第57話『奪い返された絆』
「愛実!会いたかったわ!!」
知香子に促されてドアを開いた愛実を、知香子は抱き締めた。
「…ママ。何で、ここに!?」
知香子の胸の中、愛実は問いかける。
「愛実がここにいるって、教えてくれた人がいるの。ママ、居ても立ってもいられなくなって、飛んで来ちゃったわ」
知香子は、涙を流しながら愛実の髪を撫でた。ふいに、愛実の胸に知香子への懐かしさがこみ上げてくる。
「あの時は…何にも言わずに家を出ちゃってごめんなさい……」
「…いいのよ。こうしてちゃんと、出会えたんだもの」
言いながら、知香子は愛実の体の隅々までを眺めた。二年ぶりに再会した、娘の成長を噛み締める。
「さあ、帰りましょう」
そう言って、愛実の手を握った。
「で、でも…」
「おばあちゃんのことなら、もう大丈夫よ。ちゃんと、ママが叱っておいたから。それに、愛実のお世話をしてくれるお手伝いさんを雇うことにしたの」
「ううん。そうじゃなくて…」
愛実の言葉に、知香子の目の色が変わる。
「……お姉ちゃんのこと?」
「うん…」
愛実は、言いづらそうに目を逸らしながら頷いた。
「あの女は、愛実の母親には相応しくないわ!ママも…まさかあんなこと、愛実にだけは知られたくなかったから…ずっと黙っていたんだけど……。あの女は…愛実のことを騙して連れ出した、悪い女なのよ!!」
愛実に言い聞かせるよう、知香子は宣う。愛実は黙り込んだ。
「それとも…愛実は自分を騙し続けてきたあの女のことを、許せるとでも言うつもり!?」
知香子は、愛実のことを肩を激しく揺さぶる。
「…ママのことは、許せない。あんな…大事なことを愛実に黙ってたなんて。愛実…人殺しの娘って言われたんだよ」
「でしょう。ママなら…愛実にそんな思いはさせないわ。たとえ、どんなことがあっても…愛実のことを守り抜いて見せる。ママにとって愛実は、自分の命も同然なのよ!」
言いながら、愛実を強く抱きすくめた。
「ねぇ…お願いだから、ママの傍に戻ってきてちょうだい!愛実がいなかったら…ママはもう、生きてなんていけないのよ」
愛実の肩越しで、知香子が懇願するように囁く。愛実はしばらくの沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
愛実の応えに、知香子は泣き笑いをする。より一層強く、愛実を抱き締めた。
短い外出を終えてアパートに戻ってきた知永子は、愕然とした。鍵は開け放たれ、愛実の姿が見えない。
「…愛実。愛実、一体どこに行ってしまったのよ……」
半狂乱になった知永子は、言いながら部屋中を探し回った。明生が、背中から知永子を押さえ込む。
「落ち着くんだ。もしかしたら、散歩にでも出ているのかも知れないだろう…」
「そんなはずはないわ!今のあの娘に…そんなことが出来るはずないじゃない!!」
明生の腕の中、知永子は喚き散らした。体の震えが止まらない。
「でも…」
「知香子よ!知香子が…愛実を取り戻しにきたんだわ。今も…知香子の執念が、この部屋中に立ち込めているような気がするの……」
知永子は、明生を振り払い立ち上がった。何かに取り憑かれたように、ふらふらと玄関に近づいた向かう。
「お、おい…。どこに行くんだ?」
「東京よ。愛実を…再びわたしの手元に、取り戻すのよ…」
そう呟いた知永子が、ふいにその場に倒れ込んだ。明生は弾かれたように立ち上がり、知永子を抱きかかえる。
「おい!大丈夫か!?」
そう叫んで知永子の肩を揺さぶったが、知永子は意識を失ったままだった。譫言のように、愛実の名前を繰り返す。
近くの病院に運び込まれた知永子は、ベッドの上で眠り続けていた。
明生は、痩せこけた知永子の目を頬を撫でる。憔悴しきった知永子の寝顔に、ある決意を固めた。
「あら、どちらへ?」
無言で病室から立ち去ろうとした明生を、看護婦が呼び止める。
「東京に。彼女が目を覚ましたら…愛実は絶対に連れ戻すから、と伝えて下さい」
看護婦に背中を向けたまま、明生は病室を後にした。
〈知香子の執念によって引き裂かれた、知永子と愛実。
四半世紀にも渡る姉妹の骨肉の争いは、ついに最終局面を迎えようとしていた。〉
「ママ。今日からまた、愛実が暮らすことになったわ」
倉内の家に愛実を連れ帰った知香子は、出迎えた澄江に言い放つ。
「あぁ…そう、なのね……」
澄江は、それだけ言って愛実を見つめた。愛実は澄江の視線から逃れるように、知香子の影へと隠れる。
知香子は、微笑みながら愛実の肩に手を添えた。
「…大丈夫よ。言ったでしょう。一緒に暮らすとは言っても、愛実のお世話はお手伝いさんがしてくれるの。だから、おばあちゃんとは顔を合わせる必要もないのよ」
言いながら、澄江を睨みつける。
「…ママも、ちゃんと理解しているわよね」
知香子は、有無を言わせない口調で澄江に告げた。澄江は、萎縮しきったように小さく頷く。
「愛実。今日からまた…ずっと一緒に暮らせるのよね」
知香子は、愛実の頬に自らの頬をすり寄せながら言った。
「ママは…もう何があっても、愛実のことを離さないわ」
愛実の耳元で囁く。
「どうした?ひどく荒れてるようだな…」
待ち合わせのバーに現れた高倉は、景子の肩を叩きながら言った。
「どうしたもこうしたも…解っているでしょう。あの社長には、見事にやられたわ」
景子は苛立ちを紛らすように、カウンターにグラスを打ちつける。髪を掻き毟った。
「あの記事で、あの女の裏の顔を炙り出そうと思っていたのに…。今ではすっかり悲劇の母親として、読者からの共感を得ているんだもの。計算違いもいいところだったわ」
「確かに…あの女の肝っ玉は大したもんだよ。俺もあの場には居合わせていたんだが…なかなかの女優っぷりだったからな」
高倉は、そう言ってグラスを持ち上げる。
「先輩は…随分と余裕なのね」
「あぁ。俺としては、あの女の評判が落ちようが上がろうが…発行部数が伸びさえすればどっちでもいいんだからな」
「…それは、そうだけど……」
「あの女が、娘を見つけて取り戻したらしい…。まだ、どこも掴んでいないホヤホヤの特ダネだ」
高倉の言葉に、景子の動きが止まった。
「…えっ!?」
「どうだ。お前…あの女を取材してみないか?ついに、念願の再会を果たした母娘…なかなか感動的な記事じゃないか」
景子の瞳を見据え、高倉は囁く。
「い、いいの…!?」
「あぁ、お前が初めてことだ。それに、あんな告発記事を書いた俺じゃあ、門前払いもいいところだろう。思い切り感動的なスクープを土産に、うちに戻ってこいよ」
景子の手を握り、言い募った。景子は、熱に浮かされたように頷く。
「えぇ…やるわ。あたし、やって見せるわ。必ず返り咲いて…あの時あたしをこけにした連中を、見返してやるんだから」
並々と注がれた、グラスを前に誓った。
つづく




