第十八話 錯綜する思惑
「さっき、好きにしてくれって言った手前、言いにくいんだが……正直言って怖いわっ」
「まぁそういうな、ちょっとだけだから! 先っちょだけだからな!」
「落ち着いてください、榎本君。宗士郎君が意識して、その刀を物質化しなければいいだけの話ですから」
「落ち着ける訳ないだろうが!? オモチャを前にした子供みたいな眼でこっちを見てるんだぞ!? 怖くない奴なんているわけないだろ!」
凛が言う〝悪い気配〟を斬る為、刀を上段に構えた宗士郎が振りかざそうとすると、亮がひどく狼狽え始めたのだ。
意識だけを斬れるという確証がない為、狼狽えるのも無理はないだろう。
「早くしないと、また暴走したお前を今度はマジで殺さないといけないんだ。こっちは大切な人が危険な目にあおうとしてるんだ、問答無用で斬るぞ?」
「うぁ、うぉああああ!?」
宗士郎は文字通り問答無用で白刃を振りかざした。
頭を抱えて眼をつむった亮はいつまでたっても、斬られた痛みが訪れないので、不思議に思ってつむった眼をゆっくりと開けた。
「い、痛くない……助かっ……ごぶぁ!?」
「これは桜庭、元春や和人を自分の本意でなくとも襲った罰だ。これくらいの落とし前はつけてもらう」
無事に終わった事に安堵した亮は逆手に持った剣の柄を鳩尾に入れられ、身体を覆っていた氷が砕け、肺の空気をすべて吐き出してしまう。
「そっ、そうだ、な……すまなかった」
「後で桜庭達に誠心誠意謝れよ? 他のクラスメイト達も危険な目にあったんだからな」
「わかってる、ちゃんと……謝る……っ」
不意に亮の頬に涙が伝う。
それは不本意にもクラスメイトを襲ってしまった後悔と懺悔の涙に見えた。
「ん……ちゃんと嫌な気配は斬れたみたいですね。では、救護班をこちらに向かわせますね。私はここに残りますので、宗士郎君は医務室に行って負傷した人達を見てください」
「わかりました」
「榎本君はもう少し、このままでいてくださいね? 宗士郎にやられた痛みが引いてないでしょうし、アイシング代わりということで」
「は、はい……」
指を鳴らして氷が砕け散った部分を再び凍結させる。宗士郎の攻撃により負傷している榎本を全身凍結させ、患部を冷やそうというのだ。
「じゃあ凛さん、行ってきますね。榎本も怪我が治ったら、謝るんだぞ」
「お願いしますね」
「ああ、約束する」
二人を後にして、宗士郎は医務室に向かった。
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「少し情報が漏れたか。まあ、痛くも痒くもないのが現状ですけどね……」
――光の入らない個室
――微かに匂う薬品の数々
資料と薬品が鎮座している机に備え付けられている椅子に腰掛ける男がいた。
「――始末しなくていいのか」
男の横で、壁にもたれている中性的な顔の男が尋ねる。
「今回は種をばら撒いただけですよ……植えつけられた劣等感、怒り、復讐心は次第に芽吹く。長い時間をかけて植えつけられた物はそう簡単に割り切れるものじゃない。今は許しても、徐々にこちらに傾くように仕向けるさ」
「そうか……こちらの世界では、その異能とやらが存在しない。別に無くとも、我の強さは揺るがないが――興味はある」
「なら、協力関係の今、互いの目的の為に協力し合おうじゃないか」
男は懐からイヤリングを取り出す。それは亮が身につけていた感覚結晶をカッティングしてイヤリングした物だった。
「またそれに付与すればよいのか?」
「ええ、心の拠り所を失ったものや弱い者は外から力を求めようとしますからね。あなたの力とこれがあれば、容易く心の隙間に這い寄ることも可能です」
「……我が言うのもあれだが、貴様は心が痛まないのか?」
「いえ、全く思いませんね」
男は冷淡な態度でイヤリングを中性顔の男に向け、軽く指で弾いた。それはまるで、人を殺すのに一切の躊躇がない〝無〟の感情を表しているかのようだった。
中性顔の男はイヤリングには触れず、右手の上方で物体を留めると、右手からおどろおどろしい暗黒の何かが感覚結晶に吸い込ませた。
「ふむ、かけ終えたぞ」
「ええ、ありがとうございます。相変わらず仕事が速いですね」
「造作もないことだ」
右手からイヤリングが消え、男の手の上に出現する。
「さて……次はどう楽しませてくれるんです――鳴神君?」
男は侮蔑と嘲笑を孕んだ笑みを浮かべ、イヤリングを眺めていた。
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「危機は脱したみたいね……呼吸も安定してるわ」
「よ、良かった……」
元春と和人をのせた担架を医務室に運び込んだ響、幸子、蘭子は治療が終わるまでの僅か二十分弱、それぞれがそれぞれの心に不安を募らせていた。
先程治療を終わり、女医が響達に声をかけた。
結果は良好で、病気を併発する可能性もなく、怪我をした部分は痕が残らないとの事だ。しかし、重症であったのに、あまりにも治療が早かったのと、痕が残らないと聞いた響達は揃って、耳を疑った。
幸子は女医にお礼を言うべく、話しかける。
「あの、先生……急に来たのにもかかわらず、何も言わずに治療してくれてありがとうございます」
「怪我人や病人を元気にするのが医者の本懐だからね……気にしなくても良いわよ。それに――」
「それに?」
「応急処置が早かったおかげで、酷いことにはならなかったし、そもそも治療したのは、殆ど彼女よ?」
女医が元春、和人が寝ているベッドの横にあるカーテンをゆっくりと開ける。カーテンの向こうにいる子に響は見覚えがあった。
「君は確か、柚子葉ちゃんの友達の――」
「はい、後期課程一年の桃上 雛璃です……ごほっ……ごほっ」
咳き込みながら顔をのぞかせたのは、柚子葉の友人の桃上 雛璃だった。
「雛璃ちゃんは身体が弱くてね、体調の悪い時はいつもここにいるんだけど、無理をさせちゃったわね……ごめんなさい」
「気にしないでください、先生。私の異能はこんな時の為にあると思いますし」
「異能……?」
「もしかして、傷を治せる異能だったり!?」
幸子が病人を気遣ったような口振りに対し、蘭子は病室で声が響く程の大きさで驚きを示した。
「はっ、はい。私の異能はあらゆる怪我、病気を治癒する女神の涙です。戦闘ではお役に立てないのが、痛いところです」
「なんでも、治せるんだ!?」
蘭子が大袈裟に反応する。
「〝あらゆる〟は言い過ぎでしたね……怪我は全て治癒できますが、病気は風邪や花粉症など比較的症状が軽い物だけです」
「そんなに凄いのに、自分の体調は治せないの……?」
幸子は重い病気を治癒できなくても余りある異能に疑問を覚えたようだ。
「……私の身体は治癒できません。できないこともないんですけど、治癒するまで体力がもたないんです」
「研究者達が言うには他人を治癒する時と自分を治癒する時で、必要とするクオリアが極端に差があるらしいわ」
明らかに気を落としている雛璃をフォローする為か、女医は説明を付け加える。
「そう、だったんだね……ごめん」
「いえ、気にしてないですから大丈夫ですよっ」
少々重たい空気が流れる。すると医務室のドアが勢いよく開け放たれ――
「邪魔だ」
そんな空気をぶち壊した――いや、ドア諸共空気まで断ち切ったのは、先程まで、亮と戦闘を繰り広げていた宗士郎だった。
ドアを刀で斬り飛ばし、辺りを見渡して皆が集まってるのを発見すると、無駄に縮地と闘氣法による強化で距離を縮めた。
「元春、和人! 無事かっ!?」
「今は眠ってます、安心して殴られてください」
「はっ? あ、えと……ヤバっ無我夢中過ぎて、ドアを開けるのも忘れて斬っちゃった……申し訳ありません」
今更、ドアを破壊したことに気付いた宗士郎は女医に見事な土下座を披露し、許しを請う。
「はぁ……二人の怪我、運んできたこの子達の動揺っぷり、そして君の焼け焦げた制服を見れば、何か大変だったことはわかるけど…いいわ、お咎めなしにしてあげる。後で学園長に修理費を請求しておくし」
「あ、ありがとうございます」
思わぬとばっちりが宗吉へと飛んだが、これは仕方のないことだと割り切り、宗士郎は立ち上がる。
「って、あれ? 雛璃ちゃん、どうしてここに」
「お兄さん! ちょっと体調が悪くて……」
「そっか、無理しちゃダメだぞ?」
「ふふっ、わかってますよ」
「「「………………」」」
宗士郎と雛璃が談笑していると、無言の視線を向けられる。
「ん、どうした?」
「お、お前……柚子葉ちゃんがいるのに〝お兄さん〟って呼ばせてるのかよ……!」
「ち、違う!? これは雛璃ちゃんにそう呼んでほしいって言われたからであって!? なぁ、雛璃ちゃん?」
響に勘違いをされた宗士郎はフォローをしてくれるよう、話をふる。
「はいっ、私がそう頼んだんです」
「なんだ、そうだったのか。てっきり、そういう性癖があるものだと思ったぞ」
「ち、違うわっ!」
「はいはいっ! 病人の前で騒がない! 二人は無事だから鳴神君達は教室に戻る!」
「わかりました、では二人、いや三人をよろしくお願いします」
病人の前で騒ぐのは駄目だと、女医師が話を断ち切った。宗士郎は雛璃の方をチラッと見てから、女医に頭を下げる。
「じゃ、行くか。……そうだ、今日の事を学園長に報告しないといけないし、響達も一緒に来てくれ。成績には影響がないように学園長に頼むからさ」
「あいよ」
「わかったよ」
「うん!」
医務室を出ようと後ろを向こうとして、宗士郎は雛璃の方を振り返り、
「雛璃ちゃんもお大事に」
「はい!」
元気の良い返事を聞き、宗士郎達は医務室を後にした。