第三話「山小屋近くの温泉で絶品すだちうどん」
手入れのされた樹林帯を抜けたら、そのまま直進。
分岐点の看板に従って右側の林道に入り、あとは茶色の屋根が見えるまで上を目指すだけ。
今日の私、鬼ノ小町は山にいます。
えっ、今日はキャンプじゃないのかって? いやいや、キャンプですよ。
ここは私の暮らしてる山とは別の山。原生林か岩かってくらい極端な私のいる山と違って、人間用に整備された登山コースが設けられてて、休憩用の山小屋まで建てられてる。
やー、木漏れ日あふるるブナ林をのんびり散策しながら登ってくとか、道?なにそれ?なうちじゃ考えられませんわー。
そしてこの山、というか山小屋が人間に人気の理由は、近くで湧いてる天然温泉に入れるから。今は時期外れらしくどの山小屋も閉鎖されてるんだけど、シーズンにはこの温泉目当てにやってくる登山客で、結構賑わうみたい。
温泉は私も好きだ。うちの山には無いから、入りたい時にはこうやってよそまで出掛けていく。
シーズン外で山小屋ともども閉鎖されてるのも、私たちにはむしろ好都合。
のんびり浸かって、ついでに無人の山小屋で湯上がり休憩させてもらおうってワケ。
単純に温泉を探すだけなら人間の町の方が手っ取り早いんだけど、大抵はホテルや旅館が建てられちゃってて一年中お客さんがいるから、妖怪には逆に利用しにくいんだよね。
その点、山の上まで温泉に入りにくる人間はもともと少ないし、シーズンオフなら尚更誰もいない。人気があるって言っても、あくまで登山客っていう限られた枠の中での話だし。
だからこういう僻地にある、無料で利用できる温泉は私たちの間で人気がある。
しっかし、鬼が温泉に入るのに人間から逃げるようにして山の上まで来なきゃいけない時代が来るなんてねー。
おばあちゃんが知ったら……いや、そこはあんまり昔から変わってないのかな?
その時、私だけだった温泉に誰かが入ってくる気配がした。
「おや」
「あら」
向こうさんは洗い場で、私は温泉の中で、お互いそっくりに目をぱちくりさせて固まる。
でも、すぐに状況を理解して笑い合った。
まさかのまさか、たまたま同日同時刻に妖怪どうしで入浴予定がブッキングするなんて。
こんな事もたまにはあるある。小さなハプニングもまた旅の醍醐味ってね。
この温泉は狭いので、ちょっと横に避けて場所を作ってあげた。
二人入ってしまうとかなりギリギリになる。さすがに三人目は入ってこないと思うけど。
「ふー」
「ふー」
狙ったように順繰りに息を吐く。
それが会話の始まりを告げる挨拶のようなもの。
どちらから、と向こうさんが聞いてくる。私は住んでる山の場所を教えた。
一度封を切れば、そこはわざわざ温泉目当てでこんな場所まで来る者どうし。自然と話は弾むばかりなり。
「へぇー、あっちこっちキャンプして周ってるんだ。今日もそうなの?」
「ううん、今日は温泉入りにきただけ。山暮らしだから、キャンプするなら町に近い場所が好きかな私は」
「最近人気だよね、キャンプ。わたしもハマってる奴知ってる」
隣の妖怪は、そう言って頭の上に突き出た耳をぴこぴこ動かした。
狐かな。それとも狸?
山神系は正直私にはみんな同じに見えちゃって、あんまり区別できない。
それ言ったら人間も年齢と男女くらいしか見てないけどさ。
「泊まりなら飯はどうしてんの? お弁当? 現地のお店?」
「基本は作ってるよ。キャンプ場で取れるものを使ったりして」
「作るんだ、すごーい! 大変じゃないの?」
「作るって言っても簡単なキャンプ料理だよ。そんな凝ってるメニューは作れないから……」
謙遜とかじゃなく、私の料理なんてプロから見たら大雑把だろうから、感心されるとちょっと照れくさい。
「あっ、そうだっ!」
山神っぽい妖怪はざばりと温泉からあがると、そのまま入り口をすり抜けて消えてしまう。
と思ったらすぐに扉が開いて、ずるずると大きな何かを引きずって戻ってきた。
何かっていうか、これ人間だわ。今は登山客はいないはずだから、登る前に取ってきたのかな?
「ね、これでなんか作ってよ!」
「え、ええー……いきなり言われても……」
「わたしも手伝うからさ、お願い! 小町ちゃんのキャンプ料理食べてみたーい!」
すごいぐいぐい来るな、この子。
ううん、ここにきての突然のリクエストか……。
床に伸びたままの人間を眺めながら、腕組みなどしつつ考える。
作ってあげる義理なんてないっちゃないけど、せっかくの縁なんだし、期待には応えてみたい。
「これ、血抜きはしちゃった?」
「ううん、さっき捕まえた時のまんまだよ」
服から出てる部分に触ってみると、まだ温かいくらいだった。ついさっきまで生きてたっぽい。
って事はこれ抱えてこんな場所まで短時間で登ってきたのか……猿なのかも。
とにかくこの人間は死にたてで、手も加えてない。よし、それならメニューは決まった。
私は温泉からあがって手早く身支度を済ませ、必要な道具を持って洗い場へ。
ここで備え付けの桶をちょっと拝借っと。
人間の頭を持ち上げて、桶の上に置いたら首を切る。たちまち血が流れ出して、桶が一杯になった。
うん、時間がたちすぎてると固まっちゃってるけど、これならいけそう。
「んじゃ、桶の中身をこの棒でぐるぐるかき混ぜて」
「混ぜるの?」
「うん、ぐるぐるぐるぐるひたすら混ぜる。
そのうち棒に赤い塊がこびりついてくるから、こそげ落として捨てて、また混ぜる。塊が付かなくなるまで繰り返してね」
「わかったー! 混ぜて捨てて混ぜる、だね」
ここは温泉の熱気が籠もるので、猿神ちゃんには外で作業してもらう事にした。
さて、その間に私も下ごしらえを済ませておかないと。まずはおばあちゃんの包丁で皮を丁寧に剥がし、同じく薄切りにした肉と並べて細長く切っていく。
根気のいる作業だけど、ここがおいしくなるポイントだから手を抜かないように。
内臓は余った肉と一緒に叩いて丸めて肉団子にする。骨は……今回は出汁を取るだけにしよう。
携帯式鬼火に鍋をセット。肉を削いだ骨を放り込んで茹でる。肉団子は、頭蓋骨を割って作った皿の上で焼く。
おっと、皿には皮膚の下から取った脂を塗って、焦げつき防止するのを忘れずに。
この辺りで猿神ちゃんが桶を抱えて戻ってきた。
「こんなもん?」
充分な撹拌の済んだ血液は、最初よりもさらっとしてる。
うん、上出来上出来。ちょうど鍋も沸いた。
「骨を鍋から取り出しましてー、そこにこの血をどーん!」
「え、固まっちゃわない?」
「大丈夫、固まらない。
スープが出来上がる前に、最後の支度をしておこう!」
私は持参してきたすだちを取り出す。
本当は焼いた肉に絞る予定だったんだけどね。さっぱりしておいしいのよ、これ。
沢山あるすだちを薄く薄く切っていく。この間に、猿神ちゃんが周りの片付けを進めててくれてる。気のつく子だ。
スープが再び煮立ってきたら、一旦火を止めて細長く切っておいた肉と皮を投入。
こんがり焼けた肉団子を乗せて、その上に薄切りにしたすだちを満遍なく被せていけば……。
「はーい完成っ!
鬼ノ小町特製、絶品すだちうどんでーす!」
「おおー!!」
猿神ちゃんは歓声をあげてから。
「……うどん?」
「うどんだってば」
そこに疑問を持ってはいけない。
人間の作る料理にイカそうめんっていうのがあって、それをヒントに考えてみた私のオリジナルだ。イカを細切りにしてそうめんって呼ぶんだから、人間を細切りにしてうどんって呼んでもいいじゃない!である。
すすりこめる細さに切るのにかなーり手間がかかるから、数えるくらいしか作った事ないんだけど……。
「まーいっか、食べよ食べよ! ずるずるずる……うん、おいしー!」
こうやってちょっと見てる側が恥ずかしいくらい喜んでもらえると、疲れも吹っ飛ぶなあ。
さて、私も鍋に向かうとしましょうか。箸は手頃な骨を適当に割ったやつだ。
人間の骨は数も種類も多いから、その場で道具を調達するのが楽で助かるよね。
ちなみに猿神ちゃんは素手で掴んですすり込んでいた。ワイルドすぎる。箸をもう一セット作って渡してあげた。
「……うん、すだちの風味がきいてる。
本当は冷やした方がおいしいんだけどね、今からだと時間がかかりすぎるから」
「あったかいのもいいよ! 肉団子も香ばしくておいしー!」
「ちょっとぬるくなってきたかな……火入れよ」
そうやってひとしきり食べて、味わって、お腹もだいぶ満たされてきた頃、猿神ちゃんがふと上を向いて言った。
この温泉には天井がないから、晴れ渡った青空と、そこへ向かっていく白い湯気が何にも遮られずによく見える。
「こうやって温泉に入って、おいしいうどん食べてられるのも、今の時期限定なんだよねー。人間が来始めちゃったら、わたしらは控えないとだし」
「限られた時期の贅沢だからこそ増す味わいもあるって、おばあちゃんが言ってたよ」
「来年また、みたいな?」
「そうそう」
くつくつ鳴き始めた鍋を、そっとかき回す。
この時期だけの極上温泉。その傍らにて、温泉仲間と共に鍋を囲んで語り合う。
うむ風流、風流。