プロローグ 疾うに芽吹きし嫉妬、心を侵蝕す
約2年ぶりの投稿で覚えている人がいないかも……?
そんな時は、拙作のスタート地点(第1章)に戻ってみよう! 暇な時にでもゆっくり読破してねぇい!
「(皆、皆やられちゃったっ……! あれは――あの赤い光は、なんなんだ!?)」
真夜中のとある大森林。
牙狼族の少年は涙ながらに、ただひたすら逃げていた。自身を追ってくる正体不明の敵から。
闇に赤く輝く、二つの小さな光。つかず離れず、絶えず木々の合間を縫って追ってくる様は、さながら尾灯の光跡が如し。
逃走の直前に起きた惨劇も相まって、少年の体は恐怖と焦りで汗ばんでいた。
「(シ、シノ姉ちゃんっ……!!)」
最初はただの興味本位であった。
先日、村の仲間が何者かに襲撃された事件。その同胞は大量の血を抜き取られていたという。
身の回りの奇怪な出来事は、子供の好奇心をくすぐるには打って付けのオモチャである。狩り以外の娯楽に乏しい種族なら尚更であった。
村の子供達は前族長の娘――現在の長である女性にこぞって話を聞きに行った。
常に優しい族長ならば、答えてくれるという期待があった。
しかし――彼女は首を横に振った。
神妙な顔付きで、「夜の狩場には近付くな」とまで厳命され、「約束を破った奴は、あたしがお仕置きしてやる」と普段はしない脅しまでされる始末。
肝の小さい子供はその脅しで諦めたが、野次馬根性を持つ一部の悪ガキはむしろ強く興味を惹かれた。
『族長がそこまで言う相手って、一体どんな奴だろう?』
『そんな奴、俺達がぶっ倒してやる!』
興味に加えて、ちょっとした正義感。謎の敵に勇んで立ち上がるには充分過ぎる理由だった。
親達が寝静まったのを確認して、十数人の子供達は夜の狩場へ赴いた。木々の隙間から差す月明かりを頼りに、皆まとまって探索を始めたのだが――
『うわッ!?』
『…………え?』
不意に木霊した小さな悲鳴。一同振り返れば、最後尾にいた仲間が忽然と姿を消していた。辺りに響く水を啜るような音が途切れた瞬間、彼等の眼前に何かが落ちてきた。
――それは、ミイラの如く血の気の失せた同胞の姿であった。
ゴクリと、喉を鳴らす音が鳴った。その瞬間、子供達は一目散に逃げ出していた。
『『うわあああああああっ!?』』
最初こそまとまって逃げていたが、一人また一人と同胞が闇に消えていき――気付けば、最前の子供だけとなっていたのだ。
「(伝えないとっ……早く、早くシノ姉ちゃんに……!)」
半ばパニックになりながら、頭に浮かぶのは頼れる女族長の顔。しかし、一族が暮らす村とは逆方向に走ってきてしまっている。
どうにかして、あの得体の知れない敵を撒く必要があった。
「(よし、今だ!)」
自分の姿が大木で隠れた瞬間、即座に反転。なるべく姿勢を低く保ち、茂みから茂みへ、木の陰から次の陰へと移動を繰り返し距離を離していく。
この暗闇だ。狩場を己の庭と認識する自分と違い、敵は対象を一度見失えば追う事は不可能な筈、と考えての行動であった。
無我夢中で走り続け、やがて見覚えのある家屋が視界に入ってくる。一度後ろを振り返り、敵が追ってきていない事を確認すると、少年は近くの大木に寄りかかり脱力した。
「(ふぅ……どうにか撒けたみたいだ)」
荒くなっていた呼吸を落ち着かせるべく一息吐く。それでも静まらない胸の鼓動に、胸に手を当てた少年は目を閉じて深呼吸する。
「(シノ姉ちゃんの家も近くだし、もう安心――ッ!!?)」
目を開けて……息を呑んだ。
「……おやおや、もう鬼ごっこはお終いですか?」
そこに、奴は居た。
視界一面を覆い尽くす程近く。二つの赤い瞳が、彼の瞳を覗き込んでいた。
「(な、んでっ……!?)」
「何故追い付けたのかと……言わんばかりですねえ」
あまりの動揺に、落ち着きを取り戻しつつあった胸が、一際強く跳ねる。
眼前の敵は少し身を退いた。驚くべき事に、その頭は逆さまの状態であり、木の枝の下に吸い付くように立っていた体を地面へと着地させる。
同胞をミイラのようにした相手は、真紅の燕尾服とマントを着用した細身の男だった。
「あなたが呼んだのではないですか……芳醇な香りを漂わせて、ね」
その言葉に、少年は何の事かと思った。
疑問に答えるように、男は少年の右腕に手を伸ばして触れる。恐らく逃走の時に出来たのだろう。赤く滲んだ引っ搔き傷があった。
「あぁっ、美味い……やはり、人口血液とは比べ物にならない程に、美味いッ……! ハハッ!」
手に付着した血を舐り、男は興奮したように歓喜した。まるで、長年待ち侘びていた恋人との再会を喜ぶかのように。
そこで、少年はようやく気付く。男の口から、否――男の全身から醸し出す猛烈な血の臭いに。
「おっと、味見はこれくらいしなければ……長く待たせると、ご馳走に失礼ですからねぇ」
男は妖しく笑って舌なめずりすると、口を大きく開けた。ヨダレの垂れる口の隙間から、血塗られた鋭利な牙が姿を見せる。
「ゥン、それでは――いただきます」
男が少年の両肩を強く掴み、首元へ顔を近付けていく。
「は、はっ、はひゅ、はぁッ、はひゅひゅッ――」
途端、息を吹き返したように再開する荒い呼吸。
声を上げるのも忘れ、少年は喘ぐように息をする。その首筋に、男は容赦なく牙を突き立てた。
「……あぐッ!? く、ぁっは……ッ、シノ、ねぇ……ちゃん――――」
少年は体温と力が奪われていく感覚に溺れながら、事切れる間際にその名を呼んだ。
「すぅ……すぅ……んんぅ?」
牙狼族の若き女族長シノ・ブラッドヴォルグ。睡眠中だった彼女は微かに漂ってきた異臭に顔をしかめた。
「この臭い……血か? 外からか……」
体を起こし、重たい目蓋を擦る。竪穴住居に似た構造の家なので外気は遮らない。よって、臭いの発生源は室外なのだろうと判断する。
薄い寝間着のまま、シノは屋外へと足を運んだ。
血の臭いは狩場のある方角から漂ってきていた。夜中での狩りは牙狼族の掟で禁止している。謎の襲撃事件も多発している為、夜の森には誰も近寄らないよう同胞達に言い付けてある。その為か、周辺に人影は一つも見受けられなかった。
「(血の臭いはこっちからだ。動物が殺りあっただけなら良いん、だけど……?)」
村の外れにある大木、その根元付近にある違和感を覚えるシノ。辺りを警戒しつつも目を凝らし、やがて両目が闇に慣れ始めるに連れ……。
「っ、これは……!?」
違和感の正体――変わり果てた同族の子供の姿が露わとなった。
「き、昨日のガキじゃねーか!? あれほど夜の狩場に近付くなって言ったのに、なんでだよっ……」
シノはすぐに横たわる子供の元へ駆け寄り抱き起こした。その身体は老衰したかのようにか細く、恐ろしいまでに軽かった。
「もう死んじまってる……クソッ」
歯噛みした後、腕や首元を注視していく。
「……やっぱり、吸血痕があった」
首の頸動脈辺りに、二つの小さな傷痕を発見する。皮膚が皺くちゃな為に判り辛いが、この特徴的な痕をシノは以前にも見た事があった。
「また吸血鬼族の仕業か……最近音沙汰ねーけど、まさかアイツの指示って事は……」
ふと、吸血鬼族の姫が脳裏に浮かぶ。
「(いや、ねぇな。あいつなら、許さね―筈だ)」
彼女の気質を熟知しているが故に、その考えを放棄する。
吸血鬼族の姫とは、族長になるまで親交がなかった。各地を放浪していた際に知り合い、今では文通を繰り返す程の仲だ。
しかし最近になって、何故か連絡が途切れていた。
「(最後に会ったのは一年以上も前……出来るなら、直接問い正したい。けど今、長い間この村を離れる訳にも……)」
「――シノ、どうかしたのか」
これからの対応を思案していると、背後から声が掛かった。聞き覚えのある声に、シノは子供を抱えながら振り向く。
「村のガキが、また犠牲になっちまったっ……」
「そのようだな」
震える声で告げるシノに、黒い短髪の男は視線を落とし淡々と言った。
「……ヴォルフは、なんでここに?」
「丁度、貴様が森に歩いていくのが見えてな。どこへ行くのかと思って跡をつけさせてもらった」
ヴォルフがやけに刺々しい声音で答える。
「それより、村の子供が十人近く失踪している。村は今、ちょっとしたパニックだ。しかし恐らく、居なくなった子供達もそいつのように……」
「だとしても、生きてる奴がいるかもしれねぇ。一度村に戻ってから、あたしを含めた何人かで狩場に探しに行く」
「そうしよう。同行者は強い連中を選んでおく」
二人で村に戻り、シノは同胞達に事情を説明したのち、強者の五人を引き連れ狩場へ捜索しに戻った。
それから数時間。辺りを警戒しつつ探し回ったが、襲撃者は現れず、代わりに村の子供達が血を抜かれた状態で見つかった。
失踪した子供の亡骸を全て回収した後、深夜にも関わらず村の主要メンバーが集まり、今後の対応を話し合う事となった。
「シノ、敵をどう見る?」
「……」
前族長でシノの父親であるフレガが、ざんばらな頭を掻きつつ尋ねたが、シノは沈黙を貫いた。
そこへヴォルフが、自信ありげに口を挟む。
「敵の正体を、知っているんじゃないのか?」
「なんだと? シノ、本当なのか」
再度の問い掛けに、シノは首肯する。
「相手は――吸血鬼族の奴だ」
そう口にすると、周囲にどよめきが走った。
「吸血鬼族といえば、確か村の縄張りから少し離れた土地に住んでいたな」
「ここ数百年もの間、奴等とは交流すらなかった筈……一体なぜ?」
「――理由などどうでも良い!」
困惑する者達を一喝し、ヴォルフが声高に意見する。
「今この場で大事なのは、俺達の仲間が殺られたという純然たる事実! 奴等には報復して然るべきだ! そうでしょう!? フレガさん!」
「……そうだな。ヴォルフの言う事にも一理ある」
前族長の同意に、シノを除いた者達も次々に頷き始める。
「――あたしは反対だ」
しかし、その流れを断ち切ったのは現族長のシノだった。
「確かに、吸血鬼族がうちの仲間がやったのは事実だ。だけど、それが奴らの総意とは限らない」
「臆したかシノ!? だいたい貴様が族長としてしっかりしていれば、今回の事件は未然に防げていた筈だ! 牙狼族の誇りを忘れたのなら、今すぐ族長の座を明け渡せ! この腰抜け――!」
「忘れたつもりは一切ねぇッ!」
一方的に捲し立てるヴォルフを睨み付けるシノ。
「牙狼族の誇りとは、同胞を何よりも大事に想う心だ。あたしは族長として不用意な決断はしねー。それに今、あたし達が襲撃の背景を確かめないまま仕掛ければどうなる? それこそ戦争になりかねねぇんだぞ……!」
「っ……!?」
気迫の演説にこの場の皆が気圧される。それにより、ヒートアップしていた皆の頭も次第に冷えていく。
「皆の気持ちはよく分かる。今回の件はあたしの責任だ。けど、吸血鬼族の事情が分かるまでは、その怒りは胸に仕舞っといてくれねーか? 牙狼族のこれからの未来の為にも」
周囲が落ち着いたのを確認してから、シノは深々と頭を下げた。
「分かった。お前の言う通りにしよう」
「オヤジ……ありがとな」
フレガが重々しく頷くと、顔を上げたシノはしみじみと感謝を述べる。
「勘違いするな、シノ。娘だから意見を聞き入れたのではない。牙狼族の長だからこそ、正しき意見に従ったのだ」
「分かってるよ。今後は日没から夜明けまで、交代制で村を警戒する。面子はあたしを含めた大人のみだ……皆、頼んだぞ」
ヴォルフを除いた全員が、シノの言葉に頷きを返す。
現族長に、それも牙狼族最強の存在に頼まれれば、周りも無下に断る事など出来なかったのだった……。
「流石はフレガ様の子。強いだけでなく、未来を見通す聡明さと牙狼族たる器も持ち合わせている」
「シノ様に代変わりし、無闇に人を襲うなと最初に厳命された時はどうなる事かと思ったが……さように我等の未来を考えておられるとは。いやはや、己の未熟を恥じるばかりだ」
話し合いが終わり、シノの指示で犠牲になった子供達を手厚く葬った後、フレガとその娘シノに心酔している者達が口々そう口にした。
皆、シノの器と能力の高さに感銘を受けている様子。
「クソッ……シノ様シノ様とっ……何故奴はあぁも慕われているッ!?」
そんな中、皆の輪から離れていたヴォルフは近くの木に八つ当たりし、苛立ちを発散していた。
「(手段を間違えたか……? いや、奴を追い詰めるには絶好の機会だった。なのに奴はあっさりと周りを……なんとも腹立たしいっ)」
シノに対し並々ならぬ敵意を持つヴォルフ。その顔は皺が出来る程に歪んでいる。
「(奴は俺から全てを奪った……奴が居なければ、今頃俺が――!)」
「うふふ……」
「ッ!? 誰だ! 俺を嗤うのは!」
不意に聞えた笑い声に、ヴォルフは茂みの方に怒声を飛ばす。
「私よ、私。あんたが他人を妬む姿は中々そそるものがあると思ってね」
すると、笑いを堪えながら黒い外套を着た黄眼の女が姿を現した。
「貴様か……顔を隠しているとはいえ、少々不用心じゃないのか?」
「平気よ。そこら中、お通夜みたいな顔して下向いてるんだし」
「みたいな、じゃない。同胞が死んだのだ。群れを大事とする牙狼族ならば、悲しんで当然だ」
「その割には、あんたは平然としているけど?」
「……フン。俺の野望に比べれば、些細な代償だ。それより――」
ヴォルフはずかずかと女に近付き、胸倉を荒っぽく掴む。
「この状況は一体どういう事だ? シノの信用を貶める計画だったろう……! なのに何故奴は今も族長の座についている!」
「さぁ? 元々のカリスマじゃない?」
「ふざけるな! 信用を貶めるどころか、ますますシノの株を上げてどうする!? 奴等を焚き付けたのは褒めてやるが、協力関係を結んだのなら、もっと本気でやれ!」
ガミガミと怒鳴りつけるヴォルフに対して、女は怠そうに溜息を吐いた。
「女族長の責任追及に失敗したのは、あんたの落ち度でしょう? 他人の仕事にケチつける前に、まずは自分の仕事をしてみせたらどう?」
「言われなくても分かっているっ」
図星をつかれたヴォルフが女の胸倉から手を離すと、女は再度息を吐いて服の乱れを直す。
「あんたが約束を守る限り、私もあんたに協力する。お互い最善を尽くしましょ?」
「それは良いが、次の手は考えているんだろうな?」
「大丈夫よ。嫉妬の種は既に蒔いてあるわ――」
クスリと笑い背を向けると、女の姿は闇の中へと消え失せていった。
牙狼族に忍び寄る、吸血鬼族の魔の手。事態を収拾するべく族長のシノが立ち上がる中、同胞の男は粛々と嫉妬の念を育んでいた。
果たして、男に接触した謎の女の正体とは……?
吸血鬼族の襲撃は、種族の総意なのか……?
――他者の優位や美点が、妬みの種を醜く芽吹かせる……第4章『嫉妬の徒花編』スタート。
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