第43話『名乗れない辛さ』
知永子がひとりきりで膝を抱え、すすり泣いていたその頃、倉内の家に明かりが灯った。
「ママ、一体どういうつもりなのよ。愛実を放ったらかしにして毎日毎晩遊び歩くだなんて…。理由如何によっては、いくらママでも許さないわよ」
知香子は、泣きじゃくる澄江を問いつめる。
「本当に…本当にごめんなさい」
澄江は、同じ言葉を繰り返すだけだ。
知香子は苛立ちを堪えるように煙草に火をつけ、ソファに腰かける。テーブルに、細かく爪を打ちつけた。
「だから、そんなこと言われたって…ちっとも納得出来ないわ。理由を説明してちょうだい」
「お父さんが死んでから…ううん、そのずっと前から…あたしは孤独だった。誰からも相手にされず、この家の中で…鬱々と暮らしていたわ……」
澄江は、ゆっくりと語り始める。
「…ママの辛さは、解っているつもりよ。でも今はあたしも、愛実だっているじゃない。ママは…ちっとも孤独なんかじゃないはずよ」
「違うわ!!」
知香子の言葉に、澄江は声を荒げた。
「何が違うって言うのよ!」
釣られて、知香子も声を張り上げる。
「あたしは、女なのよ!いくつになっても…女として扱われたいの!!」
澄江は叫んだ。
「あの店に行ったら…あたしは、ひとりの女として見てもらえる。それどころか…煌びやかなあの空間で、まるで女王様のように若い男の子達がかしづいてくれるんだもの。だから…通うのを止められなくって……」
語り終えた澄江は、ぐったりとその場にしゃがみ込む。
「ママ…」
「あたしは…あたしは、死ぬまで女なのよ~!!」
澄江は繰り返した。
知香子は、言葉を失う。異様なまでの澄江の情念に、知香子は女の業の深淵さを見せつけられた気がした。
「何ですって!?」
ラブホテルのベッドの上、慎治から話を聞かされた多英は、思わず声を裏返らせる。
「社長が『キングダム』に来たって…どういうこと?」
「最近、龍牙目当てに毎日通い詰めてた太客の婆がいたんだけど…どうやら、それがおまえの会社の社長のお袋だったらしくてさ。いきなり店に乗り込んで来て、散々暴れて帰って行ったよ」
多英の問いかけに、慎治は答えた。ベッドの脇のサイドテーブルに置いてあった煙草に火をつける。
「…すごい女だな。俺も長年ホストやってるけど、あそこまで豪傑な女は見たことないな」
慎治は、心底愉快そうに笑った。
「…あなたは直接接した訳じゃないから、そんな気楽なことを言ってられるのかも知れないけど…毎日長時間一緒にいるあたしにのかも身にもなってみてよ。堪ったもんじゃないわ」
「まあ、そう言うなって…」
言いながら、慎治は多英を抱き寄せる。耳元で囁いた。
「…何よ?」
満更でもない様子で、多英は慎治の肩に頭を預ける。
「俺の見たところによると…あの女、だいぶご無沙汰って感じだな」
「そう言えば…毎日顔を突き合わせているけれど、社長の口から男関係の話って聞いた記憶がないわね」
慎治が、ニヤリと笑った。
「…でも、それが何だって言うのよ」
「お前…前々からあの女に痛い目を見せてやりたいって言ってただろ?俺が…たっぷりと見せてやるよ」
「社長に、色をかけるつもり!?」
多英は、慎治の体から離れる。慎治の瞳に問いかけた。
「あぁ…最高の仕返しだろう?」
「嫌よ!」
そう言って、慎治の裸の胸にしがみつく。
「慎治が、社長とセックスするだなんて…絶対に嫌!!耐えられないわ!」
「馬鹿だなぁ。俺が愛する女はこの世でただひとり…多英なんだぜ」
「慎治…」
慎治の言葉に、多英は瞳を潤ませた。
「俺は、あんな気の強い牝ライオンみたいな女は趣味じゃない。多英みたいな…優しくて思いやりのある女が好きなんだ……」
そう言って、多英の肩に腕を回す。多英の顎を持ち上げた。
「…慎治、信じていいのよね?」
多英の言葉を、慎治の唇が塞いだ。
「あぁ、もちろんだよ。当たり前だろう」
慎治は多英を抱き締めながら、肩越しに囁く。しかし優しい女性言葉とは裏腹に、その瞳は冷たく凍りついていた。
翌日、慎治はさっそく知香子の会社を訪れる。多英が、上手く口利きしたのだ。
「昨夜はうちのキャストに大変な不手際があったようで、申し訳ありませんでした。お母様を含め、倉内社長にはご迷惑をおかけしてしまって…代表である私の不徳の致すところです」
アルマーニのスーツを纏った慎治は、そう言って礼儀正しく頭を下げる。
「あなた…わざわざそんなことを言いに来たって言うの?さすが三流店の代表ともなると、時間に余裕があるのね。全く羨ましいわ」
社長室のソファに深く腰かけたまま、知香子は無表情で言った。慎治は、知香子からの皮肉を笑顔で受け流す。
「…では、お許し頂けるのですね?」
「許すも許さないも…別に気にしてないわ。むしろ…けっこう派手にやったから、弁償でも請求されるのかと思ったわ」
知香子は、そう言って唇の端を上げた。
「まさか…昨夜の分は充分に頂きましたから」
「あたしも、長いこと夜の世界にいたから解るもの。歯の浮くような世辞を真に受けて、金を毟り取られる馬鹿が悪いのよ。そうでしょう?」
「お言葉を返すようですが…」
慎治が、知香子に異論を唱える。
「ホストはお客様に夢を売る職業だと、私は思っています。特に当店はお客様ひとりひとりに女王様、お姫様気分を味わってもらいたいという思いから、店名を『キングダム』にしたんです。歯の浮くような世辞で金を毟り取るだなんて…正直心外ですね」
知香子を真っ直ぐに見据え、きっぱりと言い切った。
「ふん。教科書通りのつまらない答えね。悪いけど、何も心に響かないわ」
しかし、知香子は鼻で笑う。
知香子の冷淡な反応に、慎治は戸惑った。
普通の女なら、代表の慎治がここまで言えばたいていは感心し、心を許す。思い通りに行かない知香子の態度に、さすがに苛立ちが募った。
知香子は、その些細な変化を見逃さなかった。
「そう、その目よ。自分の顔を欲望を満たすためなら他人を利用し、蹴落とすことなんて何とも思わない…狩人の目だわ」
「えっ!?」
「もし、そんな目のままで接客をしてくれるって言うのなら、今度飲みに行ってやってもいいわ。上っ面な綺麗事を並べているけれど、結局は勧誘に来たんでしょう?」
全てを見透かしたように、知香子は言う。慎治は、思わず声を黙り込んだ。
「大丈夫?しみたりしない?」
知永子は、そう言って愛実の傷口に消毒液を当てた。愛実は、顔をしかめながら
「痛いけど、大丈夫…」
と言う。
知永子が住むアパートの近くで愛実が転んだのは、知永子にとって幸運な偶然だった。その様子を二階の窓から眺めていた知永子はすかさず駆けつけ、膝を擦りむいた愛実を抱え、自室へと運び込んだのである。
「偉いわね。もう大丈夫よ」
知永子は、そう言って愛実の膝に絆創膏を貼った。
愛実は、必要最低限の家具さえ揃っていない知永子の部屋をぐるりと見回す。
「…何にもないお部屋なのね」
素直な感想を漏らした。
「そうね。おばちゃん、最近ここに引っ越してきたばかりなのよ。だから、まだ家具も揃ってないの」
「おばちゃんは、ここにひとりで住んでるの?」
「そうよ」
「…ひとりぼっちで、寂しくないの?」
知永子を見上げながら、愛実は問いかけた。
「…そうね。寂しい時もあるわね」
「愛実も寂しい。ママはお仕事が忙しくてずっとお外にいるし、おばあちゃんも最近はお出かけしてばっかりで…愛実は、いっつもひとりぼっちなんだもん」
愛実は、言いながら絆創膏な貼られた膝を抱える。
愛実の言葉に、知永子の胸が締めつけられた。気づけば、愛実を抱き締めていた。
「どうしたの…おばちゃん」
知永子の腕の中、愛実が聞いてきた。
「こうしていれば…ふたりとも、寂しくないでしょう」
愛実の目を見つめ、知永子は答える。
「うん…。おばちゃんの体って…温かくて、いい匂いがする」
そう言って、愛実は笑った。安心したように、目を閉じる。
知永子は、溢れ出る涙を禁じ得なかった。
〈生まれて初めて触れた愛実の肌の温もりに、知永子はこれ以上にない感動を覚えていた。しかし愛実に近づき接する度に、真実を語れない辛さが募る。
ふたりは、残酷な運命によって引き裂かれた母娘であった。〉
つづく




