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招かれざる客①

 一年間の最後の月に入った。


 マクシミリアンと初めて出会ったのは、五月。そのひと月後には、もうこの屋敷に身を置いていた。

 そうしてふと気付けば、それから、もう半年が過ぎている。


 その半年の間に、ずいぶんと色々なことがあったような気がする。


 マクシミリアンから求婚された時には、全然、先が見えなかった。

 優しく微笑んでいるのに厚い氷の壁があるように思わせた人の妻になるということを、ただ、父の命として受け入れただけだった。ただ、所有者が父から夫に代わるだけなのだから、と思いながら。

 ただただ受容しただけの人が、これほどに自分の中で大きな位置を占めることになるなんて、半年前のクリスティーナには、想像すらできていなかった。


 もう、彼女にとって、マクシミリアンは誰にも代え難い人だ。

 今また父から別の男に嫁げと言われても、クリスティーナは決して応じないだろう。


(夫として一緒に過ごして来たから? それとも、マクシミリアンさまだから?)

 クリスティーナは、自分の心に問いかけてみる。

 毎日夫と妻として時を過ごしていれば、誰に対してもこんなふうに感じるようになるのだろうかと。


 答えは、『否』だった。


 きっと、夫がマクシミリアンだから感じることだ。マクシミリアンだから、特別な人になったのだ。

 月日を経るごとに、マクシミリアンと同じ時間を過ごすごとに、もっと彼に近付きたくなる。

 未だに二人の間に残っている、透明な壁を越えてその手に触れたいと請いながら。

 いつか、そうできる日が来ることを、心の底から願いながら。


 ――クリスティーナの日々は過ぎていく。


「毎年、年の暮れには社の者や屋敷の皆を労うパーティーを開いているんだよ。今年もそろそろその時期なのだけど」

 冷え込みが強くなってきた冬のある日、夕食の席でマクシミリアンがそう切り出した。

「皆さんを?」

 パチリと瞬きをして首を傾げたクリスティーナに、マクシミリアンが頷く。

「そう。年越しの休みに入る前、中旬くらいにね、しているんだ。ごく内輪のもので、屋敷の者や社の従業員を招くんだよ。社の者は、流石に全員、というわけにはいかないけれどね。ラルスの本社の者は、大体来るんだ」

「それは……楽しみです」

 クリスティーナはうつむいて、無意識のうちに膝の上のナプキンを畳み、また開きながら答えた。


 楽しみだというところは心の底からの言葉だけれども、正直なところ、どんな会になるのか彼女には想像もできない。ヴィヴィエ家では使用人をパーティーに参加させるだなんて、とんでもないことだったから。


 若干口ごもったところを誤解したのか、マクシミリアンが首をかしげる。

「パーティーと言っても気楽なものだよ。皆が適当に準備をするから、貴女は当日を楽しむだけでいいんだ」

「あ、いえ、よろしければ、わたくしも何か手伝わせていただきたいです」

 誤った印象を与えてしまったことに気付いたクリスティーナは、その会のことを喜んでいるのだということを伝えたい一心で、パッと顔を上げた。


「マクシミリアンさまが皆さんの労を労うとおっしゃるなら、わたくしも何かさせていただきたいです」

 目を輝かせて訴える彼女を、マクシミリアンは一瞬見つめ、そして柔らかく微笑んだ。

「ティナがしたいようにすればいいよ。ああ、そうだね。嫌でなければ、ピアノを弾いてあげると皆喜ぶと思うよ。メイドたちがね、貴女のピアノが聴こえてくると仕事がはかどると言っていたから。曲に乗って勝手に身体が動き出してしまうんだって」

 クスクスと笑いながらマクシミリアンが教えてくれたことに、クリスティーナの胸がパッと浮き立った。それは、どんな美辞麗句よりも気持ちが伝わってくる誉め言葉だ。

「まあ……そんなふうにおっしゃっていただけるなんて、光栄です」

 嬉しさで、クリスティーナの頬が温かくなる。満面の笑みを浮かべてマクシミリアンを見ると、彼も優しく微笑み返してくれた。

「ティナのピアノは、ただ『巧い』というだけではないからね。すごく……貴女らしいと思うよ」


 彼女らしいとはどういうことなのかと思いつつ、クリスティーナはふとある提案を思い付いた。


「あの、マクシミリアンさま」

「何だい?」

 彼は肉料理を切ろうとしていた手を止めて、クリスティーナに目を向けた。

「子どもたちも、呼んでもよろしいでしょうか」

「子どもたち? ギョームのところのかい?」

「はい」

 こくりと頷くと、マクシミリアンは少し考えるような風情になった。

「あちらはあちらで、いつも同じ頃にパーティーを開かせているのだけれど……」

「そうなのですか?」

「ああ。もうじき、お招きがあると思うよ? ここで開く会は少し時間も遅いし、多分、別々にした方がいいんじゃないかな」

 首をかしげてそう言われ、クリスティーナは思わず頬を赤らめた。マクシミリアンが子どもたちのことを考えていないわけがない。彼女に言われずとも、もちろんとっくに手を打っているだろう。

「そうですね。失礼いたしました……」


 出過ぎたことを言ってしまったと肩を縮めたクリスティーナに、マクシミリアンは器用に眉を片方持ち上げる。


「どうして謝るの?」

 そうして、クスリと笑った。

「貴女が子どもたちのことを気にするのは当然のことだろう? たくさんあるティナの良いところの中で、一番私が好きなところだよ。貴女が彼らのことを言い出さなかったら、むしろ、どうしたのだろうと思ってしまうよ。そういうことを、もっとどんどん言って欲しいな」

 叱責を受けるどころか励まされ、クリスティーナの頬が今度はさっきとは違う熱で熱くなる。最近は、いつもこうだ。彼の些細な一言にすぐ反応してしまう自分が恥ずかしい。

 クリスティーナに肯定的な言葉をかけることがなかった父とは正反対に、マクシミリアンは立て板に水のように『好き』やら『良い』やらを口にする。深い意味はないと判っていても、彼女は嬉しくて、そして少し気恥しくなってしまうのだ。


 クリスティーナは火照った頬をごまかそうと、自身も料理にナイフを入れながら話を変える。

「あの、子どもたちと言えば、最近シリルを見かけないのですが、どうしたのかご存知ですか?」

 最近、というよりも、最初に孤児院に行ったときに再会してから、それきり会っていない。子どもたちに訊いたらよそに行ったという答えしか返ってこないし、ギョームはとても忙しそうで個人的なことで声を掛けるのはためらわれる。


 特に深い意図もなく発した問いにマクシミリアンから返されたのは、沈黙だった。

 聞こえなかったのだろうかと目を上げれば、彼は料理に目を落としていて、ナイフとフォークを握った手はピクリともしない。


「マクシミリアンさま?」

 少し声を大きくしてもう一度呼びかけると、それから一呼吸おいて、彼の目がクリスティーナに向けられた。


「ああ、シリルね。あの子は、ル・アールに行ったよ」

「ル・アールに、ですか?」

 クリスティーナは首をかしげて繰り返した。

 そこはラルスよりも西にある、港町だ。


「どうして、そこへ?」

 訊ねた彼女に、マクシミリアンはまた料理を切り始める。クリスティーナと話している途中で彼が他のことをし始めるのは、あまりないことだ。なんとなく、視線を避けられたように感じられたのは、彼女の気の所為だろうか。


 内心眉根を寄せるクリスティーナに、マクシミリアンがいつもと変わらない朗らかな声で続ける。

「あの子は船での仕事をしたいらしくてね。体力も付いてきたことだし、そろそろ何かさせてもいい頃合いかと思って。しばらく前に出航した船に、雑務をさせる為に乗せたんだよ」

「そう、だったのですか」


 あの少年から市井のことをもっと色々聞かせてもらいたいと思っていたけれど、そういうことならば仕方がない。


「どのくらい出ているのですか?」

「そうだね――二年か、三年かな」

「ずいぶん、長くかかるのですね……」

 遥か遠くの異国との遣り取りが主なサン・ブニュと違って、ル・アールの方は比較的近海を回る船が出入りすることがほとんどだと聞いていた気がするけれど、クリスティーナの記憶違いだったようだ。

 ほとんど言葉を交わしてもいないけれど、数少ない知り合いが離れて行ってしまうのは、やっぱり少し寂しい。

「きっと、今度お会いしてもすぐには気付きませんね」


「そうだね」


 短い肯定、ただそれだけ。

 いつもならば、温かな慰めの言葉をくれるところだと思うのだけれども。


(お疲れ、なのかしら)


 少し前まではそんな素振りは欠片も見せていなかったけれど、今のマクシミリアンは何かが何となく違う。年末年始で長めの休みに入るから、仕事が立て込んでいるのかもしれない。そう言えば、父のコデルロスもこの時期はいつもピリピリしていた気がする。

 マクシミリアンは元々いつも忙しくしている人なのに、更に仕事が詰まってきているなら、こうやってクリスティーナとゆっくり食事をする時間を取ってくれるのも、実は大変なことなのかもしれない。


(無理をなさっていらっしゃらなければ良いのですけれど)

 心配になってクリスティーナがマクシミリアンのことをジッと見つめていると、その視線に気付いたのか、彼がふと顔を上げた。


「どうかした? そんなに見つめられていると、火が点いてしまいそうだよ」

「も、申し訳ありません」

 自分が不躾なことをしていたことにハタと気付いてクリスティーナは慌てて謝罪を口走ったけれども、その声は心持ち裏返ったものになってしまった。また、カッと顔に血が上った彼女に、マクシミリアンが微かに笑う。


「ティナが私を見つめてくれるのは大歓迎だけどね、貴女の料理が冷めてしまうよ」

 笑みを含んだ声と眼差しでそう言った彼はもういつもと何も変わらなくて。

「はい……」

 クリスティーナは頷いてナイフとフォークを持つ手に力を入れ直した。


 食事を口に運びながらチラリチラリとマクシミリアンに目を走らせても、もう違和感は覚えない。彼は優雅な仕草で皿の上のものを平らげながら、その日あったことなどを話してくれている。


(わたくしの、気の所為?)

 それなら構わないのだけれども、クリスティーナの胸の中には何か小さなものが引っかかったままだ。

(それとも、この席での、わたくしの行為の何かがお気に障ったの?)


 もう一度、マクシミリアンを見る。

 そんなふうには、見えない。


 夫の柔らかな物言いと楽しげな声に耳を傾けながら、彼女はこっそり吐息をこぼした。


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