第59話『最後の修羅場』
「誠に申し上げ難いのですが…」
診察を終えた医師は、気まずそうに話を切り出す。
「何よ!いいから、早く教えてちょうだい!!あたしは…こんなところでいつまでも油を売っている暇なんてないんだから!」
澄江にせがまれ、半ば強引に病院へと連れて来られた知香子は、医師に食ってかかった。
さっきまでの鋭い痛みは、すでに収まっている。一刻でも早く、愛実の元に駆けつけたかった。
「詳しい検査をしなければ正確には断言出来ませんが…恐らくは、かなり進行した胃癌だと思われます」
「まあ、何てことなの!?」
知香子に付き添っていた澄江が、そう言って口元を押さえる。さすがの知香子も、愕然とした。
「…そ、それで…あたしの命は、あとどのくらい持つって言うの?」
声を震わせ尋ねる。
「それは…先ほども申し上げた通り詳しい検査を…」
「ごちゃごちゃ言ってないで教えなさいよ!あんた、医者なんでしょう?あたしは…あとどのくらいの命なのよ!!」
返答を躊躇う医師の言葉を、知香子の怒号が遮った。医師に掴みかかり、首を締め上げる。
「さぁ、言いなさい!」
鬼の形相で、医師を恫喝した。
「お、恐らくは…もってあと半年ぐらいかと……」
知香子の剣幕に押され、医師が告げる。
「いやぁ~!!!!」
澄江が泣き崩れた。
知香子は、医師を締め上げていた腕から力を抜く。
「そう…そうなのね……」
そう言って、苦しそうに咳き込む医師を解放した。そのまま、診察室を出ていこうとする。
「く、倉内さん…どちらへ!?」
「言ったでしょう。あたしには、いつまでもこんなところで油を売っている暇なんてないのよ!!」
医師に背を向けたまま、知香子は答えた。
「…でも、今のあなたは普通の体じゃないんですよ。今すぐにでも、治療を開始しないと…」
「完治しないなら、意味がないわ!どの道死ぬんだったら…あたしは、あたしのやりたいようにする。死に様ぐらい、自分で決めるわ!!」
知香子は、そう言って診察室を飛び出す。澄江の啜り泣きが響いた。
〈病魔は、知香子の体の奥深くまでもを蝕んでいた。自らの死期を悟った知香子は、一路山梨を目指す。愛実に会いたいという、その一心で。
姉妹の愛憎劇は、ついにその最終決戦を迎えるのであった。〉
「ママ!!」
愛実は、知永子にしがみつく。知永子の胸で泣きじゃくった。
「愛実…ママを、許してくれるって言うの?」
ベッドの上で半身を起こした知永子が、愛実に尋ねる。
「明生おじちゃんが…教えてくれたの。ママは、悪い人なんかじゃないって…」
愛実は、涙で言葉を詰まらせながら言った。
「愛実…」
「まだ、愛実にはちゃんと解らないけど…ママは、パパとの愛を貫くために…どうしようもなかったんでしょ」
知永子に問いかける。
「そうね。あの時のママには…それが、逃れられない運命だったのよ。でも…そんなこと、とても愛実には言えなくて……。愛実、あなたには本当に辛い思いをさせてしまって…ごめんなさいね」
知永子は、愛実に詫びた。愛実は、涙に濡れた顔を振る。
「愛実も…勝手に出て行ったりして、ごめんなさい」
「いいのよ。愛実はこうして…ちゃんとママに、会いに来てくれたんだもの」
知永子も涙を流しながら、愛実を抱き締めた。
ふたりの様子を見届けた明生は、黙って病室を後にする。
煙草を吸うため外の喫煙所に出た明生は、そこで予想外の人影を目にした。知香子である。
「あんた…一体何でここに!?」
明生はそう言って知香子を制止しようとしたが、知香子に振り切られた。明生を置き去りにして、知香子は病室へと駆け込んで行く。
「ママ…愛実、決めたの。これからは…ママと生きていくって…」
知永子の膝に頭を乗せながら、愛実は誓った。
「本当に…愛実はそれでいいの?ママは、愛実には何もしてあげられない。これからも、きっと寂しい思いばかりさせてしまうに違いないわ」
愛実の髪を撫でながら、知永子は尋ねる。愛実は、しっかりと頷いた。
「うん。それでも愛実は、ママと一緒にいたい。だって…愛実とママは、母娘なんでしょう」
「…愛実、ありがとう。ママは…嬉しいわ」
愛実の言葉に、知永子は必死に微笑んで見せる。
「ママ…」
「愛実…」
母娘は互いの顔を見つめ合い、ひしと抱き合った。
「そうはさせないわ!!」
ふたりの抱擁を、知香子の叫びが切り裂く。
「ち、知香子…」
「マ、ママ…」
愛実は、咄嗟に知永子の影へと隠れた。瞬間、知香子の顔が苦し気に歪む。
「さあ、愛実。帰るわよ。ママと一緒に、お家に帰るの!」
自らの感傷を振り切るように、知香子は愛実に命じた。しかし、愛実は激しくかぶりを振る。
「嫌!愛実は帰らない。知永子ママと…一緒に暮らすって決めたんだもん!!」
「…知香子。もうわたしは迷わないわ。愛実と…この娘と生きていくのよ」
知永子は、愛実を庇いながら知香子に宣った。知香子の瞳に、夜叉が宿る。
「何を言ってるの!?愛実のママは、あたし…このあたしだけよ!!」
「止めろ!もう諦めるんだ」
駆けつけてきた明生が、後ろから知香子を羽交い締めにした。
「離しなさいよ!部外者のあんたに…一体何が解るって言うのよ!!愛実は…あたしのたったひとりの娘なのよ」
明生に押さえつけられながら、知香子は喚き散らす。
「いい加減、認めたらどうなんだ。愛実が選んだのは、あんたなんかじゃない!あんたの愛は…実の母娘の絆に負けたんだよ!!」
その言葉に、知香子は絶叫した。人間離れした力で、明生を突き飛ばした。明生は、もんどり打って倒れ込む。
知香子は、血走った目で知永子を睨んだ。
「あんたなんか…あんたなんか、死ねばいいのよ。あたしが、この手で息の根を止めてあげるわ!」
そう言って、知永子に掴みかかる。動物的な激しさで、知永子の首を締め上げた。
「知香子ママ!止めて!知永子ママを、殺さないで!!」
愛実は、泣きながら知香子の腕にしがみつく。
「この女を…ママだなんて呼ばないで!!愛実のママはこの世でただひとり…あたしだけなのよ!!」
知香子は絶叫して、愛実を振り払う。
バランスを崩した愛実は、窓ガラスの方に倒れ込んだ。そのまま、激突する。
「愛実!!」
知永子と知香子は、同時に叫んだ。
しかし、無情にも粉々になったガラスの破片が、愛実へと降り注ぐ。愛実の悲鳴が響いた。
つづく




