第46話『新しい手駒』
その瞬間、『キングダム』の店内は、静寂に包まれた。ホスト達が、一斉に息を飲む。
知香子が、店を訪れたのだ。
「…何よ、せっかく飲みに来てやったっていうのに。活気のない店ね」
そう言って笑う。
「いらっしゃいませ。お待ちしてました!」
戸惑うホスト達の波を縫って、慎治が姿を現した。知香子の前に膝まづいて、手を差し出す。
「わざわざあんな猿芝居まで打ったあなたの顔を立てて、足を運んでやったわ」
言いながら、知香子は差し出された慎治の手に自らの手を置いた。
「ありがとうございます。さあ、お席までエスコートさせて頂きます」
慎治は知香子の手を取って、VIPルームへと案内する。
「今日は社内でちょっとした打ち上げがあったの。その帰りよ」
知香子は、慎治に煙草の火をつけさせながら言った。
「知ってますよ。新商品、マスコミでもかなり取り上げられてますよね。美貌の敏腕女社長が手掛ける、魔法のコスメだって」
「あら…意外に情報通なのね」
「仕事柄ですよ。お客様の間でも、よく話題になってますからね。そうそう、美央堂に勤めてる子なんかは、売上が落ちて上がキリキリしてるってぼやいてましたし」
同業の老舗企業の名前を出して、慎治が笑う。
「そう…。まあ、話半分で聞いておくわ」
知香子は、そう言ってグラスを持ち上げた。慎治と、軽く乾杯する。
「それにしても、知香子さんがまさかご来店して下さるなんて…。俺の誠意が通じたんですかね」
慎治の言葉に、知香子はくくっと笑った。
「違うわ。前にも言ったでしょう。そんな三流の接客しか出来ないようなら、帰らせてもらうわ」
言いながら帰るそぶりを見せる知香子の腕を、慎治が掴む。知香子は、素直にソファへとへと座り直した。
「解ってますよ。確か…自分の欲求を満たすためなら他人を利用し、蹴落とすことなんて何とも思わない狩人の目で接客しろ、でしたよね?」
慎治は、知香子の目に問いかける。
「そうよ。普段、仕事中はずっとひ弱なインパラみたいな連中に囲まれているせいかしら…たまに、自分と同じようなハイエナと戯れたくなるのよ」
「ははっ。ハイエナとはひどいな」
慎治は、そう言って笑った。
「違う?あなたの目は、絶対にハイエナのそれよ。常に餓えていて、新しい獲物を探している……」
「確かに…そうかも知れないな」
慎治は知香子に合わせ、がらりと口調を変える。慎治の目の奥に、獰猛な肉食獣の輝きが宿った。
「そうそう、その調子。そう来なくっちゃ」
知香子は、心底愉快そうに笑う。
「…で、あんたは俺に何を求めてるって言うんだよ」
慎治は、半ば強引に知香子を抱き寄せた。知香子の瞳を見つめる。
知香子は、臆することなく慎治を見つめ返した。
ふいに、慎治は知香子から離れる。自分にはとうてい太刀打ち出来ない相手と接しているような感覚に襲われたのだ。女に畏怖を抱いたのは、生まれて初めてである。
「今は、別に何も求めてなんかいないわ。ただ…この男は、あたしにとって利用価値のある手駒になる。そう感じたのよ。…あたし、鼻が利くの」
知香子は自ら慎治に寄り添い、囁いた。知香子の瞳の奥に燃える修羅の炎に、慎治は思わず魅入られていく。
「どうしたって言うのさ。今日はいきなり沈み込んじゃって…」
店がひと段落着いて洗い物を片づけていた知永子に、フキが尋ねる。
「いえ、別に…。何でもないんです」
「なら、いいんだけど。あんたは、ただでさえ思い詰めたような顔をしてるんだ。そんな暗い顔されてたら…あたしが、あんたをいびってるとでも思われちまうよ。全く、勘弁しておくれ」
フキは、そう言って笑う。
「…フキママは、息子さんに会いたいって思ったりしますか?」
洗い物の手を止めて、知永子が聞いた。
「…当ったり前だろ。この世のどこに、腹を痛めて産んだ我が子に会いたがらない母親がいるって言うんだよ」
少し苛立ったように、フキが答える。
「…でも、それが果たせやしないから苦しいんじゃないか」
そうつけ加えた。
「そう…。そうですよね」
知永子は、俯きながら呟く。
「…何だい?やっぱり、何かあるみたいだね。口外したりなんかしないから、言ってごらんよ」
フキが、優しく問いかけてきた。知永子は、張り詰めていた心が一気に決壊していくのを感じる。
「…そうかい。そんなことが、あったんだね」
知永子の話を聞き終えたフキは、溜め息をついた。
「まあ、あんたには何かあるって薄々感じてはいたけど…まさか、そんな事情を抱えていたとはね」
言いながら、知永子の肩に手を置く。フキの掌は、長年の水仕事のせいかひび割れていて皺くちゃだったが、力強く温かかった。
「それじゃあ、あのボロ屋に拘ったのも……」
「はい。少しでも、あの娘の傍にいたくて…」
知永子は、涙を流しながら答える。
「あんたの気持ちは解るけど、そんなの蛇の生殺しだよ。よっぽど、辛いだろう。目の前に愛する娘がいるって言うのに、自分が母親だとも名乗れないだなんてさ…」
「でも…わたしなんかに、あの娘の母親だと名乗り出る権利があるんでしょうか。実の母親が、まさか殺人の罪を犯した前科者だなんて…とてもあの娘には言い出せなくて…」
「別に、今からわざわざそんなことを言う必要はないさ」
フキは、知永子に言い聞かせた。
「…でも」
「でもじゃないよ。あんたはちゃんと自分の罪を償ったんだ。しゃんと、胸を張ってりゃいいんだよ。その娘が…ちゃんと真実を理解出来るような年齢になってから説明すりゃあ、きっと解ってくれるよ」
「本当に…愛実に、解ってもらえるかしら」
「あぁ、あたしが応援してやるよ。何たって…母娘は肩を寄せ合って暮らしていくのが一番さ」
知永子を励ますように、にっこりと笑った。知永子の頬を流れる涙を、優しく拭う。
「フキママ!」
知永子は、フキにしがみついた。フキはその小さな体で、知永子をしっかりと受け止める。
ふたりは、ひしと抱き合った。
〈フキの優しさに、知永子は亡き母織江を重ねていた。無理心中という形でしか父との愛を成就出来なかった、哀れな母の面影を見出だしていた。
フキという老婆を寄りしろにして、知永子と織江は、現世では叶わない再会を果たしていたのかも知れない。〉
その夜、知香子は上機嫌で帰宅する。仕事は一応の成功を収め、新しい手駒も見つかった。
「知香子ちゃん、ちょっといいかしら…」
鼻歌を歌いながら愛実が眠る寝室を覗こうと階段を上がりかけた知香子を、澄江が呼び止める。
「…ママ、悪いけど、明日にしてくれないかしら?今夜は、とてもいい気分なのよ。愛実の寝顔を眺めてから、そのまま眠りにつきたいの」
知香子は、そう言って澄江を振り切ろうとしたが、澄江は
「お願い。大事な話なのよ」
と食い下がってきた。澄江の顔は、思い詰めたように蒼醒めている。
「何なのよ…」
知香子は澄江の卑屈な態度に苛立ち、大きく舌打ちをした。
「愛実のことで、知香子ちゃんに話したいことがあるのよ」
澄江の言葉に、知香子は自らの酔いが引くのを感じた。
「だから、一体何なのよ!?」
澄江に問いかける。
つづく




