都落ち
義経様とご家臣様のお話は続いた。
義経様のお屋敷が緊迫した雰囲気に包まれていったあの時…。
鎌倉からの使者、川越氏から討手の存在が明かされたのだという。
川越氏は、自分が義経様の真意を確かめ戻るから、それまで待てと討手に仰ったそう。
けれど市中を見回っていた家臣が、義経様のお屋敷へ向かう武装した一団を発見。
その報せは本当にタッチの差で、私達は何とか脱出する事が出来たのだった。
私達が辛くも脱出を果たした後、鎌倉からの討手が屋敷を囲んだのだという。
海野太郎と土佐坊正尊。
その二人が率いる兵は、頼朝のいわば代理。
義経様を討てという鎌倉からの意思。
そんな者達と敵対しては、弁明はおろか再起を果たす事も叶わない。
義経様も川越氏も、手は出してはならぬと仰ったのに…。
弁慶が一人飛び出して行ったんだそう。
……それを聞いた瞬間、嫌な予感しかしなかったよ。
案の定、弁慶が海野太郎を返り討ちにしてしまったと聞き、頭を抱えたくなった。
——もう!
弁慶ったら何やってんの!
郷の方様にも、短慮は慎みなさいってクギを刺されたばかりなのに。
とはいえ、そうなってしまってはむざむざ討たれる訳にもいかず。
義経様は疑惑の元となった初音の鼓を持ち、数名の供と屋敷から脱出したという事だった。
そして静御前は…。
何とか弁慶を止めようと、一触即発のただ中へ単身飛び出して行ったのだという。
けれど結果的に間に合わず…伏見へ逃れてきたのだとか。
それを聞いて、何も言わなかったけど…言えなかったのだと思うけど、禅師様は真っ青になっていた。
そりゃそうよね。
私だって心臓ばくばくだもの。
ほんっとうに、静御前が無事で良かった!
***
これから先の事を主従で相談するというので、静御前と禅師様、私は部屋に戻った。
「…静!」
障子を閉めるなり、静御前に縋り付く禅師様。
「また無茶をして!
母の寿命を縮めるおつもりか」
言葉は叱責だけど、実際は涙声で…。
そんな禅師様の前に手をつき、静御前は頭を下げた。
「…私は止めたかったのです。
このまま九郎様が追い込まれるような事は、何としても避けたかった。
自害された郷の方様の為にも。
九郎様は八方塞がりに見えたあの状況でも、諦めずに和睦の道を探っておった。
申し開きが立つと所であったのに…弁慶殿のせいでそれも閉ざされてしまったが」
「それに、郷の方様に頼まれたのです。
九郎様を頼むと」
「…」
そう言われてしまっては、返す言葉なんかないに決まってる。
ズルイよ、静御前。
そんな風に言われたら、心配してたって言えなくなっちゃうよ。
「母様、ご心配をおかけした事は誠に申し訳なく思います。
しかし、これから静は更なる親不孝を申します。
先にお詫びしておきますが、どうぞご容赦ください」
顔をあげた静御前の目は、いつかのように澄んでいて…。
何を言われようと、一歩も引かない構えが見て取れた。
「私は九郎様と共に行きます。
都から離れると言うのなら、どこへでも。
どこまでもお供いたしたいのです」
「しかし…そなた、病の身でそのような事、出来よう筈がないではないか」
「なればこそ、です。
先が長くはないのなら、尚のこと九郎様と共にありたい」
無言のまま、見つめ合う静御前と禅師様。
私も二人の邪魔にならないよう、息を潜めじっと見守る。
やがて、深々と息を吐き出したのは禅師様の方。
「昔から、こうと決めたら何を言っても聞かぬ子であったな」
と諦めたように苦く微笑む。
「ついて行くからには、くれぐれも足手まといになるでないぞ。
むろん義経様のお許しが出れば、の話だが」
「…母様!」
涙ぐむ静御前の手を取り、髪を撫でる禅師様。
——静御前はもう、決めてしまっているんだ。
残りの人生全てを義経様に捧げると。
禅師様もそれがわかるから、敢えて反対はしないんだろう。
今は、静御前が居るから禅師様のお屋敷に置いてもらえてるけど。
私も決めなきゃいけない時が来たのかもしれない。
これから、どうすべきか。
何をすべきなのか、を。
一枚の絵にも似た光景を、最も近くで…そして一番遠くで見つめながら、そんな事を考えていた。