第三十八話 逆鱗
「んじゃあ、始めるか糞ガキ! でもまあ……格闘技経験者の俺が一方的に攻め立てるのも面白いが、それじゃあ盛り上がんねえよなあ。大サービスだ! お前から打ち込んで来いよ?」
「はあ?」
毒島が俺から攻めるようにと誘ってくる。
話を聞いて聞いていなかったのだろうか? それとも、鳴神流も知らなそうな素振りをしていたし、何か違う流派と勘違いしてるのか? 様子見に軽く攻めてみるか。
俺は少し腰を落とし、左手を手刀の形にして掌を毒島の顔面を捉えるように突き出す。そして、右手は拳を握り右胸元の上に覆うように位置する。
これが鳴神流近接格闘術の構え――『闘傑』である。鳴神流は剣術だけではない。俺が主に用いている武器が『刀』なので、鳴神流は剣術の流派と勘違いされることも多いが、体術や銃術もある。
利き足である左足を前にして、ジリジリと詰め寄る。
「おおん? 構えは様になってるじゃねえの、ほら来いよ?」
「言われなくともそうする」
毒島がわかりやすく右手をクイクイとし挑発してくる。毒島は構えずに両手をだらんと下げているだけだ。そういう構えがある事も知っているが、少なくとも武道を修めてるわけではないだろう。
舐められているのがわかる。鼻を明かしてやることにするか…………
毒島が瞬きの所作を行った瞬間――
「――穿弾!」
「ぐごぁ!?」
瞬間的に闘氣法で身体能力を爆発的に底上げし、瞬きという刹那の間に毒島の鳩尾に弾丸のようにこぶしを叩き込んだ。
なっ!? ガードしないのか!? 避けにくいように瞬きの瞬間を狙って放ったが、まさか直撃するとは思わなかった。
毒島はテーブルクロスのかかった大きめのテーブルに激突する。並べられていた料理などが毒島にゴミのように降りかかった。
「格闘技経験者なんじゃなかったのか? とんだ期待はずれだぞ」
盛り上がっていたギャラリーが静かになるが、すぐに割れんばかりの歓声を上げた。その中には俺や毒島にエールを送るものもいた。
「坊や~!!! 私の目に狂いはなかったわ~! そのまま勝って私を幸せにしてー!!!」
「オイ!!? お前に有り金、全て突っ込んだんだから、勝たねえと承知しねえぞ毒島ァ!!!」
先程、俺を誘った女性や毒島の事を知っている男性が無茶苦茶な事を言っている。
正直、意味がわからん。こんな所に来るくらいだから、多少は頭がおかしいのだろう。
「……ちょっと油断しただけだ。調子になってんじゃねえぞっ!」
「ほう、なら今度はアンタから来いよ。油断じゃないって所を見せてくれ」
「舐めんじゃねえぞ糞ガキィ!!! オラァァ!」
毒島がワインボトルを持って、真っ向から突撃してきた。ルール無用と毒島が言っていたので、ワインボトルを武器にするのは反則ではない。だが仮にも格闘技経験者なら鈍器を使うなよ、と思ったが、面子を潰され、なりふり構っていられない様子だった。
大きく振りかぶって、俺の頭を粉砕するかのようにワインボトルを叩きつけてくるが、俺はそれを身を翻して難なく回避。勢い余った毒島は体勢を崩すが、俺が毒島から見て背を向けているのをいい事に背後から攻撃を仕掛けてくる。
卑怯な奴の考えそうな事だ。殴られる前に振り向きざまに足払いをして、体勢を崩すに限る。
「おわ!?」
「武道を嗜むものとして、恥ずかしくないのか? ルール無用を認めた俺が言うのもなんなんだがな。まあ、本当の殺し合いとなると、俺も何をしてでも勝つつもりだけどな」
「うるせえ! 勝てばいいんだよ! 勝てば!」
「そうだな――っ!?」
「へへっ、かかったな糞ガキィ! そらよッ!!!」
「ぐ……っ!?」
いつ口に含んだのかワインを俺の眼に目潰しとして吹き付けてきた。視覚を失った俺を好機と見るや否や、毒島が俺の頬をボトルで全力で殴打する。
「ほらほらどうした!? さっきまでの威勢はどうしたんだ~よっ!!!」
「――がっ、ぅぐ!?」
「ヒャハハハハハハハッ!!! いい気味だぜ! 楓ぇ! 見てるかお前の愛しのカレがボコボコにされる姿を!」
楓さんの声は聞こえない。言葉を失っているのか、はたまた俺の事は心配していないのか…………多分、心配してない方だろうな。
毒島に殴られてはいるが、全く痛くない。今まで鍛え上げた身体が頑丈な上に闘氣法でさらに頑強にしているので、ぬいぐるみで叩かれているようだ。
殴られ続ける俺を見て、響とみなもの慌てた声が聞えてくる。
「おい宗士郎! なにやられてんだよ!? 手を抜いてんじゃねえぞ!」
「あわわわわっ!? 鳴神君がサンドバックにされてる! 負けないで鳴神君!」
やっぱりバレてたか、流石幼馴染。調子づかして後でどん底に叩き込むのを楽しみにしてるんだから、余計な事を言うんじゃない。
桜庭は…………心配してるのか? 声音でなんとなく必死というのはわかる。ありがとう、桜庭。
「――私、一応持ってきてたお金の三万円全部、鳴神君につぎ込んだんだから!?」
って、心配する理由が斜め上過ぎる!? なに、ちゃっかり賭けてんだ!? ここに来るときに「お金はいらない」って言っただろうが! しかも三万円も賭けるとか学生のお小遣いじゃあ大金だろうに…………
心配されてる事だし、これ以上無様を晒すのもカッコ悪いな。なら、喘いでる毒島をとっとと片づける事にするか。
「あ゛あ゛あ゛ぁ!!! 気持っぢぃいいなぁ!? ――っああん!?」
「――そうか気持ち良かったか…………こっちは吐き気がするほど耳障りだったけどな」
「なっ!? 効いて――!?」
「ご名答っ」
俺は毒島が殴打していたワインボトルの方の腕を掴み、そのままへし折った。
「ぎゃあぅあああっっっ!? 俺のっ、腕がぁああっ!?」
「少しは良い声になったな」
「なっ、んで……っ!? 普通なら頭が砕けてたはずだろがっ!?」
「ああ、そりゃ見間違いだな。酒の飲み過ぎだろ。現に、血なんて一滴も出てない」
だらんと糸が切れたように肘から先が垂れる毒島の腕。このまま降参してくると楽で助かるんだが、先程の楓さんへの扱いは到底許せるものではなかった。
「ば、化け物がっ!?」
「それはどうも、褒め言葉だ」
尻をついている毒島がヤブイヌのように後ろに素早く後退する。俺はそれを獲物を捕まえる狩人のように追尾し始めた。
「ほう、これは……中々興味深い賭けが行われておるな」
宗士郎と毒島の決闘を離れた所から観察している男がいた。
「止めさせますか?」
「放っておけ……この盛り上がりを壊すのも気が引ける。それに、余興としては十分だ」
「かしこまりました、北菱様」
側にいた者に停止の助言を受けるが、男はそれを一蹴し、決闘を実に楽しそうに眺める。
がしかし、この場にオーナーである北菱 正一がいる事に気付いた者はいない。ギャラリーの全てが決闘に注目している。
「事の成り行きを見届けよう。私が望むのは賭けに酔いしれる享楽……存分に楽しませてもらおう」
そんな北菱の発言を他所に、宗士郎はジリジリと毒島に近寄っていた。
「盛り上がりに欠けると…………そう思わないか?」
「そ、そんな事はねえんじゃねえか……?」
「どうせならもっと盛り上げたいよな?」
「もういいだろ!? な? この辺で手打ちって事にしないか!?」
何を言ってるんだ、こいつ…………。楓さんをモノ扱いしただけでは飽き足らずに、散々調子に乗った挙句、自分の保身にまで走りやがって。やはり、俺はあらゆる手を使って、こいつを様々な意味で再起不能にしなければならないようだ。
「アンタ、頭大丈夫か? 自分でルールを言っておきながらそれに従わないのかよ。負けを認めるまで、何度でもアンタを殴り飛ばす…………。アンタは言ってはならない事を言ったんだよ」
「くそっ! くそっくそっ! 良いだろうが!? これで手打ちで…………っ?」
癇癪を起こし、床を拳で打ち付けながら懇願していた毒島だったが、ある方向を視界に入れた途端、様子が変貌していく。
「っく、クク…………ククク、ハハハハハ!!!」
「? 何がおかしい?」
「糞ガキ、お前の眼に映る大切なものは何だ?」
「そんなの楓さんに…………ってまさか!?」
不敵に高笑いする毒島を訝しげに思い、思考を巡らせるとすぐに何を企んでいるか思い至った。
「ククッ、そのまさかだ!!!」
毒島は背後を振り返って、俺の視線の先にいた楓さんの身体をグイッと抱き寄せ、その首元に胸元から取り出したナイフをあてがった。
「きゃ〜犯される~」
楓さんは間の抜ける棒読み感丸出しの悲鳴を上げ、いともたやすく毒島に捕らえられる。危機感がないように見えるのはいつでも拘束からぬけだせるからなのだろう。だが、傍にいた桜庭と響の顔に緊張が走っていた。
「楓さん!?」
「毒島、テメェ!」
「おっと、動くなよお前達。一歩でも動くと、楓のきめ細やかな白い肌から鮮血が飛び散る事になるぞ~?」
毒島が二人の方を見やり、ナイフの切っ先を楓の首に軽く押し当てると、苦虫を噛み潰したような悔しい顔を浮かべ、動きを止めた。
異能力者である二人が非異能力者である毒島に対して、大きな力を持っているのだとしても、その場から動けなくなる理由の一つは響の異能が周囲を巻き込む可能性がある事。それに加え、普段遭遇しそうにないこの状況が二人の身体を硬直させていた事が原因だった。
そして、この場で唯一動けるはずの俺が動けなかったのは相手が生身の人間である事が大きかった。
何度も裏組織の人間を葬ってきた俺は相手が人為的に反天した亮に対しても、同じ理由で肝心な時に動けなった。大切なものを守る為に冷徹に、無慈悲に敵を排除するとあの日誓ったはずだったのに、覚悟が足らなかったが故にこの状況を招いてしまった。
沸々と怒りが沸き上がる。
先程の楓さんをモノ扱いされた時の比ではない。毒島が楓さんにナイフを向けている事に怒っているのではなく、それ以上に自分の、覚悟の足りなかった自分の不甲斐無さに自分の殺したくなる程に俺は激昂していた。
「楓さん。血でドレスが汚れるかもしれない、ごめん…………」
「……ええ、いいわ。それはなんとかするから」
「何を俺の目の前で喋ってんだぁッ!? マジでやるぞ俺はぁ!!?」
俺が今からする事が楓さんの服を血で汚すことになるのを謝ると、仕方ないといった顔で楓さんが了承してくれた。その際、毒島がさらに強く楓さんの首にナイフを押し当て、ツーっと生温かな血液が首筋を伝う。
それが俺の怒りの原動力に油を注いだ。
「――刀剣召喚…………斬壊」
「ああん? なんだそれ…………っがぁ!? はぅぁあああああああっ!!??」
俺の紡いだ言葉を不審に思ったのか、疑問を漏らした瞬間、数多の剣が幾重にも毒島の身体を貫いた。貫かれた身体の至る所から血が噴き出し、辺りを鮮血で染め上げる。
「ぁぁ!? 痛え、痛え、痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛え痛ぇえええええええええッ!?」
毒島の耳をつんざくような悲鳴に盛り上っていたギャラリーが静まり返る。毒島の身体は空中に貼り付けにされる形で刀剣召喚で創生した剣に貫かれていた。
「楓さん、こっちへ」
「ありがとう、私の王子様」
楓さんを背後に隠すように立ち、俺は毒島に言葉を投げかける。
「毒島 羚児。アンタの負けを認める事は絶対にしない。アンタが泣き喚いても許しを請うても、俺は自分と楓さんの為に許さない」
「ぁがっ…………痛え、許して…………っ、助け、頼、む…………っ!」
「…………」
この期に及んで、命乞いをする毒島に虫唾が走った俺は右手に刀を創生し、右脚を斬り飛ばした。
「ぁぁがぁあああああああっ!?」
「次、左脚」
「ぎゃああああぅああああっ!?」
俺は次々に毒島の両手両足を斬り飛ばす。
「――ぅっぷ、おぇえええええ~~!?」
目の前で斬り落とされる毒島の姿を見て、血に見慣れていなかった桜庭がその場で嘔吐した。すかさず響が介抱する。
申し訳なく思ったが、もうこの行動を止める事は決して、ない。俺は刀を振りかざす。
「最後だ。死ね、俺の大切なものに触れた醜い愚図が」
「士郎、待っ――」
楓さんの俺を止めようとする声が聞えるが無視し、毒島の顔を白刃で両断しようとして…………
「――やめておけ、鳴神 宗士郎!!!」
俺のはるか後方から会場全体に反響する程の声量で俺を止める声が聞え、毒島の額に後少しの所で刀を力で寸止めした。
「ぁぁ、ぁが…………――――――」
毒島は自分が助かった事に安堵すると意識を手放した。
「誰だ」
俺は毒島の身体を貫いている剣だけを残して、右手にあった刀を虚空へと消し、背後を振り返る。楓さんの言葉を無視し、後方から聞こえた言葉で静止したのは、離れた位置からでもわかる圧を感じたからだ。
「これは失礼した。私は北菱 正一。ここのオーナーをやっているものだ」
苦笑し、こちらにやってきたのは賭博場のオーナーである北菱 正一だった。
「先にこれを片付けてしまうから少し待ってくれ」
北菱は傍にいた者に素早く指示すると、毒島の方を小汚ないものを見る眼で見る。どうやら毒島を退かすらしく、俺は異能を解き動かしやすくする。すると奥の扉から白衣を着た医師らしき人物が担架を運んで、毒島をそこに乗せるとすぐにいなくなった。
「ここで血生臭いのは困るよ、鳴神 宗士郎」
「アンタが飼ってるオモチャの方が、より血生臭いと思うんだが?」
「ほう、知っているようだな。何を飼ってるのかを。面白い……少し予定の時間とは違うがお見せしよう。――私が運営する賭博場のメインイベントを…………」
北菱は無線で指示を出し、例の魔物を使った賭けの準備を始めた。




