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SS:あなたに逢えて良かった【中編】

 十九年の間、クリスティーナにとって『誕生日』は楽しいものではなかった。

 正確を期すならば物心がついて以来の十五年ほどだけれども、それでも、クリスティーナの誕生日を祝う会は父が顔を広めるため、新しい取引相手を捕まえるための場であって、彼女を喜ばせようと意図されたものでは、なかった。


 技巧を凝らしたピアノを奏で、粟立つ肌を笑顔でごまかしながらダンスを踊る。

 そうすることは義務であって、楽しむものではなかった。


 でも。

 二十回目の誕生日は。


 ただ生まれたというだけの日を祝ってもらうことがこれほど幸せで楽しいことだとは、クリスティーナは思ってもみなかった。

 子どもたちにねだられるままピアノを弾いて、優雅で複雑なステップなんて考えずに音楽に合わせて飛び跳ねて。

 おもねるための笑顔ではなく、自然と、心の底から笑いが込み上げた。

 二十年目にして初めて、誕生日という日の特別さを知った。


 だから、マクシミリアンにも同じように思って欲しい――クリスティーナの手でそう思わせたいと、思ったのだけれども。


「お誕生日を、ご存じない……」

 クリスティーナは小さくため息をこぼした。


 確かに、幼いころに親と別れてしまえば、そうなってしまうのも当然だ。


 あの後――マクシミリアンに自分の誕生日は知らないのだと打ち明けられた、後。

 孤児院の子どもたちはどうしているのかとギョームに訊いてみた。すると、子どもたちが孤児院に来た日を誕生日としているのだと返された。

 実際、子どもたちにとってはあそこに引き取られた日は特別で、幸せで、祝うべき日なのは間違いない。


 それならば。


(マクシミリアンさまにとっては、いつがその日なのでしょうか)


 クリスティーナはマクシミリアンのハンカチに刺繍をしていた手を止めて、窓の外を眺めた。


 いったい、一年間、三百六十五日の中で、いつが、彼にとってかけがえのない日なのだろう。

 ――彼にとって唯一無二の、特別な日は。


 クリスティーナはマクシミリアンと過ごした一年間を振り返ってみる。正確にはまだ一年間には満たない、十一ヶ月間を。

 マクシミリアンはいつでも穏やかに微笑んでいるから、どんな時に特別嬉しい気持ちになるのか、どんな時に幸せだと感じているのか、さっぱり判らない。想いが通じ合った今では以前のようなよそよそしい笑顔を浮かべることはなくなったのだけれども、常にその温かな笑顔のままだから未だに気持ちの変化を読み取ることが難しい。

 もう三日ほど考えているというのに全く良い考えが浮かばなくて、クリスティーナはどうしようかと思案する。


 ここはやっぱり、マクシミリアンのことをよく知る人の意見を聴くべきか。

 となると、思い当たるのは一人――アルマンだ。


 クリスティーナは壁に掛けられた時計を見遣る。

 午後のお茶も終わった時間で、ちょうど今なら、彼も手が空いている頃合いだろう。


 クリスティーナはハンカチを置いて立ち上がる。

 マクシミリアンと一緒にいないときは、たいてい、アルマンは書斎の隣の控えの間にいる。

 そこにいてくれれば良いなと思いながら赴くと、果たして、彼はそこにいた。


 扉を叩いて返事を待って、中に入ったクリスティーナを見た途端、アルマンは目を丸くする。

「クリスティーナ様、お呼びになってくだされば伺いましたのに」

 そう言いながら立ち上がって椅子を進めてくるのに従い、クリスティーナは少し硬めのそれに腰を下ろした。この部屋には他に椅子はないらしく、アルマンは一歩分ほど下がって膝を突く。


「で、どうされたんですか? 僕にご用なら、当然マクシミリアン様のことですよね。また、クリスティーナ様がお困りになるようなことをなさったのですか?」

 眉間にしわを寄せてほぼ断定する口調でそう言ったアルマンに、クリスティーナは慌ててかぶりを振る。

「いいえ、違います。マクシミリアンさまは何も……ただ、訊きたいことがあって」

「ご質問。何でしょう?」

 目をしばたたかせて、アルマンが首をかしげた。


「その、マクシミリアンさまにとって特別な日、というのはないのでしょうか」


「は?」


「あの、マクシミリアンさまにとって大きな転機になった日とか……」


 こんな曖昧な質問では、アルマンを困らせてしまうに違いない。

 とは言え、どんなふうに伝えたらよいものか。


 首を捻って伝え方を考え出そうとしていたクリスティーナに、アルマンの声が届く。

「三つくらいありますけど」

 彼女はパッと顔を上げて彼を見る。

「いつですか?」

「初めてクリスティーナ様のことをご存知になった日と、クリスティーナ様と結婚なさった日と、クリスティーナ様とお気持ちが通じ合った日です」


 つらつらと流れるように出てきたものは、全部、クリスティーナ絡みだ。


「……そんな日が?」

 それほど、大事な日だろうか?


 半信半疑で眉をひそめるクリスティーナの前で、アルマンは力いっぱい頷いた。

「お疑いなら、直接お訊きになってみては?」

「それは……」

 できたら驚かせたいから、内緒でことを進めたい。


 口ごもるクリスティーナを愉快気に眺めていたアルマンがにっこりと笑う。

「まあ、とにかく。マクシミリアン様にじかにお訊きになってもやっぱりクリスティーナ様関係のことが返ってきますよ、きっと」

「そう、でしょうか」

「間違いありません」


 アルマンがそこまで断言するのなら、そうなのかもしれない。


「わかりました。ありがとう、アルマン」

 思案にふけりながら椅子から立ち上がり、クリスティーナは彼に礼を言った。そんな彼女に、アルマンはくすりと笑う。

「どういたしまして。うまくいくといいですね」

 部屋を出ようとするクリスティーナを戸口まで送ったアルマンは、まるで彼女が何をしようとしているのかすっかりお見通しの口調で、そう言った。


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