七宝法師という生き方①
天馬鬼葦毛がその白き大きな翼を広げ、天空の彼方へ消えたあと、炎と煙に包まれたその本能寺には不思議なことが起こっていた。
荒れ狂う猛煙と辺りを目もくらむようなオレンジ色で染め上げてゆく炎の波は激しさを増しているようにも思えた。けれどその肌を溶かすような熱さは露ほども感じない。
一寸先も分からない猛煙のなかにいてもその呼吸はまるで朝もやのなかに佇んでいるような感覚。
「おのれ光秀、たばかりよったか!」
妖術。信長がこの状況をそう捉えても決しておかしくない。この時代、実際に実在したか否かはともかく妖しきスキルの存在をまことしやかに語っていた武将が多くいたのは事実。
この魔王信長を筆頭に秀吉、家康、柴田勝家、松永正秀、そして明智光秀。 この時代の才覚に長けた主だった武将はみな、その得体のしれない妖しき力に興味を示していた。
特に信長には覚えもめでたく参謀的な役割を担っていた光秀は時の陰陽師や妖術使いとも結びつきは深く配下にはそれらしき人物も召し抱えていたらしい。 ゆえに、これは光秀が創り出した幻想であり信長をたばかるために妖術師をもって現出せしめたもの。そう信長が考えたのも何ら不思議ではなかった。
ただ、実際は信長の周り取り巻いているその世界は鬼葦毛が残していったもの。火達磨になる寸前のなか、残された僅かな霊力を搾り出し信長を一時的に異空間に押し込んだ。光秀の周到に用意された軍勢と相対し主君を救うだけのアビリティはもう彼には残されていなかったのだろう。異空間のなかでは時間は進まない。元々時が流れるという概念がない。霊力が解ければ現空間がどれだけ時が進もうが信長は天正十年の六月二日のあの日の意識を持って再びこの世に顔をだすことになる。
「 見つからぬのか!」
光秀のひときわ高い罵声が響く。 抜け目はないはず。首尾は完璧に近い形で遂行出来ている。ねずみ一匹取り逃がさないような布陣も整った。いないはずはない、光秀の低くしわがれた声に焦りの色が色濃く見えた。
「今一度見直せ!土を掘り起こせ!土蔵を壊せ!全てのものをわが目の前に晒すのだ! 」
もう夜が明けるという頃になっても焦土と化した本能寺のあとには信長の骸どころか骨のかけらも見つけることはできない。消し炭の如く転がる無数の仏像に軽く頭を垂れ手を合わせる光秀。
「いないはずはない」黙とうを捧げ手を合わせたまま今一度自らに問うようにそう呟いた。生き死にはともかくも信長がここに居る証が消えるはずはない。 何かある、光秀のこれまでの数々の修羅場で培ってきた鋭敏な触角が妖しき何かの存在を訴えているようだった。
「七宝法師をを呼べ!」
光秀の叫びが古都の朝もやのなかにこだまする。妖しきものには妖しき力をもって制す。光秀にとってはまだまだ単なるあやかしの類だった妖術というしろもの、宴の見獲物の枠を超えることは無かったまやかしの荒事がにわかに光秀のなかで大きなものに変わる。
「うおーーーっ! おおーーっ!」
予てよりの打ち合わせどおりあちこちで配下の者どもの雄たけびが上がった。天下取りはもう目前。信長の死を確固たるものとして世に示せれば明智の天下は磐石のものとなる。 ただ時のシナリオは容赦は無い。今日の内には一報が中国に留まる秀吉に届く。怒涛の中国大返し、なびかぬ有力大名、歴史の歯車がたたみかけるように明知光秀を締め出しにかかるだろう。
「全ては信長の首一つ」
その言葉が光秀のなかで呪文のように繰り返される まもなく夜が明ける。東山の稜線に薄っすらと光の帯がかかり始めれば京の都は動き始める。
「まぁ、そう焦り召さるな。まずは勝どきなど上げるのがよろしいかと」
七宝法師だった。
いつ来たのかさえも分からない。気がつけば光秀の足元に膝まづきその頭を垂れていた。身なりは麻布の小袖に手甲を巻き足には脚絆をつけた、どちらかといえば侍や法曹というより田畑を耕していれば似合うような百姓のような佇まい。ただ上目遣いにギロリと投げかけてくる視線と人を食ったような茫洋とした物言いにはその場の空気を一瞬にして支配してしまうような雰囲気があった。
「家臣の方々が白き翼の馬を見たと言っておりまする。おそらくそれは信長さまの駿馬、鬼葦毛と推察」
「おにあしげとな?」
「ははっ。不思議な馬とは聞き及んでいましたが、よもやかようまで妖しき魔力を持つ馬とは」
「七宝法師・・」
「ははっ」
「遠まわしに申すな。もう時はない、端的に申せ。親方様はどうなった、生きておるのか、死んでおるのか?」
「ふぅーむぅ」
法師はため息とも吐息とも取れる奇妙な声を漏らすと携えていた自分の背丈ほどもある杖を地面に打ち立てふわりと立ち上がった。
「では殿、お人払いを」
「それには及ばぬ。ここに控えるはみな我が腹心の者、あの世へと共にと誓った者ばかりじゃ」
「そちらはそうでもこちらはそうはいきませぬ。殿、どうかお人払いを」
「ええい、控えぬか、七宝!何様じゃうぬは!」
法師の下げた頭に他の五宿老の面々に先んじて斉藤利三の声が飛ぶ。
「ははっ」
ひれ付する七宝法師。けれど打ち立てた杖は離すことなくその目は四方を見渡す蜥蜴のごとく周りを伺う。
「まぁそう言うな利三。この際じゃ聞いてつかわせ」
「しかし殿、こやつ先ほどから殺気が滲み出て危のうて仕方ありませぬ。殿とお二人にするにはいかにも危なっかしい」
横から口を挟んだのは今回の夜討ちで真っ先に一番やりで火焔のなかに飛び込んだ安田国継、通称「作兵衛」。顔中を覆う夥しい火傷は彼の今宵の戦果を物語っているようだ。
「作兵衛、その殺気はこのわしに向いていると思うか?」
「・・・・」
「何かを感じているのじゃろう。この場で。わしらと違う何かを見ておるこの者は。そうじゃのう、七宝」
「御意」
身じろぎもせずただ頭をたれる七宝法師。ただやはりその漆黒に鈍く光る杖は地面に突き立てたままだ。
七宝法師。未だに彼を何者かを周りは計りかねている。邪心に捉われ外道の法力で人を化かすことに長じた為に彼は興福寺の僧を破門となった。 野に下り在野の法師となった彼は各地の大名の前で幻術を披露し仕官を請うたが声はかからず未だ浪々に身に甘んじている。




