第54話『寂しい誕生日』
「先輩、わざわざ呼び出して悪かったわね」
待ち合わせのバーに現れた高倉に向かって、景子は手を上げた。
「いや、いいんだ。それより珍しいな。お前が電話をかけてくるなんて」
言いながら、高倉は景子の隣りに腰かける。
景子は、高倉に向かってグラスを持ち上げた。ふたりで乾杯する。
「実は…先輩に聞いてもらいたい話があるのよ」
景子は、さっそく話を切り出した。
バッグの中から、知香子へのインタビュー記事のページに付箋が貼られた雑誌を取り出す。高倉の前に差し出した。
「…何だ?」
「いいから、読んでみて」
景子は、高倉を促す。
「『office C』の社長への持ち上げ記事か…。これが、どうかしたのか?」
高倉は興味なさげに言って、景子に雑誌を突き返した。
「…先輩なら、解るでしょう。この女には、表には出せない何か裏があるって……」
「まぁな。確かに、表沙汰にはなってないけど…美容業界内では色々噂されているらしいな。成り上がりで、目的のためなら手段を選ばない鬼みたいな女だって…。そう言えば、二年前に美央堂の重役が横領事件を起こして騒がれたことがあっただろう?あの事件にも、この女が裏で噛んでいるってもっぱらの評判らしい…」
「やっぱり…。ねぇ…この女のことを、先輩のところで記事にしてみない?」
景子は、前のめりになりながら言う。高倉の顔を見つめた。
「えっ…!?」
「カリスマ女社長の裏の顔。かなりいい線いっていると思うんだけど。『office C』は、うちのスポンサーでしょう。うちでは、記事に出来ないのよ」
「まあ、そうだろうなぁ…」
「もし、先輩が記事にしてくれるって言うんなら、あたしが直接動いてもいいわ。その代わり…この仕事が成功したら、あたしが元の部署に戻れるよう、先輩から話をつけてくれないかしら?」
高倉に顔を近づけ、真顔で言い募る。
「お前…まだ、諦めていないんだな。うちへの復帰……」
溜め息をつきながら、高倉は景子に言った。
「当たり前でしょう。絶対に…返り咲いて見せるわ。あの時、あたしをコケにした連中を見返してやるのよ」
景子は、そう言ってグラスを飲み干す。景子の気迫に、高倉は黙り込んだ。
「…お前は、運が悪かったんだ。あの時は、俺もお前を庇い切れなくて……本当に、済まないことをした」
しばらくの沈黙の後、高倉は呟く。
「いいのよ。先輩のことだけは…あたし、今でも尊敬しているんだから」
景子は、きっぱりと言い切った。
「あの時…先輩以外の皆は、あたしにそっぽを向いたわ。ほんの前日までは、共に同じ雑誌を作る仲間だったのによ。…悔しかったわ。東大を首席で卒業して、仕事も順調だったあたしにとっては…初めてで最大の屈辱だったの。今でも…まるで昨日のことのように鮮明に覚えているわ……」
「渡邉…」
「ねぇ、お願いよ。あたしに対して済まない気持ちがあるんだったら…あたしに力を貸してちょうだい!」
言いながら、高倉の手を握る。
「確約は、出来ないぞ…」
「えぇ、もちろんよ。上が文句のつけようもないような、最高の記事を書き上げて見せるわ」
景子は、高倉の瞳を真っ直ぐにみつめ宣った。
その日、知香子はケーキを片手に帰宅する。愛実の大好物のショートケーキだ。
「…今年も、買ってきたのね」
リビングのテーブルに置かれたホールケーキを前に、澄江がぽつりと呟く。知香子は笑った。
「当たり前じゃない。今日は、愛実の誕生日なのよ」
言いながら、箱から取り出したケーキに蝋燭を刺していく。
「愛実の…十一回目の誕生日なのよ」
そう言って、十一本目を立てた。
「知香子ちゃんの気持ちは解るわ。でも、もう止めた方がいいんじゃないかしら…」
澄江は、意を決したように切り出す。蝋燭に火を灯していた知香子の手が止まった。
「あの娘がいなくなってから…もうすぐで二年が経つわ。そろそろ、忘れた方がいいんじゃないかしら。きっとあの娘は…知永子さんとふたり、どこかで幸せにやっているわよ」
「…ママ。そんなこと、本気で言っているの?」
知香子が、澄江をぎろりと睨みつける。澄江は、思わず知香子から目を背けた。
「…でも、あれだけ手を尽くして探したけど、見つからなかったじゃないの。きっと……それが運命なのよ」
瞬間、澄江が椅子から転げ落ちる。
知香子が、澄江に平手打ちを食らわせたのだ。倒れ込んだ澄江を、更に蹴りつける。
「ふざけないで!何が運命よ。あたしは…愛実と離れたこの二年間、一分一秒だって……あの娘のことを忘れたことはないわ。あの娘とまた一緒に暮らせる…その日だけを夢見て生きているのよ!!」
知香子は、息を荒げながら喚き散らした。
「そんなあたしに向かって、あの娘を諦めろですって!?ママは、何も解っていないわ!愛実だけが…あたしの希望なのよ!!」
「…ご、ごめんなさい。ママが…ママが悪かったわ。もう二度と、そんなこと言わないから…だから、ママを許してちょうだい!」
澄江は泣きながら知香子にしがみついたが、知香子は奇声を上げながら暴れ続ける。
知香子のに暴走で、愛実のために用意したせっかくのケーキが落下した。床の上で、見るも無惨に飛び散る。
「…愛実。一体、今どこで何をしているって言うのよ……」
知香子の哀しい呟きが、倉内家のリビングに響いた。
〈知香子が愛実を失ってからも、二年という歳月が経っていた。しかし知香子は今も尚、愛実の幻影に囚われている。
知香子もまた、愛実のことを心から愛する母親だったのだ。〉
倉内家から遠く離れた山梨の地で、愛実はひとりぼっちの誕生日を迎えている。今も、知永子は隣町のスナックで働いているからだ。
知永子が仕事の合間を縫って用意した、小さなカットケーキを食べていた愛実の目から、ふいに涙が零れる。
「ママ…寂しいよ」
知永子の前ではけして出せない、本音を漏らした。愛実の小さな胸に、寂しさが募る。
「お疲れさん。今日はもう帰っていいわよ」
酔客のに相手をしていた知永子は、ママから言われた。知永子は、軽く客をあしらいつつ立ち上がる。
「ありがとうございます」
「いいのよ。たまには、早く帰ってあげなさいよ。今日は、お嬢ちゃんの誕生日でしょう。いつもは寂しい思いさせてるんだから、こんな時くらいポイント稼がなきゃね」
礼を言う知永子に、ママが笑った。
知永子はママの気遣いに再び礼を言い、手早く身支度を整え店を出る。密かに用意したプレゼントを手に、家路を急いだ。
「ただいま。お店のママが気を遣ってくれたお陰で、早上がりが出来たの。遅い時間だけど、ふたりでお祝いしましょう」
知永子は息を切らしてドアを開けたが、室内はひっそりと静まり返っている。
「愛実…どこにいるの?」
言いながら愛実を探し回るも、部屋中のどこにも愛実の姿は見つからなかった。
瞬間、知永子の顔が蒼醒める。
その時、部屋の隅に置かれた電話が鳴った。
知永子は絡まりそうになる足を走らせて、電話へと駆け寄る。震える手で、受話器を掴んだ。
「もしもし…」
掠れた声で呼びかける。
つづく




