第44話『秘密の関係』
「ねぇ…おばちゃん。また、遊びに来てもいい?」
帰り際、愛実は知永子に問いかける。知永子の反応を窺うように、真っ直ぐに見つめてきた。
「えぇ、いつでも遊びにいらっしゃい。今度はちゃんと、愛実ちゃんの好きなケーキを用意しておくから」
「うん。愛実ね、ショートケーキがいいな。おっきい苺が乗ってるの」
愛実は、屈託なく笑いながら言う。
「解ったわ。世界で一番美味しいショートケーキを買っておくわね」
知永子は、愛実に笑い返しながら答えた。
「それから…おばちゃんのことは、ママやおばあちゃんには内緒よ」
人差し指を口に当て、つけ加える。
「何で?」
「愛実ちゃんがここに遊びに来てるって解ったら、きっとママやおばあちゃんが気を使うと思うの。だから、愛実ちゃんとおばちゃんのことは、ふたりだけの秘密ね」
知永子の説明に解ったような解らないような微妙な表情をしつつも、愛実は一応頷いた。
「ねっ、約束!わたし達は、秘密のお友達よ」
知永子は、そう言って小指を差し出す。愛実と指を絡ませた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます!」
ふたりで、声を揃える。
愛実を送り出した後も、知永子はしばらく幸せな気分に浸っていた。まだ、そこかしこに愛実の気配が残っているような気がする。
「愛実…。いつか、あなたがわたしのことをママと呼んでくれる日が、来るのかしら……」
愛実がジュースを飲んだコップを触りながら、ひとり呟いた。
「こんな時間まで、一体どこに行っていたの?」
倉内の家に帰った瞬間、愛実は澄江からの叱責を受ける。
「別に…、ちょっと遊んでただけだもん」
「ちょっとって…もう五時を過ぎているのよ。おばあちゃんは、ママから愛実のお世話を頼まれているの!ちゃんと、どこで何をしていたのか教えなさい!!」
澄江は、執拗に愛実を問いつめた。しかし、愛実も負けてはいない。
「何よ。おばあちゃんだって、この前までずっとお出かけばっかりしていたのに…愛実にばっかりずるいよ!」
きっぱりと言い返してきた。
「なっ…」
愛実の反論に、澄江は押し黙る。さすがに、何も言い返せなかった。
愛実は沈黙する澄江を置き去りに、自分の部屋へと駆け上がってしまう。
「…本当に、可愛いげのない娘。母親そっくりだわ」
澄江は、憎々しげに吐き捨てた。苛立ちを紛らすように、地団駄を踏み鳴らす。
絶え間ないフラッシュの瞬きの中、知香子は商品の広告撮影に立ち合っていた。
これが終われば、少しは愛実との時間も作れるだろう。そう思ったら、気合いが入った。
「社長…どうかな?」
何度か仕事をしたことのある馴染みのカメラマンが、知香子に尋ねる。知香子は、仕上がりを確かめた。
「そうねぇ、悪くはないけど…」
言いながら、テーブルの上にあったリボンを手に取る。それを、モデルが持っていたコンパクトに巻きつけた。緩くリボン結びにする。
「どうかしら?この方が、商品により高級感が出る気がするんだけど…」
カメラマンに意見を求めた。カメラマンは、指を鳴らす。
「いいね。商品が、より豪華に見えるよ」
「でしょう?重田はどう思う?」
「そうですね…もうあと一本くらい足しても、いいんじゃないでしょうか?」
「…そうね。安藤、使えそうなものを探して来てちょうだい」
重田の提案に納得した知香子は、多英に指示を出した。
「あっ…は、はい!」
ぼんやりと三人のやり取りを眺めていた多英は、弾かれたようにスタジオを出て行く。
「皆、頑張ってちょうだい!最高の広告写真を作り上げるのよ!!」
知香子は、スタッフに檄を飛ばす。
「どうしたの、安藤。最近、あなたらしくないんじゃない?」
撮影を終えたスタジオの中、知香子が多英に声をかけた。
「いえ…けしてそんなわけでは……」
「そうかしら。今日も、どこか気持ちが抜けているように見受けられるわ」
知香子は、ぴしゃりと言い放つ。
「すいません…」
「先日、あの三流ホストの面会を許可した件といい…これ以上、あたしを幻滅させないでちょうだい。確かにあなたの仕事ぶりは評価しているけど、あなたの代わりなんて…」
そこで一端、知香子は言葉を切った。恐縮する多英を睨みつける。
「いくらでもいるのよ」
冷淡な口調で、そうつけ加えた。
多英は、知香子に見えないよう後ろに組んだ手を握り締めた。
「…はい。以後、気をつけます」
言いながら、頭を下げる。
「本当に、よろしく頼むわ」
立ち尽くす多英を置き去りに、知香子はスタジオを出て行った。
「『本当に、よろしく頼むわ』ですって…。見てなさい。今に、ぎゃふんと言わせて見せるわ」
ひとり残された多英は、知香子がいなくなった方を睨み呻く。唇を噛み締め、知香子への憎しみを募らせた。
「どうしたんだい?あんた、最近妙に幸せそうじゃないかい?」
フキが、知永子に聞いてくる。店を閉め、ふたりで片付けをしていた。
「まさか、さっそくいいひとでも出来たんじゃないだろうね」
テーブルの上を拭いていた知永子に、親指を突き立てて見せる。
「まさか…。違いますよ」
知永子は、笑って手を振った。
「そうかい?でも、あんたって初めて会った時はどこか暗い影を背負っていたのに…何だか今は、やけに活き活きして見えるよ」
尚も、フキは問いつめてくる。知永子は、ふっと息を漏らした。
「本当に、そんなんじゃないんです。ただ…近所にお友達が出来たんです」
「…お友達!?」
「えぇ。まだ九才の、可愛い女の子のお友達」
そう言って、知永子は微笑む。
「お友達って…まだ、生理も始まっていないようなガキと、一体何を語り合うって言うのさ。あたしには、ちっとも解りゃしないよ」
フキは、いつもの悪態をついた。
「…そう言えば、フキママにはお子さんっていらっしゃるんですか?」
逆に、知永子が問いかける。
フキは、ふと遠い目をした。洗っていたグラスを流しに戻す。
「息子がひとりいるんだけどね…出て行っちまったよ。その子が十五の時に、あたしが当時付き合ってた男のことで大喧嘩しちまって…今思えば、本当に可哀想なことをしたよ」
「ごめんなさい。わたしったら…そんな辛いことを話させてしまって……」
知永子は、フキに詫びた。フキは、ゆっくりと首を振る。
「別に、気にするこたぁないよ。昔の話さ。まあ…あの子が今、幸せでやっててくれりゃあ、それでいいんだよ」
そう言って笑った。
フキの告白に、知永子は彼女の笑顔に隠されたフキの人生の哀しみの一端を覗いたような気がする。
「いらっしゃい。愛実ちゃんが来てくれるの、楽しみに待っていたのよ」
知永子は、笑顔で愛実を出迎えた。
「ちゃんと、ショートケーキ買っておいてくれたぁ?」
愛実は、玄関口から知永子に問いかける。
「もちろんよ。冷蔵庫に入れてあるわ」
「わぁ~い!」
そう言って、愛実は部屋に駆け込んでいく。
知永子は、その後ろ姿を愛おしげに眺めた。無邪気に振る舞う愛実の存在が、たまらなく可愛い。知永子は、笑顔のままドアを閉めた。
まさか愛実の後を密かにつけていた澄江が、その様子を凝視しているとも知らずに。
「な、何てこと…。愛実が、まさか知永子さんと……!?」
澄江はわなわなと唇を震わせながら、電信柱に添えた指先に力を込めた。
〈ついに、知永子と愛実の秘密の関係が、澄江の知るところとなった。しかし、澄江は知永子にとっても予想外の行動に出るのである。
姉妹の愛憎劇は、周囲の人間達の思惑も絡んで、いよいよ複雑に縺れ合っていくのであった。〉
つづく




