい。目の前で死のうが、何の感慨も浮かばない。だから俺は昨日の賭博場で会った毒島 羚児のような輩相手には容赦しないし、助けを請われようが斬るつもりだった。
不本意だが、北菱に止められなければ、確実に毒島を殺していただろう。本当の意味で修羅になれない俺は甘いと言えば桜庭と同様に甘いが、そのおかげか、未だに人の心を持っていられる。
俺がやっている事は常人には理解できないはずだ。誰かを守る為に誰が相手だろうと敵ならば斬る。柚子葉や楓さん、響は理解してくれるが、桜庭には理解してもらえないだろう。
思案していると、時間がかなり過ぎている事に気付く。暗い話ではなく、楽しそうな話を母さんにするつもりだったのに、思ったより思い詰めていたようだ。
「ごめん、今日はこのくらいで寝るよ。おやすみ、母さん…………」
俺は母さんの墓に声を投げかけ、戻ろうする。が、家に戻る途中にある道の草陰から視線を感じた。
「――誰だ!?」
「ひぅ!? ごめんなさい!」
視線を向けていた主に殺気を当てると、草陰から目の前へと躍り出てきた。
「ごめん! 除くつもりじゃなかったの! 急に目が覚めて水を飲みに行ったら、鳴神君が外に行くのを見かけて…………っ!」
「なんだ、桜庭か…………驚かせるなよ」
俺はそっと息を吐き、殺気を解いた。驚いたというのは嘘で、家族と楓さん、響以外に墓参りしていたのを見られたのが存外嫌だったのだ。
「あれって、誰かのお墓なの?」
「………………あれは、母さんの墓だ」
少し逡巡してから桜庭に教えた。教えてくれなければ、気になって眠れないとでも言いたげな顔をしていたから、気付いたら教えていた。すると桜庭は気まずそうな顔をしながら、聞いてくる。
「私も線香あげてもいいかな……? この家に住まわせてもらってるのに、挨拶すらできてないから」
「わかった、母さんも喜ぶよ」
そう言って俺は寝床に戻るのをやめて、桜庭を母さんの墓前へと連れていく。
「母さん、こっちは桜庭だ。ちょっと前からうちに居候中だ」
「ここっ! こっ! こ、こんばんは!? 桜庭 みなも! 十七歳! 現在は恋人はいませ~ん!?」
「何でテンパってるんだ? 反応が入社したての新入社員みたいだったぞ」
「だ、だってぇ~鳴神君のお母さんでしょ!? ちゃんと挨拶しておかないと、失礼だと思って!?」
「母さんはそんなことは気にしないって」
桜庭が面白いくらいに緊張している。本人が目の前に居るならまだしも、墓の前で緊張するなんてなあ………………いや、いないからこそ天国で見られていると思うのか。
俺は再び手を合わせて眼を閉じると、桜庭も静かになったのがわかった。恐らく、俺と同じように手を合わせてくれているのだろう。そのまま静かに十秒程、眼を閉じて眼を開けた。
「桜庭、ありがとな」
「これくらい当然だよ。ところで話は変わるんだけど、そこにある『あまおと』? っていう刀をいつも持ち歩いてるよね? 刀剣召喚で武器を創れるのに、なんでなの?」
「その理由か…………。この刀は、母さんの形見なんだ。だから肌身離さずに持ってるんだよ」
俺が『雨音』を鞘からゆっくりと抜くと、青白い刀身を覗かせた。
刀剣をクオリアの続く限り、いくらでも創生できるのに、『雨音』を持ち歩いていた理由はそれだった。お守り代わりに持ち続け、いつも母さんが傍にいるって事を自覚しておきたかったんだ。
「…………鳴神君のお母さんの死因って――あっ、ごめん! こんな事聞くことじゃなかったね!」
「いや、いいんだ」
俺は母さんの墓を見て、話し始める。
「十年前の『日ノ本大地震』。あの日、突然現れた魔物相手に油断した俺を庇って母さんは死んだ」
「…………」
「あの時の判断は今でも間違ってなかったと思ってる。その時、魔物は未知の部分が多かったからな。全員で挑めば、なんとかなると思ってたんだよ、俺は」
大人しく父さんと母さんに任せて、守られていればあんな事は起きずに済んだのかもしれない。経験の浅い俺じゃ、足手まといにしかならなかったというのに。
「だけど、それは自惚れだった。俺には守る力がある、だから力を合わせれば倒せる……ってな。俺の油断が母さんを死に追いやった。俺が殺したようなものだっ」
家族を守りたくて取った行動は裏目に出て、油断で生まれた火の粉は守ろうとした母さんに降りかかった。身動きができなかった俺を火の粉から払うように。
「俺があの時、戦える術があったらっ……なんで最後まで警戒しなかったのかって、怒りと後悔で自分が嫌になりそうだった。それこそ、おっ死んでやろうかと思ったくらいにな。それで、魔物の攻撃で俺も母さんの所に逝こうと思った時だ――その時、」
「神様と出会った?」
「ああ。母さんが死んだ事が信じられなかった俺は神様に聞いた。そして、残酷な現実を……母さんが俺の所為で死んだ事を心の底でようやく理解した」
まさか死のうとして神様に出会うとか、それどんな異世界転生モノだよと後から苦笑したものだ。だが、そのおかげで俺がすべき事が見つかった。
「その時、魔物が日本中に跋扈する事を知った。魔物から大切なものを守る為に、俺は神様から異能を授かった。近い内に厄災が訪れるからと」
「厄災って魔物の事? 厄災にしてはちょっと規模が低過ぎる気がするんだけど……」
「詳しくはわからない。だが、俺には渡りに船だった。母さんを……大切なものを二度と失わない為の力が手に入るって事はな。……今よりもずっと強くなって、どんな理不尽が来ても、その尽くを斬って守り抜く! そう、母さんに誓った。その為なら、俺は俺自身を犠牲にしてでも戦い続ける。大切なものをもう二度と失わない為に……」
「鳴神君…………」
桜庭の沈んだ声音に我に返った俺はいつの間にか強く拳を握りしめていた。今度こそ失わないと誓った決意を込めるかのように。
俺は自分でもわかるくらいの痛々しい笑顔を顔へと貼り付けて、平静を振る舞った。
「…………っ、つまらない話をしたな。悪い、忘れてくれ」
「ううん、つまらなくなんてないよ。だから、昨日の時も、エルードを倒す時も私にきつく当たったんだね。…………私が辛い思いをしなくても済むように」
やはり気付かれていたか。桜庭は残念な奴だけど、頭は良いからな。桜庭は〝他人〟ではなく、既に〝友達〟だ。その友達が辛い目に合うかもしれない事を見逃す事なんてできなかった。
「でも俺の考えは変わらない。毒島や北菱みたいな大切なものを傷つけようとする奴には一切躊躇しない」
「そこはやっぱり変わらないんだね」
「ああ、この信念を曲げると、俺を構成する全てを否定する事になると思うからな。あくまでも敵には冷酷に徹する」
「そっか…………ねぇ、鳴神君?」
俺が『雨音』の刀身を鞘に納めて、母さんの墓前へと置くと、桜庭が手を後ろで組み、真剣な表情でこちらを見てくる。
「鳴神君はもっと自分を大切にしてあげて……?」
「なんだ、いきなり?」
「だって悲しいよ。誰かを守る為とはいえ、自分を犠牲にするなんて…………。昨日、楓さん達は鳴神君がそういう人だってわかってるから、あんまり強く言えなかったけど、鳴神君が楓さん達を本当に大切に思ってるように、みんなも本当は鳴神君の事を誰よりも大切に思ってるんだよ? 自分も大切にして、誰かを守る為に剣を振るってよ…………!?」
「…………っ!」
桜庭の鬼気迫る程の剣幕が生み出す言葉の数々が次々と俺の胸に突き刺さった。思い当たる節は記憶の片隅にいつもあった。誰かを守る為に自分さえも犠牲にして守ってるつもりが、逆に大切な人達を傷つけていたって事か。…………昨日も、人為的な反天の事件の時も、俺が大切だから、楓さんは泣いていたのか。
そういえば、十年前の幼い頃の柚子葉も俺が目を覚ました時、鼻水を垂れ流して泣いてたっけ。
「じゃないと、鳴神君を庇って亡くなったお母さんも天国で浮かばれないよ……」
「……そうだな、俺が自分を犠牲にして死んでしまったら、それこそ本末転倒……母さんの意思を無下にしてしまう。ありがとう、桜庭。取り返しのつかなくなる前に自覚できて良かった」
「鳴神君っ!」
「桜庭にもだけど、母さんにもみっともない所を見られたな。天国で笑われてそうだ……!」
思わず、笑いがこみ上げてくる。今まで、母さんの前でみっともない姿を見せていた事がわかると、不思議と笑いが止まらなかった。
「鳴神君! 自分を大切にする為に、まずは私を守ってよ!」
「何故そうなるんだ? 残念娘よ」
「残念娘言うなぁ!? 自分を大切にできない人が、大切なものを守るなんてできないからだよ!」
「た、確かに…………」
桜庭の快活で無茶苦茶な発言。だが、筋は通っている。自分を気に掛けない奴が他人を気に掛けるなどという道理は通用しないだろう。思わず、頷いてしまう。
「だから、私を守ってよ…………?」
「っ!」
月明かりに照らされ、藤色に輝く桜庭の髪が風に揺られる。これまで薄暗くて見えなかった桜庭の朱色に染まった顔が月光で露わとなり、不意に心臓を鷲掴みにされたように胸が高鳴った。
鼓動が速くなり、時間がゆっくりに感じられる。陽気で残念な桜庭からは予想できない艶やかな表情が月明かりと相まって、衝撃的な破壊力を醸し出していた。
く、くそ…………っ! 残念娘にこんなにもドキドキさせられるなんて!? 楓さんにドキッとさせられる事はあっても、桜庭にはないって思ってたのに…………鳴神 宗士郎、一生の不覚!
とにかく、何か返さないと……!
「当たり前だ、桜庭は俺が守ってやる」
「…………!?」
よ、よし…………! なんとか平然とした態度で、返事できたぞ。…………って、あれ? 何で桜庭も顔が真っ赤なんだ? さっきの表情とは違うような……
「さ、桜庭?」
「ひゃ、ひゃい!?」
「どうしたんだ、顔が真っ赤だぞ? もしかして夜風に当たって、風邪でも引いたか?」
今の今まであまり意識してなかったが、桜庭は胸元に花の刺繍が入っている薄桃色のキャミソールを一着きているだけだ。これではお湯で温まったとしても、身体が冷えてもおかしくない。
俺は桜庭の頭を手で引き寄せ、額に自分の額を当て、熱を測った。
「~~~~~~っ!?」
「熱はないみたいだな…………桜庭?」
桜庭の顔が先程よりも赤く、真紅に染まっていた。すると、桜庭がプルプルと身体を震わせて…………
「わ、私! もう寝るね! おやすみ~~~~!?」
俺からバッと離れて、桜庭は吐き捨てるように言ってから家の中に全速力で戻っていった。
「なんだったんだ……? それにしても、さっきの表情はやばかった。……思わず勘違いしそうになるっての。はぁ……寝るか」
そうして母さんに「おやすみ」と言ってから、俺も少し時間をずらして、寝床へと戻った。
「へぇ……やるじゃない、みなも。ライバル登場かしら?」
「みなもちゃん、なんか色っぽい……たたたたっ、楓さん!? 肩に指がめり込んでる! いたいいたいっ!」
宗士郎達が寝床に戻る十分程前。不意に起きたみなもに気付いた楓が布団から起き上がると、柚子葉も目が覚めてしまった。
寝間着のまま、楓が柚子葉を連れてみなもの後を追うと、ちょうどみなもが宗士郎に「もっと自分を大切にしてあげて?」と言っている場面に楓と柚子葉は出くわしていた。
そして物陰で成り行きを見守っていた二人だったが、急に女の子らしくなったみなもの「だから、私を守ってよ…………?」発言に宗士郎がどぎまぎすると、その反応が気に入らなかった楓が柚子葉の肩に指を力強く刺し込んでいた。
「あらごめん、あまりにも士郎がみなもにデレデレするから、イラッと来ちゃって……!」
「ごめんって言うなら、その指離してぇ……!?」
幸いとも言うべきか、柚子葉の悲鳴は宗士郎達に聞こえなかったようだ。その事に柚子葉はホッと息を吐く。
「まさか士郎の考えを変えてしまうなんてね、私が言っても自分を大切にしなかったのに……」
「身近にいた人じゃなくて、最近お兄ちゃんの元に来た人だからこそ、客観的な感想を言えたのかもね」
「それでも、気付くのは私の言葉であって欲しかったわ。でも、これで士郎は自分を大切にしてくれる…………」
「そうだね、良かった……って、楓さん楓さん!?」
宗士郎の考えを変えたのが自分ではなく、みなもだった事に複雑に思いながらも嬉しく思っていた楓に柚子葉が小さな声で呼びかける。
「何……ぁぁっ!? 士郎が頭ごっつんこしてる!? 私もしてもらった事ないのに!?」
柚子葉の呼びかけに視線を宗士郎達の方に戻すと、宗士郎がみなもの額に額を重ねている所だった。
「ごっつんこって…………そもそも楓さんは風邪なんて引いた事ないでしょ」
「そうだとしても、羨ましい事は羨ましいのよ! ああっ……士郎のファーストごっつんこが……!?」
楓の言い方に笑いが込み上げつつも、堪える柚子葉。「ファーストごっつんこ」とは何ぞや! といった様子だ。
「お兄ちゃんの初めては私だよ、楓さん?」
「って、ああ!? そうだった! 柚子葉が熱を出して倒れた時に士郎がごっつんこしてたんだったわ!? なんて羨ましい……!?」
「羨ましいんだね、楓さん……」
羨ましがるかな、普通と思った柚子葉は長い嘆息をつくと、視線を再び宗士郎達に戻す。すると、みなもが宗士郎から離れて家に戻っていった所だった。
「みなもちゃんのヒロイン力がどんどん増してきてるなぁ。意識してないだろうけど、本気でお兄ちゃんの事を好きになりそう……」
「そうなったらそうなったで、一夫多妻のこの世の中では私が正妻になるから問題ないわよ」
「自信満々ですね……別にお兄ちゃんがそれでいいなら、楓さんとみなもちゃんとも結婚してくれていいんだけどね」
「嫉妬しないの?」
「するけど、お兄ちゃんの幸せが一番だから」
曇りなき笑顔で楓の質問に答える柚子葉。幸せなら、その形がどうであれ、それで良いらしい。
宗士郎も家に戻っていくのを見届けると、楓が物陰から出た。
「なんにせよ、士郎が変わってくれたから嬉しいわ。みなもに感謝ね」
「うん、そうだね。私達も戻ろう?」
「ええ――薫子さん……士郎には私達が付いてますから安心してください」
楓が宗士郎の母親である薫子の墓に行って、そう呟いてから、柚子葉と一緒に家に戻っていった。




