第40話『引き裂かれた母娘』
「一体どういうことなの!?知香子、ちゃんと説明してちょうだい」
知香子に促され近くの喫茶店にはいった知永子は、席に着いた瞬間に同じ言葉を繰り返した。知香子に詰め寄る。
「だから…さっき言った通りよ。お姉ちゃんには悪いけど、愛実にはこの先一生近づかないでもらいたいの…」
知香子は、顔色ひとつ変えずに答えた。
「そんなこと…納得出来ないわ。わたしは、愛実と一緒に暮らせる日を夢見て…それだけを日々の糧にして生きてきたのよ。それなのに……」
「…それは、お姉ちゃんの勝手な言い分でしょう」
知永子は必死に訴えたが、知香子は冷たく言い放つ。
「…えっ!?」
「考えてもみなさいよ。犯罪者の娘として生きることで、愛実は幸せになれるのかしら?」
「そ、それは……」
「お姉ちゃんには隠していたんだけど…そもそも愛実は、あたしの実の娘として育てているの。愛実は、お姉ちゃんの存在自体知らないわ。だから、いきなりお姉ちゃんが現れて『わたしが、実の母親よ』なんて言っても、愛実を困惑させるだけよ」
知香子は、不適な笑みを浮かべながら言った。
知永子は、言葉を失う。何も、言うべき言葉が見つからなかった。
「もしお姉ちゃんが本当に愛実のことを思っているのなら、何も言わずにあたし達の前から姿を消してもらえないかしら…。もちろん、お姉ちゃんの生活が安定するまでの間の金銭的な援助は惜しまないつもりよ。いくら愛実が知らないとは言え、お姉ちゃんに野垂れ死になんかされたら…あたしも目覚めが悪いもの」
言いながら、バッグの中から分厚い封筒を取り出す。知永子に向かって、無造作に放り投げた。弾みで封筒の口が開き、百万円の束が三つ顔を覗かせる。
「返さなくていいわ。もし、これじゃまだ足りないって言うんなら、いくらでも催促してちょうだい。金なら…惜しまないから」
「ふざけないで!!」
知永子は、封筒を投げ返した。店内に、一万円札がひらひらと舞う。
「…わたしに、愛実を売れって言うの!?そんな…そんなのひど過ぎるわ!」
「…お姉ちゃん。何か、とんだ思い違いをしているんじゃない?」
知香子の表情に、怒りがみなぎった。
「売るも何も、そもそも愛実はあんたのものじゃないのよ!この世に産み落としただけで…母親面なんてしないで!この九年間、愛実を育ててきたのはこのあたしなのよ!!」
知香子は思いきり机を叩き、知永子へと凄む。
「…お願いよ。愛実の幸せを願うんなら、涙を飲んででも黙って身を引いてちょうだい」
そう吐き捨てて、店を出た。
残された知永子は、店内に散らばった一万円札を拾い集める。堪え切れず、涙が滲んだ。
「変な期待をしちゃいけないよ。あんたが思っている以上に、塀の外は厳しいんだから。事情はどうあれ、あんたは前科者なんだよ」
同部屋の女の言葉が、知永子の脳裏に蘇る。
しわくちゃになった一万円札を握り締め、愛実を想いながら知永子はすすり泣いた。
「そう…。知永子さんが、ついに出て来たのね……」
知香子から話を聞いた澄江は、低い声で呻く。
「えぇ。もちろん、あたし達の前から一生姿を消してちょうだいって言ってやったけど」
知香子は、煙草に火をつけながら笑った。ゆっくりと煙を吐き出す。
「ママ…お帰りなさい」
パジャマ姿の愛実が、目をこすりながらリビングに姿を現す。
「あら愛実、起きちゃったの?」
知香子はほんのひと口吸っただけの煙草を揉み消し、愛実へと駆け寄った。愛実は、知香子に甘えるように飛びついてくる。
「うん。ママの声がしたから、目が覚めちゃったの。最近、ちっともママに会えないんだもん」
愛実の言葉に、知香子の頬が緩んだ。愛実を、思いきり抱き締めてやる。
「ママも久しぶりに愛実とお話出来て嬉しいわ。でも…夜更かしはいけないわ。ちゃんとお休みしなきゃ」
「…はぁい」
愛実は渋々と言った様子で、知香子の手を引き寝室に戻って行った。
「ねぇ、あの娘のことなんだけど…」
愛実を寝かしつけてからリビングに戻って来た知香子に、澄江が言う。
「何よ?」
「知永子さんも帰って来たことだし…あの人の元に、愛実を返せないかしら……」
澄江の言葉に、知香子は眉根を寄せた。
「ママ…。何を言い出すの!?」
「…あたし、正直あの娘のことを愛し切れないの。日々、あの人の面影を濃くしていくようで…見ていて辛いのよ。やるせなさに、胸が掻き毟られるの……」
澄江は、知香子の視線から目を逸らしつつ言い募る。
「愛実は…あたしの娘なのよ」
「でも…」
知香子は澄江を威嚇するように、大きく舌打ちした。
「とにかく…愛実は誰にも渡すつもりはないわ。ママ…もう金輪際、その話はしないでちょうだい!もしこの話を蒸し返したりしたら…たとえママだって容赦はしないわ。この家からも、出て行ってもらうから」
「…わ、解ったわよ。もう、二度と…こんなこと言い出したりなんかしないから…そんなこと言わないでちょうだい。知香子ちゃんに見捨てられたら…あたし、生きていけないわ」
知香子の剣幕に、澄江は意見を翻す。
知香子は、新しい煙草に火をつけた。苛立ったように、髪を掻き毟る。
「もう…ただでさえ今は仕事で手一杯なの!余計なことで、煩わせたりしないでちょうだい!!」
〈言いながらも、知香子は気づいていた。たしかに愛実は日々、知永子の面影を濃くしていく。紛れもなく愛実は、知永子の娘だった。
当たり前のこととは知りつつも、知香子にはそれが歯痒く、もどかしかったのである。〉
「どうしたの、多英ちゃん?今日はずいぶんご機嫌斜めじゃん」
煌びやかなネオンに包まれた、新宿歌舞伎町のホストクラブ『キングダム』の店内。
ボックス席のソファに座り込んだ多英に、ヘルプのホストが馴れ馴れしく声をかけてきた。多英は、ホストの顔に煙草の煙を吹きかけた。
「当たり前じゃない。毎日、人使いの荒い女にこき使われて…もう爆発寸前よ。それより、早く瑠偉を呼んでちょうだい。あんたみたいな万年ヘルプじゃ、お話しにならないわ 」
瑠偉は、多英の恋人である蒔田慎治の源氏名である。
「瑠偉さんは、うちの代表だからなぁ…。まあ、ピンドンぐらい入れてくれるって言うなら話は別だけど」
多英の嫌みには慣れっこなのか、ヘルプホストはさらりとそれを受け流し、ボトルリストを手渡してきた。
ドンペリのロゼは一本二十万。この手の店にとっては、けして高くない値段のボトルではある。
「…しょうがないわね。それを、入れてちょうだい!」
しばらく考え込んでから、多英はそう言ってボトルリストをヘルプホストに突き返した。
「ありがとうございます!」
ヘルプホストは白々しく言って、オーダーを伝える。
けたたましいシャンパンコールの中、慎治が多英のボックスへと降臨した。それまでの不機嫌も忘れ、多英はうっとりと慎治を見つめる。
つづく




