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第二話 ダイナミック過ぎる異界入り

 




 無限を彷彿とさせる遥かな蒼穹――。


 吹き付ける清涼感漂う風――。


 ()()()()()()()()()()()大地――。


「うぉおおぉぉぉわあぁああ!!?」


 空気を震撼させるような叫び声からは、まるで何かから逃げる必死さが感じられる。


 日本とはまた違う新鮮な空気を肌身で感じていた宗士郎は早速、〝未知の魔物に追いかけられる〟という(もっと)もらしい形で『異界(イミタティオ)』の洗礼を受け……受け……受けて…………。


「夢なら覚めてくれよぉおおぁわッ!?」


 否、違った。現実逃避の叫び声だった。


 今はまだ『異界(イミタティオ)』だという確証はないが、確かに洗礼を受けてはいる。故郷から離れた土地で、その土地ならではの洗礼を受けるのは必定。だがしかし、問題はその形だ。


 あの時、冗談紛れに言った自分の一言が。


 まさかこのような形で実現する事になろうとは、当時の宗士郎は夢にも思わなかった――――。


「フラグなんて漫画やアニメとか、空想での出来事だと思ってたってのにっ。あ、そもそも異能なんてある時点でかなり空想よりだったわチクショウめッ!」


 上空約三千メートルより流星のように落下し続けている宗士郎は、世界の無慈悲な法則と自身に起きている予想外の展開についての軽い考察と呆れ混じりの苦笑を大空へと捧げた。


 そう……。


「ここ超えたら、大地じゃなかったりしてな」という、自身でうっかり立てたフラグをものの見事に回収してしまった宗士郎は今――。


 ――スカイダイビングの真っ最中だったのだ。


 どこまでも飛んでいけそうな青い大空は視界の上ではなく、視界一面に広がっている。更に言えば、『異界』の風は肌を優しく撫でるのではなく、身体が千切れるかと錯覚するほどに痛い強風が吹き荒んでいる。


「(本当、なんでこんな事に……とほほ……目乾きそ)」


『異界』に行った筈の宗士郎が何故大地を踏み締めているのではなく、パラシュートなしで空を飛んでいるのか――それは『異界の門(アストラルゲート)』に足を踏み入れた際、宗士郎の身に起きた謎の現象による可能性が高い。


異界の門(アストラルゲート)』は〝門〟と形容しているだけでその実態はかなり違う。科学者の研究成果によると、次元の歪みらしく『日本』と『異界(イミタティオ)』の歪みの出口がゼロ距離で繋がっているに過ぎないという。


 簡単な例を上げれば、「扉を開けて内から外に出た」というような、ありふれた日常感覚に酷似している。


 だというのに、宗士郎が足を踏み入れた際には不自然な間があった。一瞬ではなく、数十分間歩いている感覚さえあった。入り口は消失したように見えた上、周囲に仲間達の姿はない。不安と焦燥に駆られながら歩き続けた結果、突然足元に穴が開き今に至る――――。


「ひぃぃいいいいっ!?!?!?(全くっ、一体全体どういう事なんだよ!? 俺はスカイダイビングなんて望んじゃいないッ)」


 普段出しもしない絶叫と共に、目尻から軽く涙が溢れて上へと流れていく。もし頭部を下に固定していたならば、時速三百キロメートル程度まで加速可能(昔読んだ漫画説)らしいが、地面に叩き付けられる時間を短くしてしまうだけなので、うつ伏せ状態をキープだ。


 とはいえ、このまま手をこまねいていれば、確実に死ぬ。それは、徐々に近付いてくる大地を見れば明らかだ。


 初のスカイダイビングで余裕がない今、どうすれば、この危機を回避できるか。どうすれば、無事に降り立つ事ができるか。


 宗士郎の人間としての本能が、その答えを探し求めて脳をフル稼働させる。


「(疑似空間転移……いや駄目だ。危険過ぎる)」


 感覚昇華(クレイズ)を用いた刀剣召喚(ソード・オーダー)の疑似空間転移を地面スレスレで行えば、危機を脱する事ができるかもしれない。ただその場合、初めての試み故にエネルギー保存の法則やらの関係で、落下のエネルギーを殺しきれるかが不安視される。


 さらに言えば、この状況下で感覚昇華(クレイズ)で必要になる強靭な集中力と想像力を練り上げられるかも怪しい。


 よって、宗士郎の脳内から無意識かつ刹那の内にその選択肢が消える。


「っ……!」


 既に死は足元へと迫ってきていた。下に見えるのは、大きな泉とそれを取り巻く花畑。残り十秒弱といったところか。『異界』かも判らない世界に来て十秒弱で死ぬのは、流石に目も当てられない。そして、宗士郎が本能的に導き出した答えは――


「スゥッ、『瞬歩』!」


 闘氣法による全力の身体強化と『瞬歩』による衝撃緩和だった。


 気合を入れ、闘氣で構成した最初の足場を形成。身体をなんとか捻り足場を蹴って斜め四十五度へ。ミシッと骨が軋むような音が足からしたが、気にせず次の足場を形成して更に踏み台に。


 そして、地面から数メートル程の地点。


 徐々にエネルギーを移動させ、地面に着地する寸前で転がって衝撃を逃がそうと最後の足場を形成して――


「なっ」


 階段を踏み外したかのような感覚に、何故か『瞬歩』を行使できなかった事を悟る。形成しかけて霧散した足場を通り過ぎ、宗士郎の身体は真下にあった泉へ。


「が、っは……!?」


 直後、背中から絶大なる衝撃が走った。


 水面とほぼ平行かつ身体が上向き、という最悪の体勢。高速で叩き付けられた身体から言葉にできない程の痛みが全身を駆け巡り、衝撃で肺の中の空気が全て吐き出される。少しずつ落下速度を殺していたものの、脳が感じた痛みは測り切れなかったらしい。


 幸か不幸か、辛うじて形を留めていた宗士郎の身体は、ゆっくりと泉の奥底へと沈んでいった。






 ――ピチャン、ピチャン。


 断続的に水滴が反響している。辺りは信じられないほどに寒く、そして暗い。


 深き闇が空間一帯を黒く染め上げているのだ。この世界で一週間過ごす事になれば、数日耐えた後に錯乱から転じて発狂しても何らおかしくはない。それほどに、寒く、何も見えず、孤独を体現したような場所。


 小さな吐息音が聞える。


 自身のものだろうか。何も見えず、視界が閉ざされた空間で音だけが鮮明に届く。更に、髪が揺れ動く。


「(な……ん、だ?)」


 そこでようやく、宗士郎は意識が微かでも戻っている事を悟る。今も、自分の髪がサラサラと左右に揺られている感覚があった。風が吹きつけているようでもないので、少なくとも髪が揺れる要因はない。


 ひとまず、髪が揺れる理由については後回しに。


「(意識がある、って事は……生きてるって事か。我ながら頑丈な身体だな……すげぇ痛いけど)」


 濡れている制服が体にベッタリ引っ付いて気持ちが悪い。そして、床を背にしている所為か、寝心地が途轍もなく悪い。やけにゴツゴツしている。


 着地に失敗し、水面に叩き付けられても無事だった事には、幸運という他なかったが、おかげで全身が果てしなく重く感じる。闘氣法・全力使用による身体強化がなければ、確実にミンチだった。


「……ぐっ、ぁはっ…………」


 微かに目を空ける。徐々に意識が鮮明になってきたところで、脳から「身体を起こす」という命令を各部位へ。しかし、思った以上にダメージが大きいらしく、辛うじて一センチ程浮かせた体は呻き声と共に床へと落ちる。


「あっ――」


 その時。


 そんなに離れてもいない場所、というよりも頭の後ろ近くで小さな声が漏れた。ただでさえ暗い視界に、より暗い影が差し込んできたかと思うと…………。


「生きてたのね。運の良い奴」


 という皮肉と共に、暗黒の視界の中で、ほのかに光る眼と目が合った。


「――ッ!?」


 一人だと思い込んでいた矢先、光る謎の眼に見つめられる、という暗闇ならではの恐怖が反射的に身体を起き上がらせた。次いで地面を転がって低姿勢を保ったまま、左腰に下げていた『雨音』の柄を本能的に握る。


「誰だ、お前……!」


 暗闇で光る眼を頼りに何者かがいるであろう場所を睨みつけては、宗士郎は警戒を露わにした。


「命の恩人に酷い言い草よね。貴方を気休め程度に治療したのは、あたしだっていうのに」

「命の恩人? お前が?」

「あなたを助けたのは、あたし」


 声の高さからして女だろうか。


 話し掛けてきた者は肩を竦めて、悠然と宗士郎の方へ近付く。その言い分から察するに、宗士郎は助けられたようだが、余り信用できない。


「まずは警戒心を解いてくれない? 後、人に物を尋ねる前に、まずは自分から名乗ったらどう? ねぇ、被害者面のお馬鹿さん」

「……分かった。けど、その前に顔を見せてくれ。こっちは緑色に光る眼が浮いているようしか見えなくてな。そんでもって信用できない」


 低姿勢を崩しつつも、いつでも抜刀できるよう左手で鞘を握り、柄に右手を添え続ける。黙りこくっているのは、提案に対して前向きに答えを探しているのだと思いたい所だ。


燎火(ファイアトーチ)

「ッ!」

「身構えなくていい、攻撃する気なんてないから」


 提案に対する答えが返ってくると思いきや、言葉が発せられた刹那、暗闇に松明(たいまつ)を思わせる野球ボール程の火が灯った。小さな火だったが、何故か辺りを照らすのには十分だったようで。


「っ……」


 突然、生まれた火の灯りで目が眩んでしまう。視界が回復するまで数秒を要したが、目を開けた瞬間、最初とはまた別の意味で目が眩んでしまった。


 腰まで伸びている美しき蒼髪と間違いなく美女と形容できる整った顔立ちに左目の泣きぼくろ。膨らんだ胸元を曝け出すように意匠された漆黒のドレスとその間で健康的な肌色との対比を生む黒のストッキング。


 それだけでも、はぐれてしまったみなもや柚子葉、楓達の〝可愛さ〟に匹敵するのだが、彼女の場合、その表現は正しくない。


 その理由は、()()()()()()姿()にこそあった。


 側頭部に生える内側に反った艶のある真っ黒い角に、後背部から生える悪魔の如き黒い両翼。そして極めつけは、宝石のエメラルドを想起させる翡翠(ひすい)色の眼だ。


 現代日本では、まずお目にかかること自体稀な眼色に加えて彼女の容姿が引き出す魅力は〝妖艶(ようえん)〟や〝艶美(えんび)〟という他ない。茉心も大概だが、彼女の容姿は正に人を魅惑する為に生まれてきたかのようだ。


「顔を見せられたら魅せられるなんて。(せわ)しないわね、あんた」

「これで見惚れるなという方がおかしい……」


 嘆息する目の前の彼女。自分の魅力を自覚しろ、と口に言いたいが、堂々巡りになりそう予感がアリアリなので、自然とその言葉は舌の上で溶けていく。


「で、あんた何者?」


 眼前の美女は考え込む素振りを見せた後、燎火(ファイアトーチ)を宗士郎と自身の頭上に待機させて口を開いた。


 心なしか、周囲の空気が少し温かくなる。敵意は感じられないものの、彼女が向ける訝しげな視線は鋭い。


「…………俺は宗士郎、鳴神 宗士郎。に、人間族だ……」


 宗士郎は悩んだ末に、異なる世界から来た事を伏せ、大昔に滅んだとされる『人間族』の生き残りを装う事にした。


 その理由は、彼女が〝人〟ではあるものの『異種族』――それも『魔人族』なのではないかと考えてのことだ。


 今まで対峙してきた魔人族の特徴としては、尖った耳や褐色の肌くらいのもの。彼女の肌は絹のように白い上に、耳が尖ってもいない。だけども、如何(いか)にもな角や翼を見て高位の魔人族との結論に達した。


 出会った魔人の数が少なく判断材料も少ないけれど、警戒するに越した事はない。


「ソウシロウ? ナルカミ、ソウシロウ……鳴神 宗士郎、ね」

「どうした? もしかして、俺の先祖がお前の先祖と喧嘩でもしたのか?」

「なんでもない」


 彼女は納得した様子で言葉を切った。もしや、聞き覚えでもあったのかと思って適当な話をでっち上げたが、そうじゃないらしい。


 宗士郎は意識を切り替えて、名前を尋ねる。


「で、こっちは教えたんだ。お前の名前は?」

「あたしは〝お前〟じゃない。はぁ……あたしの名前はクオン。先に言っておくけど、魔人族よ。勘違いしないで欲しいけど、敵対するつもりはない。少なくともあたしは」


 クオンと名乗った彼女は宗士郎の予想通り『魔人族』だった。しかし、彼女自体は〝戦う〟事に興味などさらさらないらしく、訝しむ宗士郎が尋ねてくるよりも前に先んじて釘を刺してきた。


「そうなのか? 魔人族は全員、血気盛んな奴が多いと思ってた。だからてっきり、お前もやる気なのかと」


 柄に右手を掛けながら宗士郎は冗談めかした態度を取る。無論、警戒は解いていない。


「そういうのじゃないの。あたし、これでも戦闘能力は皆無なの。的になるのが精々。そもそも助けた時点でとっくの昔にやってる。それとあんた……」

「なんだ」

「身体、痛くないの?」

「あっ――ぐっ!? う……っ、くぉぉっ」


 クオンに指摘されてようやく、宗士郎は全身からのたうち回りたい程の痛みを発していたのを今更ながらに思い出した。というか、のたうち回った。


「痛いなら言えばいいのに」

「誰の所為だと……っ」


 呆れた眼差しを浮かべるクオンが宗士郎に回復魔法らしき何かを掛ける。温かな光が身体を包み込み、ゆっくりと痛みが引いていく。


 痛い、と言えなかった原因は油断のできなかった今の状況と暗闇で光る彼女の眼に警戒心を抱いていたからだというのに。


「(魔人族にも優しい奴がいるんだな。だけど、その顔は少しムカつくな)」


 こめかみに怒りマークを浮かべた宗士郎は、クオンを睨み付けたが呆れたままで効果は今一つだった。


「取り敢えず、おま――クオンに助けられたみたいだから、一応、礼は言っておく」


 未だ痛む体を起こして、素っ気なく礼を言う宗士郎。


 大して気にもしてないのか、クオンが手をひらひらと振る。


 よく見ると彼女の細い指や服が濡れている。それを見て、宗士郎は一歩出遅れながらもクオンに向ける警戒を解いた。意識のない男の身体は重かったろうに。


「それにしても、俺本当によく生きてたな…………というか、上は岩盤なのにどうやって下に落ちてきたんだ?」


 拳を何度も握ったり、腕を回したりと身体の具合を確かめた後、頭上を見上げて疑問を零す。


 闘氣法・『瞬歩』の形成に失敗した原因は特殊な呼吸法による、生命力を闘氣として練り上げる為に必要な酸素を十分に確保できなかった事によるもの。疑問点はその後だ。


 落ちてきた時は大きな泉があった筈だが…………


「本当に運が良かったわね。奥にある穴から水と一緒に流れてきたところをあたしに見つけてもらって」


 クオンの言う通り、確かにザァ~ッと水が流れる音がする。泉からここへ繋がっていた事も彼女に助けられた事も幸運としか言いようがない。


「ああ。本当にありがとな…………」


 礼を言うと同時に、宗士郎はクオンが何故この虚無の空間にいたのかが気になった。娯楽もなければ、他に人気(ひとけ)の欠片も感じられない。


 そう考えていた時、まるで見透かされたかのように問いを投げ掛けられた。


「なんで、あたしがこんな何もない場所にいたのか気になる?」

「……それは首を突っ込んでも良い部類の話なのか?」

「まさか」


 クオンが軽く肩を竦める。


「あんたは()()ここに落ちてきて、あたしがそれを気まぐれで助けただけの関係よ。詰まらない親切心を振りかざして、これ以上私の素性に踏み込むって言うなら――」


 他人を遠ざけたいかのような、冷ややかな声音。先程までが嘘のように態度を急変させたクオンは、その翡翠の眼を向けて。


「それ相応の覚悟をしなさい。他人の為に、人生一つ賭けてもいいってくらいのね」

「…………」


 宗士郎はクオンの事情をよく知らない。助けた助けられただけの関係。そんな相手に、クオンはわざわざ重々しく話した。それは暗に、自分が特殊な事情を抱えていると言っているのと同義ではないか。


 しかし、それを知っても宗士郎の信念が揺らぐ事はない。


「そういう事ならやめとく。いや、それ以前に他人の、それも明らかに面倒そうな事に進んで関わりたくない」

「……そう」


 クオンがほっとした様子で頷きを返す。表情に変化はないが、どこか沈んだ雰囲気が纏わり付いた気がした。


「俺は、大切なものを守る為には何でもやる。その為なら、世界や神様だって敵に回す。だからこそ、ある目的の為に、まずは『グランディア王国』に向かわないといけない」

「獣人達の国に、何の用があるんだか」


 半ばちょっとした賭けだったが、今居る場所が『異界(イミタティオ)』である事が今しがたのクオンの言葉でわかった。


 会話のキャッチボールが成立した時点で、クオンに『人間族』であると思わせる良いカモフラージュにもなっただろう。


「まあ、行くなら日が暮れる前にね。場所はここを出て、南にある荒野、密林を抜けて大地を二つに分割している『アトラ山脈』を越えれば、着く筈よ。馬を使っても一週間は掛かるから、食糧も恵んであげる」

「助かる」


 スカイダイビング中に、クオンの言った荒野、密林、山脈の大体の方角は確認済みだ。この空間の上にあるであろう泉の近くには花畑が散見できたが、かなり狭い範囲だった。万一、行き先を間違えてもなんとかなりそうである。


「ほら」


『人間族』を名乗る宗士郎(怪しい輩)にも関わらず、親切に場所を教えてくれたクオンはこの場を後にしたかと思うと、やけに綺麗な、まるで新品かのような巾着袋を持ってきて、宗士郎へと投げ渡した。


 腕に掛かるずっしりとした重みに、中を確認するとこれでもかとばかりに見た事ない食糧(?)が詰め込まれていた。はち切れんばかりの袋はスーパーで見かける、野菜詰め放題の袋を連想させる。宗士郎がジト目で「毒とか入ってないよな?」と尋ねると、無言で脳天を叩かれてしまった。


「世話になったな。いつか礼をする。借りは必ず返す(たち)でな」

「別に期待してないから、さっさと行ってよ。出口は突き当たりを右に曲がって左」

「はいはい」


 蒼髪の恩人が胸の下で腕を組み、礼などどうでも良いといった具合で素っ気ない態度を取っている。


 相手が別れを期待しているのであれば、と宗士郎は出来るだけ呆気(あっけ)ない出会いと別れになるように、おざなりな返事を返した。


 そうして、目を合わせないようにして、宗士郎が彼女の横を通り抜けようとした時だった。


「っ……」

「…………」


 別れ際のクオンの横顔が、どこか寂しげで悲しげな表情を浮かべていた事に気付いてしまって。


 辺りを照らす燎火(ファイアトーチ)の火で幻想的に映る翡翠の瞳が「行かないで欲しい」と訴えかけている気がして。


「なんで、そんなに寂しそうな表情をしてるんだ?」


 その瞬間、宗士郎は自分でも分からない内に足を止めて、問いを投げ掛けていた。


「っ、勝手な事言わないで。元々だから」

「(なら、どうして――)」


 なら、どうして。


「(そんな眼をしてるんだよ……)」


 今にも壊れそうな、とても綺麗で透き通った翡翠の眼。硬度が高いにも関わらず割れたり欠け易いと言われる宝石(エメラルド)にも似たクオンの眼は、とても悲しそうで寂しそうで、そして儚げに見えた。


「(似てるな。我慢するのが正しいって思ってるとこ)」


 宗士郎はクオンを見ずに溜息を吐いた。


 急がなければいけない。はぐれてしまった仲間達と早く合流したい。そして、強くなる為に自分を抑圧していた幼い頃の柚子葉と似ている、だから何処か放っておけない。そんな感情が胸中に渦巻く中、他人の彼女を無視してこの場を去るのは少し気が引けた。


 自分の中に、このような感情が生まれた事にも少しばかりの驚きが生じる。これもどこかの残念娘の影響かもしれない。


「あーっ、痛ってぇええええ!?」

「……急にどうしたの、あんた?」


 途端に、宗士郎はわざとらしく悲鳴を上げた。それを眺めていたクオンの表情は冷えに冷え切っている。そんな態度を取るのも仕方ない、と思いつつも畳み掛けるように言葉を紡ぐ。


「水に打ち付けられた身体が疼いてきたッ……山くらいの高さから落ちたからかなぁ!? うぐっ、どっかの誰かさんが()()()()()()回復させた所為かなぁ! これは二、三日休まないと動けないぞ! あぁ困った!」

「…………」


 クオンの肩がプルプルとし始める。


「(あともうひと押しか……)無計画に荒野とか密林とか山脈を超えるのは自殺行為だよなぁウン! せっかく救ってもらった命だし、万全を期したいなぁあああああ!!!」

「ああもう! うっさい!! はぁ……もう、好きにしてよ」


 クオンの言葉をネタにしたり、恩人に救われた命をドブに捨てる行為は避けたいと、柄にもなくオーバーでわざとらしい言い方で煽ってみれば、ようやくクオンが折れてくれた。思わずガッツポーズ。


「じゃあ、二日程逗留(とうりゅう)させてもらう。その間、話相手になってくれよな」

「あんた、わざとだったのね。卑怯者」

「騙される方が悪い」


 正直なところ、身体の痛みは引いていたものの、両足を痛めていたので無理をしないつもりだった。久々に俗世へと出てきた『人間族』という(脳内)設定なので、この世界の事情も多少頭に入れておきたかったのもある。


 早く合流しなければならない、という気持ちが()いて、無計画に行動を起こす所だったのは反省だ。


「こっちから突き放そうとしてるのに、なんで構ってくるの……。あんたのこと、全然理解できない……なんなのよ」

「ん? 何か言ったか?」


 クオンがブツブツと独り言をしていたが、声が小さ過ぎて宗士郎には全く聞こえなかった。


「なんでもない。だけど、逗留させる条件が一つ。他の仲間に見つかると厄介だから、ここでのあたしの言う事は絶対厳守。良い?」

「わかった。さてと、服乾かさないと…………」

「普通、女の前で服を脱ぐ? 人間族の伝統芸なの?」

「そんな訳ないだろ。風邪ひくだろうが……へっくし」


 肌に張り付いた学生服が何とも気持ち悪く、寒気を感じていた宗士郎はくしゃみした。逗留する事が決まった時、クオンの寂しそうな表情が心なしか和らいだ気がしたのは、気の所為ではないと思いたい。





スカイダイビングから始まる唐突な出会い。ほんの少し間だけの希薄な関係。運命の悪戯か、はたまた何者かの意思によるものか。それはまだ、分からない。


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