SS:闇の中の光
『再会』と『壁の崩壊』の間
「――ッ」
マクシミリアンは口を突いて迸りそうになった悲鳴をかろうじて喉の奥に押しとどめ、暗闇の中で大きく目を見開いた。
夢の名残で、まだ心臓が激しく打ち鳴らされている。額に汗が浮いているのに気づいて拭うために手を上げると、そこもジトリと濡れていた。
頭の中に溢れているのは、苦痛と屈辱の記憶だ。
物心ついた頃から、それはずっと彼に付きまとってきた。物心ついた時から増え続け、新たなものが刻まれなくなったのは、彼が十八の時――彼自身の手で、終止符を打った時。
マクシミリアンを養子にした男は、十代の少年を好んだ。性的な欲求を満たす行為だけでなく、その肌に男の所有物であるという証を刻むのも、好きだった。
男がマクシミリアンを養子にしたいと言ったとき、すでに彼は男の性癖を熟知しており、ただ跡継ぎになるだけではないだろうことは解かっていた。
それでも男の申し出を受け入れたのは、少しでもマシな生活を望んだからだ。
――果たして、本当に『少しでもマシ』だったのかは、未だに判らない。
男はその手で、言葉で、執拗にマクシミリアンを引き裂いた。
そうすることで、彼の全てを手に入れようとしたのかもしれない。
確かにマクシミリアンは今でも男に囚われている。こうやって、あの男の為したことに、今でも慄いている。
あの男を思うたび、全ての負の感情が押し寄せてきて、目の前が真っ暗になる。
これをあの男に囚われていると言わずして、何と言おう。
そこから抜け出そうとして抜け出せず、また自分自身とあの男に憎悪と嫌悪を抱く。
マクシミリアンは奥歯を噛み締め、ふつふつと込み上げてくるそれを胸の奥の箱へと押し込めようと試みた。だが、形を持たないおぞましい化け物のように、どんなに押し潰してもするりと表に出てこようとする。
彼は首を巡らせ、闇の中で目を凝らした。
次第に目が慣れ、白い顔がぼんやりと見て取れるようになってくる。
隣に眠る彼女は、こうやって夜中にふと目覚めたマクシミリアンが目を遣るといつも、彼の方を向いていた。まるで、悪夢を見る彼を、見守ろうとでもしているかのように。
手を伸ばし、指先がふわりと丸い頬に触れる寸前で、止める。手背を彼女の寝息がくすぐった。その温かさで彼女を感じて、マクシミリアンはホッと小さな吐息をこぼす。
彼女に、触れたいと思う。
だが、彼女に触れてはいけないと思う。
この腕の中に柔らかな温もりを感じていれば穏やかな眠りを手に入れることができるかもしれないと焦がれながら、そうすることは許されていないのだと理解している。
彼女はマクシミリアンが手に入れたものの中で唯一無二の『善きもの』で、決して穢してはならない存在だ。
毎晩のように悪夢で目覚め、そのたびに彼女を見つめる。
何度も何度もそうしてきたのに、彼女がここに――彼の隣に在ることが、今でも信じられない。
何度も何度もそうしてきて、そのたびに喜びを覚え、それを上回る罪悪感を覚えてきた。
「貴女は、私の光なんだ」
マクシミリアンは自分の耳にだけ届くほどのかすれた声で、囁いた。
彼女は、彼を照らす唯一の光だ。
美しく、清らかな、光。
この世がどれほど穢れたものなのかを知らない彼の妻は、知った時、いったいどんな顔をするのだろう。
無数の疵が刻まれたマクシミリアンの醜い身体を目にしたとき、汚濁に満ちた彼の過去を耳にしたとき、いったい、何を思うのだろう。
いつかは、全てを彼女に告げなければならない。
そうして、彼女が望めば、彼女を手放さなければならない。
たとえそれが我が身を引き裂かれるよりもつらいことでも、成し遂げなければならない。
マクシミリアンは束の間ためらい、柔らかな金色の髪をそっと摘まむ。
これくらいなら、許される。
これくらいなら、許して欲しい。
――そう願いながら、彼はそれを唇に寄せた。
ふわりと漂う、甘い香り。
ほんの少しだけそれを吸い込み、彼は目を閉じる。
夜明けは、まだ、遠い。
次からは後日譚的なものにします。できるだけ幸せな感じで。