第45話『意外な提案』
「一体どういうことなのよ!」
多英は、慎治を問いつめる。
「この前、社長から嫌みを言われたわ。慎治が社長に痛い目を見せてやるって言ったから、わざわざ引き合わせてやったっていうのに…すっかり裏目に出たじゃない!!」
慎治に、苛立ちをぶつけた。
「あんたの代わりなんて、いくらでもいるのよ」
知香子から言われた言葉を思い出すたび、腸が煮えくり返りそうになる。
「まあ、落ち着けって。冷静になれよ」
空になった多英のグラスにブランデーを注ぎながら、慎治は笑った。
『キングダム』のボックス席に陣取った多英は、慎治に管を巻き続けている。苛立ちのせいか、いつも以上に酒癖がひどかった。
「俺も、あの女のことを甘く見てたみたいだ。本当に、大したタマだよ」
「だから言ったじゃない。あの人は、鬼も同然なのよ!自分の目的を果たすためだったら…他人を傷つけることなんて、何とも思ってやしないんだから」
慎治から渡されたグラスを一気に飲み干して、多英は言い募る。
「お代わりを作ってちょうだい!」
言いながら、慎治の前にグラスを打ちつけた。
「多英…飲み過ぎだよ。このペースじゃ、そのうち意識を失うぞ。お前は、酒に強いわけじゃないんだから」
「いいじゃない。あたしのお金で、あたしのお酒を飲んでいるのよ。慎治は言われた通りに、お酒を注いでいればいいの」
多英は、そう言って慎治にグラスを突きつけた。慎治は、肩をすくめる。
「ホストでしょ!客を気持ち良く酔わせてなんぼなんだから、これ以上あたしを怒らせないでよ!!」
「…心配するなって」
並々とブランデーの水割りが注がれたグラスを多英に突き返しながら、慎治は笑った。
「…えっ!?」
「ホストのプライドに賭けて…必ずあの女を落として見せる。お前のために、あの女にたっぷりと痛い目を見せてやるよ」
慎治は、強引に多英を抱き寄せる。多英の瞳を、じっと見つめた。
「慎治…」
多英は頬を赤らめ、慎治を見つめ返す。
「…絶対よ。あたしのために、あの女に地獄を見せてやってちょうだい…」
慎治の腕に抱かれ、多英は呻いた。
「あぁ…」
慎治は、多英に向かって誓う。ふたりは見つめ合った。多英が、静かに目を閉じる。
ホストクラブの喧騒の中、陰謀の炎が燃え盛っていた。
意外な訪問者に、知永子は思わず黙り込む。
「お久しぶりね、知永子さん。あなたが、まさかこんな近くに身を潜めていただなんて…灯台もと暗しとはよく言ったものね」
澄江は知永子を見据え、にっこりと笑った。
「…お、お久しぶりです。倉内のお母さんには、すっかりご無沙汰してしまって……」
知永子は、ようやっとそう口にする。深々と頭を下げた。
「別にいいのよ。あなたの無礼さには、もうとっくに慣れているんだから」
澄江は相変わらず、たっぷりと皮肉のこもった口調を返す。
「…それより、早くお部屋に上げて頂けないかしら。いつまで…あたしを、こんなところに突っ立たせておくつもり?」
知永子の気の利かなさを咎めるように、そう続けた。
「す、すいません!どうぞ…何もない寂しい部屋ですけど……」
知永子は、慌てて澄江に入室を促す。澄江はきっちりと靴を脱ぎ揃え、持参してきたらしいスリッパで部屋に上がった。
「…本当に、何もない寂れたお部屋ね。こんなのを、兎小屋とでも呼ぶのかしら。あたしなら、一秒だって耐えられないわ」
知永子の部屋を値踏みするように見回しながら、澄江は言う。
「最近越してきたばかりなもので…。お恥ずかしい限りです」
知永子は、そう言って麦茶の入ったグラスを差し出した。しかし澄江はちらりと一瞥しただけで、手を触れようともしない。
「こんな安普請の荒ら屋なんて、それこそ『三丁目の夕日』の世界じゃない。でもまぁ、知永子さんにはお似合いかも知れないわね。何たって…あなたは、殺人の罪を犯した前科者なんだから……」
殺人の罪を犯した前科者の部分を強調しながら、澄江は言った。
「はい…。今のわたしには、雨風を凌げるだけで充分過ぎるくらいですから…」
「それより…あなたと愛実はどういう関係なの?」
澄江の言葉に、知永子は凍りつく。
「な、何で…それを……!?」
「最近…愛実の様子がおかしかったから、この前、こっそりと後をつけてみたの。そうしたら…この時代錯誤の荒ら屋に入って行くじゃない。中からあなたが顔を出した時は、本当に目を疑ったわ。このことを知香子ちゃんが知ったら…一体、どんな修羅場になるかしらね」
知永子を嘲るように、澄江は笑った。
「申し訳ありません!」
知永子は、澄江の前で両手をつく。畳に鼻先を擦りつけんばかりの勢いで、頭を下げた。
「愛実に接触するつもりなんて…初めは、けしてなかったんです。ただ…少しでも愛実の近くにいたい一心で……」
頭を下げたまま、知永子は言い募る。恥や外聞など、微塵も気にならなかった。
「…でも、愛実の顔を見つめているうちに、次第に…我慢出来なくなってしまったんです。愛実を引き取ろうなんて、出過ぎた真似をするつもりはありませんので……どうか、どうか…このことは見逃して頂けませんでしょうか!」
「それは…困るわね」
「お願いします!愛実と…たまに顔を合わせて話をさせて頂けるだけでいいんです」
「違うわよ、知永子さん。あたしは、あなたにあの娘を引き取ってもらわないと困るって言っているのよ」
「…えっ!?」
「知香子ちゃんはあの娘にひどく執心しているんだけど、あたしはもう限界なのよ。孫でも何でもない…可愛いげのないあの娘を育てるのなんて」
「そ…それでは……」
予想外の言葉に、知永子は思わず息を飲む。
「あたしとしては、愛実をあなたに引き取ってもらいたいの。実の母娘なんだから…その方が、在るべき姿なんじゃないかしら」
澄江は、きっぱりと言い切った。
気がつけばとうに日は暮れ、部屋は暗闇に包まれている。知永子はふらふらと立ち上がり、蛍光灯の紐を引いた。
先ほどの澄江からの提案が、ぐるぐると頭の中をかけ巡っている。
愛実を引き取れるだなんて、考えてもみなかった。
確かに、それは思ってもいなかった申し出である。知永子は、それまでは哀しい妄想でしかなかった愛実との暮らしに思いを馳せ、胸を高鳴らせた。
しかしその一方で、待ったをかけるもうひとりの自分もいる。
「犯罪者の娘として生きることで、愛実は幸せになれるのかしら?」
十年ぶりの再会を果たした刑務所近くの喫茶店で、知香子から投げつけられた言葉が、脳裏に蘇った。知香子の言う通りだと思う。
事情はどうあれ殺人の罪を犯した自分に、愛実を引き取り、彼女の人生に暗い影を落とす権利など、あるわけがなかった。
そうとは知りつつも、降って湧いたような澄江の申し出に、知永子の心は激しく乱される。
〈娘への愛と自らの欲求との板挟みになり、知永子は苦しんでいた。
しかし、そんな知永子の苦悩を嘲笑うように、残酷な運命の女神は、次々と過酷な試練を用意しているのである。〉
「おめでとうございます!」
広告代理店の社員に言われ、知香子はグラスを軽く持ち上げた。グラスに注がれたシャンパンをひと口で飲み干す。
「いやぁ、さすが社長。業界からの評判も上々ですし、売上も絶好調!大成功ですね」
相変わらずの社員の軽口を、さらりと受け流した。
知香子が手掛けたコスメ商品のシリーズが販売を開始して一週間。商品が予想以上の反響を得たことを受け、『office C』の社内では、細やかなパーティーが開かれていた。
「正直、読者モデルを広告に起用したいって言われた時には、どうなるかと思いましたが…大成功でしたね」
「言ったでしょう。これからは、読者モデルの時代だって。コストばっかりかかって制約も多いプロのモデルなんかよりも…彼女達の方がよっぽど費用対効果が高いわ」
知香子は、勝ち誇った笑顔で答える。自分でも、想像以上の反響を受けたことに、自信を深めていた。
「あなた達もお疲れ様。これからも、よろしく頼むわね」
知香子自らモデルを務めた彼女達のところに出向き、声をかける。
『office C』の社内は華やいだ空気に満ちて、皆が勝利の美酒に酔いしれていた。
ただ、ひとりの女を除いては…。
「そんな風にして笑っていられるのも、今のうちよ。せいぜい、楽しんでおくがいいわ」
壁際に寄りかかり、ひとりグラスを傾けていた多英が、知香子を見つめながら呟く。
つづく




