これで終わり(あとがきとオマケ)
一年間ほったらかしてごめんなさい。あまり怖くなくてごめんなさい。一般的な話からかけ離れていて、ごめんなさい。
謝ることが多すぎて、ごめんなさい。
今回の話は長いあとがき(大半はオマケ)なので、最終話は事実上12話目になります。なので、今回の本文にはあまり幽霊は出てきません。読まなくても大丈夫です。
ここで一応、別れの挨拶をします。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。こんな埃とセンスのない文章に付き合っていただき本当にありがとうございました。
それから、特に怖いこともなく(とはいっても元列車事故多発地帯で嫌な目にあったが……)無事に高校を卒業できた。
そういえば、二十歳を過ぎてからは幽霊を見る機会はめっきり減った。でも、たまに感じるときもある。そういう時は大抵首つりだとか事故死の話がある場所だったりするから嫌になる。それと同時にかわいそうにも思える。
生きることは残酷で、人の屍の上を歩くようなものだが、それをしてでも生きていたいし、楽しいのだ。自ら死を選んだ人が未来永劫に渡って、思いが薄くなるまで嘆き続けるのを見るのはとても忍びなかった。
彼らはいつか消えていく。因縁の物や場所が消えたり、時間の経過で消えたり、幸運な幽霊は悩む原因が消失し消えていく。
ひょうきんであったり、怖かったりする見えない隣人が幽霊だと私は思っている。まあ、最近見えないから隣人とは言いづらくなったなあ。
ここまで読んでくださってありがとうございました。一年ほったらかし、ほこりをかぶった話を読んでくださって本当にありがとうございました。そして、あまり怖くなく、つまらなくてすいませんでした。
下のはオマケですので、読む読まないはご自由にどうぞ。
以下に私の長い独り言を書く。これから書くことは読んでも読まなくても、まったくあなたの人生に差しさわりはない。それどころか、時間の無駄だ。ここに書いたことはわがままな自分が脈略もなく書いた落書きだ。不愉快になられましたら、
それまでの私の人生は早足で休憩というものはなかった。物心ついたころから、日本語もどきの言語を話し、それでいて完璧に日本人の感性に馴染めないし、そもそも私は変人だ。それでいて、神様があともう一回り私の頭のネジをいじっていれば狂人でもあっただろう。私はどこに引っ越しても大きな団体には入れなかった。ましてや入ろうともしてなかった。それは少し寂しく、それでいて楽だった。そのくせ人を無警戒に信じた。だが、「この人」はと信じるとロクな人間ではなかった。たいてい、信じた奴からいじめられた。
こうして自分の小学校低学年時代は灰色になった。それから私は表面上は何も情動を出さない子になった。しかし、心の中は甘ったれだった。甘えん坊だった。寂しがり屋だった。でも同級生は信用置けなかった。どこかに壁を作った。自分一人で必要のない時にも壁を作った。自分自身でそれに気が付くときも、気がつかぬ時もあった。それでも作った。だから寂しくなった。寂しくて家以外に居場所はなかった。
小学校中学年になり、自分は生きるために暴力をふるった。僕は勝った。そして、一人一人に仕返しを行った。そうでなければ僕は生きていけないと思っていた。大抵のいじめっ子は僕が反逆すると目を白黒させ「どうして?!」と困惑と驚きの顔を僕に向けた。
いじめっ子にしてみれば大変な不幸だ。二年間、面白半分に退屈しのぎに、朝に挨拶がてらにからかい、昼に小突きまわし、夕に嫌がらせをし、生意気を言ったので放課後に泣かせ、その後友人と日が暮れるまで遊んで、宿題をし、飯を食い寝る。それが日課となり、自分の立場を作っていたのだ。
そんな順風満帆の日々に、二年間何もしなかったモノ(いじめられっ子)が死ぬ気で自分に反抗してくるのだ。さぞ怖かったろう、むしろいい気味だ。
そうやって、僕は安寧を手に入れた。
その後、中国に行き大人の汚い世界と「日本人」という身分と外見で区別され差別された。そして、父は会社から「しね」と言われた。兵隊はその職業柄「死ね」と命令されることもあるだろう。しかし父はサラリーマンだ。断じて「死ね」と言われる立場にない。会社のくだらない隠し事のためになぜ父は「しね」と言われなければならなかったのか?
子供心に私はサラリーマンになれなくなった。私は「企業兵隊」になれなくなった。
私は大人になっても絶対にサラリーマンをしないであろう。現在私は農家になろうとしている。
今や、私は人を心底信用できなくなり、嘘笑いをし、それを演劇部で本物っぽくし、顔に笑顔を張り付けて生きている。高校時代は部活一筋で過ごし、初めて命の危険が少ない日々が過ごせるようになった。日常はとても素晴らしかった。でも、物足りなかった。自分が生きているかどうかを確認できなくなってしまった。自分は軍服を着用するようになった。
高校時代はよく帰りの遅い野球部に幽霊と間違われた。今は大学で驚かれている。
普段から軍服を着ているので、「私は戦争が好きだ」という野郎に間違われる。私は戦争が大嫌いだ!!
戦争がなければ、中国はもう少し住みやすく過ごせただろう。戦争なければ、父は死にかけなかっただろう。戦争がなければ母がつらい目にあわずに済んだだろう。戦争がなければ、自分は変な罪悪感を負う事もなかっただろう。戦争がなければ、罵りあう事もなかっただろう。戦争がなければ、中国は日本を憎悪の対象にしなかっただろう。戦争がなければ、僕は中国人を殺したいほどに憎いとは思わなかったはずだ。戦争がなければ、僕は軍服を着なかっただろう。
もちろん、すべてが戦争のせい、中国人のせいだとは思ってはいない。しかし、憎悪の感情は澱のように自分の中に沈澱してくる。
自分の姿を見る者には、自分の不細工な軍服姿を見て笑って欲しい。日常生活とは別なもんだと思って欲しい。そして軍服がこの世から亡くなってほしい。でも、昔に軍服が大真面目に着用されていたことを知ってほしいとも思っている。
そして私は、幽霊になりたかった。しかし、自殺者の末路は、無念を残して死んだ者を見た後では死ねなかった。それに生きていてなかなかに楽しかったからだ。
飯を食うのは楽しいし、彼女と手をつなげば心が高鳴る、友人と馬鹿話をすれば笑える、畑に出て草むしりやハウス作りをすれば太陽が拝める、冬は自分の部屋に引きこもり本や映画を観れる、これらの事が楽しくないわけがなかった。
私は昼は人生を謳歌し、夜は昼に抑えていたものが噴き出して変質者になってしまう。
危険がない日常のなんと味気ないこと。アドレナリンが作り出す刹那の興奮はどんな憂鬱な気分も吹き飛ばし、自分が存在していることを思い出させてくれる。
私は崖から滑落した時は、落ちながら呑気に「九死に一生スペシャルの再現VTRみたいだなあ」とか考えていた。また、山の上で雷に当たりそうになって走っている時も恐怖とともにぞくぞくした。車と追いかけっこもスリリングだ。
それらの危険に直面している最中は恐怖と興奮で血が踊り、いい気分になれた。はっきり言って中毒だ。
なので、私はひどく不安定で安定している。いつまでも、こんな馬鹿をやってはいけないだろう。でも、気持が定まるまで私は幽霊もどきとして軍服を着続けよう。