第38話『運命の子』
「現在、妊娠八周目ですね」
診察を終えた医師は、女性刑務官に付き添われた知永子に告げる。
その言葉に、知永子は複雑な気分になった。
和彦の命は子供を授かったことは、心底嬉しく思う。しかし、自分は実刑を免れないだろう。そうなれば知永子が出所してくるまでの間、一体誰がこの子を育てるのか。
喜びよりも先に、不安や心配が募った。
「あの…」
知永子は、刑務官に尋ねる。
「何かしら?」
「…もし、わたしに実刑が下った場合…この子は、どうなるんでしょうか?」
「そうねぇ。誰か子供を預かってくれる身内がいるんなら、そちらに預けることになると思うけど…」
「頼れる身内がいない場合は…」
「言いづらいんだけど…その場合は、施設に預けることになるわ」
刑務官は、そう言って知永子から視線を逸らした。
「そんな…」
救いのない言葉に、知永子はがっくりと項垂れる。重くなった空気を払うように、医師が咳払いした。
翌日、知永子は知香子からの面会を受ける。面会室の衝立越しに、姉妹は久しぶりの再会を果たしたのだった。
「知香子…」
パイプ椅子に腰かけながら、知永子は力無く呟く。
「…久しぶりね、お姉ちゃん。それにしても、ひどい顔。まるで、地獄からさ迷い出て来たゾンビみたいよ」
知香子は、皮肉のこもった口調で唇の端だけを上げた。
「本当なら…この衝立を突き破ってでも、お姉ちゃんのことをぶっ叩いてやろうと思って来たんだけど…気が変わったわ。お姉ちゃんが、あまりにも哀れな顔をしてるんだもの」
言いながら、衝立に拳を打ちつける。知香子の傍にいた刑務官が止めようとしたが、それを手で制した。
「…ありがとう。仁を殺してくれて。きっと…あたしでも、全く同じことをしていたと思うわ」
知永子の顔を真っ直ぐに見据え、知香子が言う。
「……知香子。あなたが、彼に命じたんじゃなかったの?」
知永子の問いかけに、知香子が笑った。
「そんなわけないじゃない。あんたを殺せと言うことはあっても、まさか和彦を殺せだなんて…絶対に言わないわ。仁が、とち狂ったのよ。あいつが、あんな馬鹿げた行動に出るだなんて……さすがのあたしにも計算外だったわ」
「そう、だったのね…」
「それより…お姉ちゃん、和彦の子供を身籠っているんですって」
知香子の言葉に、知永子は言葉を失う。何故、そのことを知香子が知っているのだろうか。
「面会の時に妹だって言ったら、刑事が教えてくれたわ。水臭いわね。頼れる身内はいないって言ったらしいじゃないの」
「…えっ!?」
「あたしがいるじゃない!」
知香子が、身を乗り出してきた。
「今お姉ちゃんのお腹にいるその子は…死んだ和彦がこの世に残した、たったひとつの命なのよ。あたし以外に…一体誰がその子を育てるって言うのよ」
「…い、いいの!?」
知永子は、知香子に問いかける。知香子は、にっこりと笑った。
「当たり前じゃない。お姉ちゃんと和彦の子は…あたしにとっても我が子同然なんだから」
「…わたしのことを、もう恨んだりしていないのね」
「えぇ。確かに…あたし達は二度も同じ男を愛し、憎しみ合ったけれども、紛れもない、永遠の姉妹なのよ!」
「…ありがとう、知香子。あなたにそう言ってもらえて…わたし、この子を産む決意が出来たわ」
知永子は、まだ何の膨らみもない腹部を撫でながら誓う。
「お姉ちゃんが帰って来るまでの間、子供の面倒は…あたしが、しっかりと見てあげるわ。だから、お姉ちゃんは丈夫な子供を産むことだけを考えてちょうだい」
「知香子…」
衝立越しに、知永子と知香子は掌を重ねた。姉妹は、互いに見つめ合う。
〈長年に渡る姉妹のいさかいが、ついに和解の瞬間を迎えたかに見えた。しかし、それはやがて訪れる最後にして最大の戦いへの、ほんの小休止に過ぎなかった。
こうして血よりも濃い姉妹の愛憎劇は静かに、だが確実に続いていくのである。〉
「何ですって!?」
知香子からの報告を受けた澄江は、声を裏返らせた。
「…知香子ちゃん。あなた、正気なの?」
澄江は知香子に尋ねたが、知香子はソファに脚を組んだまま
「えぇ。もちろんよ」
と答える。
「…知永子さんが産んだ子供を育てるだなんて……。そんなことしたって…知香子ちゃん、自分が傷つくだけだわ。同じ経験をした…あたしだからこそ解るのよ!」
澄江は、半狂乱で反対した。
「嫌!絶対に、あたしが育てるわ!!」
澄江の言葉を遮るように、知香子が叫ぶ。
「…ママだって、知っているでしょう。あたしかわ、もう子供を産めない体だってことを。あたしが…照矢の子供を流産した時に執刀したあのヤブ医者のせいで…あたしは、一生母親にはなれないのよ!!」
「知香子ちゃん…」
「あたしは、母親になりたいの。愛する男の子供を…この手で育てたいのよ。でも…もう二度と自分の力じゃ、それを叶えられない。だから……こうする他ないのよ!ママ、お願いだから解ってちょうだい!!」
知香子の悲痛な叫びに、澄江の胸が痛んだ。
「え、えぇ…そうね。知香子ちゃんが、そこまで強く心に決めているのなら、もうあたしには止められないわ。知香子ちゃんの好きなようになさい」
「ママ…ありがとう。解ってもらえて嬉しいわ」
澄江は、知香子を抱き締める。
「知永子さんの子供を、引き取りましょう。そして…知香子ちゃん、あなたの子供として育てていくのよ。あの子は…あなたの子よ!!」
「えぇ。あの子は、あたしの子よ…」
澄江の腕に抱かれ、知香子は呟いた。空っぽの腹部を撫でる。
平成十一年四月ー
刑務所近くにある病院の分娩台の上で、知永子は必死に力んでいた。
破水を迎えた知永子がそこに運ばれてから、すでに十時間が経過している。ついに、産道から赤ん坊が顔を覗かせた。
「倉内さん、もう少しですよ。赤ちゃんの顔が見えてきました」
知永子の汗を拭きながら、看護婦が励ます。知永子は、声にならない声でそれに応えた。
「ほら、頑張って。ヒッヒッフー、ヒッヒッフー」
医師は、知永子に呼吸法を促す。
知永子は、思いきりいきんだ。ふいに自分の体の中にあった重圧が消えて、ふっと軽くなる。
分娩室の中に、元気のいい産声が響いた。
「おめでとうございます。元気な、女の子ですよ」
医師は、産声を上げ続ける赤ん坊を知永子に見せる。
朦朧とする意識の中、知永子は本能的に手を伸ばした。丁寧に粘膜を拭われた赤ん坊が、知永子へと手渡される。
知永子はその子を柔らかい肌に触れ、小さな手を指で握った。やがて来る別れの時を惜しみつつ、その感触を自らの指先に染み込ませる。
〈知永子が産んだ子供は、愛実と名付けられる。この子の愛が実るように。そこには、知永子の切なる願いが込められていた。
しかしこの愛実を巡って、姉妹は三度骨肉の争いを繰り広げることになる。知永子の知香子にとって、愛実はまさに運命の子だったのだ。〉
第二部・完




