第三十三話 忍び寄る魔の手
「鳴神はやっぱり強いな~。俺じゃ勝てないのは当たり前か……」
模擬戦の後、敗北を期した元春は試験運用として借り受けていた光線剣を芹香へと返し、更衣室に着替えに行く途中だった。
更衣室では男女で別れるのは当然として、多くのロッカーがある上に簡易シャワールームまで配備されている。温水が出るのだから、汗の滴る男子生徒はもちろんのこと、女子生徒は絶賛の嵐だ。
勝てるまではいかなくとも、一矢報いたいと考えていた元春は悔しさを胸に宗士郎に言われたことを思い返していた。
「なんで榎本を許せたのか、だったか……。俺自身が諦めていたこともあるんだよな。前の榎本じゃないっことはわかって……いや、あれが素だったのかもしれないな」
元春は亮が反天した事を知らない。
〝知らない〟というよりは〝反天の情報自体が学園の生徒には知らされていなかった〟という方が正しい。
あの日はいつにも増して、普段の苛めがエスカレートしただけだと元春は思っている。友達で同じく異能をもたない和人自身、「苛めは仕方がないもの」と認識していて、和人が諦めているならと一蓮托生と考えていた。
常日頃から「無能」だの「落ちこぼれ」だの言われていた反動もあって、諦めの空気になっていたのは言うまでもない。なにより、自分が落ちこぼれなどと認識していたのだから余計に質が悪い。
『人為的な反天』による事件が終息した後、元春は学園長である宗吉から亮の家庭の事を聞き及んでいた。
なんでも宗吉は亮の父親と旧知の仲であり、何度かビジネスの場で共に仕事をした仲だとか。顔を合わせる度に息子である亮の事を楽しそうに話してくるのだから、愛情の深さが窺い知れる。
だが、その愛情の深さ故か、父親は亮に過度な期待を向けるようになった。「お前は私の自慢の息子なのだから、さらに精進しなさい」と何度も言われ、いつしか「自分は誰よりも上に立たなければならない」と思うようになり、亮は父親の期待に歪な形で答えようとしてしまった。
その結果が非異能力者を見下す事に繋がり、亮の言っていた『あの人』に操られ、人為的に反天させられてしまったというわけだ。
「あの事を知ってから多少は榎本の事を許そうと思ったけど、心の中の自分は〝そう簡単に許すな〟って言ってる気がしてズルズルと引きずってしまった……。これからは榎本の事をもっと知ろう。それで、昔の事は精算して友達になれるように頑張ろう……あれ?」
向かっていた男子更衣室のドアの隙間から光が漏れていた。元春はドアの前まで近づくと、ドアの隙間から話し声が聞こえてきた。
「あれは……鳴神と榎本? 何を話してるんだろ?」
更衣室の中は宗士郎と亮以外は既におらず、亮が宗士郎に何か聞いているようだった。
「――さっきは一体何を話してたんだぁ?」
「元春の本音を聞き出そうと思っただけだ。榎本を許した理由も知りたかったしな」
二人が制服に腕を通しながら話を続ける。
「なるほどなぁ、それでなんて言ってたんだ? 俺は自分の罪を受け入れる。だから、佐々木の本音を聞きたい」
「……わかった。他言無用だからな」
長い間苛めていた亮は本当に悪いと思っているからこそ、本音を聞きたかった。宗士郎自身もそれはわかっていたし、聞く権利もあると思っていたので、赤裸々に語った。
「そうかぁ、それほど佐々木を追い詰めてたんだな……俺はっ……呆気なく操られて、傷付けてしまった。なんてっ、情けないんだ!!!」
「榎本……」
亮が地に膝をつく。
後悔と自責の念が涙となって溢れ出す。
「見下していたのも操られたのも俺の意思が弱かったせいだっ! 俺がっ、俺がちゃんと自分を持っていれば、最初からこんなことにはならなかったんだ!!!」
亮は地面に拳で何度も殴りつけ、ひたすら後悔した。
(プライドの高い榎本があそこまで取り乱すなんて……っ)
その姿を見て、元春は亮が心の底から反省している事を悟った。
「だからっ、俺はこれから佐々木を見下す関係じゃなくて、対等な関係でいたいっ! 陣内ともだ! 遅くなっちまったけど、俺はっ! あいつらと友達になりたいっ……!」
「じゃあ、まずは一緒に鍛錬するところからだな! 俺が面倒見てやる」
「そ、そうだな……は、はは、はははっ! じゃあ頼むぜ、師匠!」
元春は更衣室には入らず、時間をおいて出直すことにした。これ以上聞かなくても、榎本の気持ちは十分に伝わったからだ。そのまま更衣室から離れようとした時…………
「――でも、元春は魔物との戦闘には連れていけない……」
「えっ………………」
思わず元春の口から驚きの声が出た。幸いその事に二人が気付いた様子はない。
(なんで、なんでだ……!? 鳴神は不安要素があるからだと言っていた! それは多分、精神的に不安定な俺を思ってのことのはずだ……なのになんでっ!)
元春は真意を問いただそうとしてすぐに更衣室に戻ろうとするが、不意に後ろから聞こえた声に呼び止められた。
「おや、佐々木君? 奇遇ですね、こんなところで」
「あっ、牧原先生……」
元春を呼び止めたのはクラスの担任である牧原 静流だった。
「更衣室に用があるのですね? 先生も更衣室の電灯を変えてほしいと頼まれましてね。向かっていたところなんだ」
「そ、そうなんですね。偶然ですね、はは……では着替えがあるのでお先に……!」
なぜ先生であり研究者でもある牧原先生がめったに来ない修練場にいるのかという疑問が脳裏によぎったが、それどころではなかった元春は会話を適当に切り上げ、更衣室に向かおうとする。
「――ああ、なるほど…………裏切られたわけですか。ククッ……」
「なっ――!?」
心の底で微かに聞きたくなかった言葉が投げかけられる。優しい暖かな顔で話す牧原先生が思わずゾッとするような顔で笑みを浮かべた事にも驚いたが、それ以上に投げかけられた言葉が頭に引っかかって離れない。元春は底知れぬ恐怖を感じながら、なんとか言葉を絞り出す。
「な、なにを……いっ、てるん、ですか? 何を根拠にそんなことを……っ」
「〝自分はあの二人に認められた〟と思っていた……違いますか?」
「ちがっ――!?」
「〝自分は戦う術を手に入れ、ようやくみんなと肩を並べて一緒に戦える夢が叶う。ようやくスタートラインに立てた〟……そうですよね?」
「違わないけど、違うっ!?」
「おや? 彼が……鳴神君がこんなことを言ってますねぇ。〝捨て駒にしかならない落ちこぼれ〟……って」
「――まれ…………」
「榎本君も言ってますねぇ。〝やっぱり落ちこぼれは落ちこぼれだったか。そんな奴に一度でも頭を下げたかと思うと反吐が出そうだ〟……と。クハハハハッ」
「――だまれだまれだまれ黙れぇえええええええッ!!!」
核心を突かれては身体が痙攣するように震える。〝そんなことを言う奴じゃない〟〝涙を流して反省していた榎本が……っ、あれは嘘だったのか〟と不安が脳内を掻き乱す。
元春は耐え切れず膝をついた。
そして気付く。
――物音や宗士郎達の声が聞えない事に…………
「っ……むがっ!?」
顔を上げた瞬間、目と鼻の先に牧原先生が立っており、元春自身の顔を覆うように左手で鷲掴みにされ、振り解こうとするが、まるで拘束されているかのようにビクともしない。そのまま持ち上げられ、ジタバタするも無意味に終わる。
「~~~~~~~~~~ッ!!?」
「良かったな、何も聞かれなくて。凄いであろう? 我の断絶結界は……クク」
「ん゛っ!? ん゛っ!? ん゛っ!?」
身体を蹴り上げてみても、巌でも蹴っているようにびくともしない。元春は一心不乱に藻掻き続ける。
「我と彼奴の計画の礎となるがよい…………」
牧原先生がそう言うと左腕から無数の蛇影が唸りを上げ、口、鼻、耳へと侵入してくる。
「あ゛がぅお゛お゛お゛お゛お゛お゛あ゛あ゛あ゛ッ?!!!?!??!」
何も抵抗できず、それらを受け入れるように体内へと潜り込んでくる。
(これからだってのに、俺が、俺じゃなくなる………………っ!? ごめん。和人、鳴神、沢渡……そして――榎本…………)
蛇影が全て入り込むと魂を失った肉人形のようにぐったりと横たわる元春。身体は生気を感じられない程に白くなっていた。
「仕上げだ。起きろ」
懐からイヤリングを取り出し、右耳につける。牧原先生が命令するかのように呼びかけると、元春がゆらりと立ち上がる。
「さあ、怒れ憎め! ……復讐しようではないか。今のお前は奴らを超える力を手に入れたのだ」
「…………はい、我が君。復讐する、奴らに……落ちこぼれじゃない俺の力を、奴らに認めさせる……」
元春の意識は闇へと沈んだ。
今ここに立っている元春は佐々木 元春であって、佐々木 元春ではない。ただ復讐の炎に身をやつす憤怒と憎悪と塊となったのだ。
牧原先生が指で空に人が通れる程の円を描く。するとそこだけが黒く染まり、暗黒の向こうから人が歩いてくる。
「首尾よく堕とせたようですね。本当は私が行きたかったのですが……」
「仕方なかろう。其方には此奴以外にも洗脳する奴らがいたであろう。して、どうだ?」
「こちらも結果は重畳。友情なんて、案外脆い物ですよね……ははは!」
暗黒の向こうから来た者は暗闇に隠れて姿は見えないが、牧原先生から見ると辛うじて男性である事がわかる。
「その姿はもう良いのでは? どうせ私以外には見られる心配なんてないでしょうに」
「それもそうか」
牧原先生が右足で地面をリズムを刻む様に蹴ると、身体から黒い霧が蔓延し、次第に霧が晴れるとそこには牧原先生ではない中世的な顔の男が立っていた。
「ふむ、やはり其方の口調は面倒であるな。口が引きつりそうになるわ」
霧が晴れるとそのまま首を左右に傾け、コキコキっと小気味良い音を鳴らして楽にする。
「しょうがないでしょう。〝其方にはやる事があるから〟と言って、代わりにそちらへ行ったのですから。それくらいは我慢してくれませんか?」
「ふん、我慢などするものか。だが、ようやくこの口調もしなくてよいのか。そろそろ次の段階であるな」
「ええ、計画を次の段階に移行します。今度は貴方が私に代わって頑張る番ですよ?」
「わかっておるわ、かような事。其方にはできぬし、疑念を抱かれるわけにはいかぬからな。大人しく成り行きを見守っているのだな」
「わかっていますよ、では戻りましょうか」
自ら開いた闇の門を潜り、二人の元へ元春だった者が追従する。三人が闇の中へと消えると同時に、門は静かに闇へと溶けていった。
「?」
「どうしたぁ鳴神ぃ?」
話し合いが終わり、ドアを開けた宗士郎が怪訝な表情を浮かべる。
「いや、妙な気配を感じたんだが……どうやら気のせいだったみたいだ」
「そうなのかぁ? 鳴神がわからないなら、俺にもわかんねえなあ。さっさと教室に戻ろうぜ」
「あ、ああ…………」
亮に催促され、宗士郎は心のしこりを残したまま教室へと足早に戻っていった。
後日、元春の両親から「息子が戻ってこない」との事で、『捜索届け』が学園と警察へと提出された。連絡も無く、どこかへ行く子ではないとの事で、家出の線は霧散した。
元春と最も親しかった和人も何も知らず、三時限目以降見てないとの事だった。
足取りも掴めず、元春は学園から静かに姿を消した…………




