第24話『復讐の母娘』
「ご、ご無沙汰してます」
知永子は、言いながら深く頭を下げる。澄江はソファから立ち上がることもなく
「本当に」
と言って、口の端だけを上げて笑った。
「十七年間も育ててもらった恩も忘れて出て行ったっきり…盆暮れの挨拶にも来やしないんだから。本当に知永子さんらしいわ。あなた、昔から恩を仇で返す恥知らずで薄情な人だったものね」
澄江は、冷ややかに続ける。
「いえ、けしてそんなつもりでは…」
「ふん。別に、今さらあなたの白々しい言い訳なんて、聞きたくもないわ。それより…今日は知香子ちゃんのことで来たのよ」
「えっ…!?」
「知永子さん…あなた、知香子ちゃんと再び同じ男性を奪い合っているんでしょう?」
「…な、何でそれを?」
「あの小汚い料理屋であいつらがこそこそと密談しているのを、偶然耳にしたのよ」
澄江の言葉に、知永子は息を飲む。
「…そうなんでしょう。正直にお言いなさいよ」
「は、はい…」
「やっぱり血筋なのかしらね、他人のものを欲しがるっていうのは。全く…母娘揃って泥棒猫もいいところだわ」
「そんな…でも、和彦さんはわたしの恋人だったんです!それを…」
「でももヘチマもないわよ!」
知永子の弁明を遮るように、澄江が喚いた。周囲の人々が、何事かとふたりを見遣る。
「元はと言えば、全てはあなたのせいじゃない!あなたが知香子ちゃんの幸せを…あたし達母娘の絆もろとも引き裂いたからじゃないの!!」
澄江は荒々しく立ち上がると、知永子へと掴みかかった。
「お、お母さん…」
「そんな呼び方しないでちょうだい!あなたからそう呼ばれる度に、蛞蝓に腕を這い回られているようで体の底から虫酸が走るのよ!!」
澄江は、力任せに知永子を揺さぶる。
「別れなさい!和彦だか数の子だか筍だか知らないけれど、その男をとっとと知香子ちゃんの譲るのよ!!」
周囲からの好奇の視線をものともせずに、澄江は支離滅裂なことを叫び続けた。
「知香子ちゃん!!」
待ち合わせの喫茶店で、澄江は声を張り上げた。席から立ち上がり、知香子に向かって手を振る。
「…ママ、久しぶりね」
約十年ぶりの再会を果たした母を前に、知香子は声を震わせた。
「…本当よ。何の連絡もくれないんですもの。ママ、どれほど心配したか…」
嗚咽しながら、澄江は知香子の髪を撫でた。
昨日、知永子から半ば強引に知香子の連絡先を聞き出した澄江はさっそく連絡を取り、彼女を呼び出したのだ。
「…ごめんなさい」
「いいのよ。こうして、ちゃんと出会えたんだもの。それにしても…本当に綺麗になったわね」
感慨深げに知香子を眺めつつ、澄江は知香子を向かいの席へと座らせる。
「それより…聞いたわ。知永子さんと…再び同じ男を取り合っているそうじゃない」
澄江は、声を潜めた。
「えぇ…」
「今度こそ、あの女から幸せもろとも全てを根こそぎ奪ってやるのよ」
言いながら、知香子の手を握った。
「あたしの幸せを木っ端微塵に打ち砕いた泥棒猫の娘に、目にもの見せてやるのよ」
「…どうゆうこと?」
澄江の言葉に、知香子は眉をしかめた。知永子の出生の秘密を知らない彼女には、母の言葉の意味が理解出来なかった。
澄江は溜め息をつき、冷めた紅茶へと口をつける。
「知香子ちゃん…あなたには言えずにいたけど、知永子はあたしの娘じゃないの。パパが…余所で作った娘なのよ……」
「何ですって!?」
知香子は、驚きのあまり声を上ずらせた。
「…そんな、まさか……」
衝撃に唇を震わせる知香子に、澄江は語って聞かせる。
知永子の出生の経緯。父が、今もまだ知永子の産みの母である愛人との交際を続けていること。そして、知永子が現在身を寄せている『長谷倉』の女将その人こそが、その愛人だということ…。
「そうだったのね…」
澄江の独白を聞き終えた知香子は、呟いた。
「そう。だから…これはあたしの復讐でもあるの。あたしの幸せを無惨に踏みにじった女の娘の幸せを、あたしの娘であるあなたが踏みにじる。これ以上の復讐が…この世界の一体どこにあるって言うのよ。ねぇ、そうでしょう?」
澄江は目を輝かせて、知香子に言い聞かせた。母の瞳に燻る憎悪の炎に魅入られたように、知香子は澄江の手を握り返す。
「やるわ、徹底的に。ママとあたしのために…。踏みにじられた女の意地とプライドを賭けて!!」
ふたりは、ひしと抱き合った。
〈復讐の怨念に取り憑かれた母娘が、ついに執念の再会を果たした。
母と娘ー二代に渡る愛憎劇は、こうして否が応にも昂っていくのであった。〉
「どうゆうこと!?」
仁からの報告を受けていた知香子が、彼に聞く。
「…解らない。俺も驚いたんだが…間違いないだろう」
「えぇ…間違いないわ」
仁が隠し撮りした夥しい写真の中に、知香子の見知った顔が混じっていた。何故、この女が…。
「…一体、どうゆうことなの?」
知永子が会社から出て来るところを捉えた写真の中、知永子の隣りで笑う和美ー美和を見つめながら、知香子は繰り返した。
「いらっしゃいませ…あっ」
『長谷倉』のカウンターで客の相手をしていた知永子は、入り口に立つ澄江の姿に息を飲む。
「何よ、感じ悪いわねぇ。せっかく、お客として売り上げに貢献しに来てやったっていうのに」
澄江は、当然のように知永子の真向かいに座った。
「あ、あの…」
「おビールをちょうだい。それから…この余り物のごった煮みたいなもの、一応筑前煮のつもりなのかしら。これもね」
織江の言葉を遮って言う。澄江の刺々しい物言いに、周りの客が顔をしかめた。
しかし澄江はそれを無視し、カウンターに肘をつきながら織江に酌をさせる。
「奥様、今日は一体…」
「決まってるでしょう。知香子ちゃんと、知永子さんのことよ」
言いながら、知永子を睨んだ。
「今日の昼間にわざわざ知永子さんの会社にまで足を運んだっていうのに、はかばかしい返事がもらえなかったから…こうしてこの薄汚い店まで来てやったのよ」
澄江は、言いながらカウンターの隅をなぞり上げる。細かな埃を指で掻き集め、これ見よがしに見せつけてきた。
「…本当に、不潔で杜撰な店ね」
「奥様、大変申し上げにくいんですけど…」
「きゃっ!!」
筑前煮をつまんだ澄江が、突然悲鳴を上げる。口の中から、長い髪を吐き出した。
「まあっ、客に髪の毛を食わせるだなんて。衛生管理も何もあったもんじゃないわね。何て下劣な店なの!」
「そんな、まさか…」
「まさかも何も、現にこうして入っているじゃないの!」
澄江は、周りの客達に見せびらかすように髪の毛を摘まみ上げては、声高に宣う。客達が、居心地悪そうにざわつき始めた。
それまで和やかだった空気が一変して、冷たく尖る。
「明日も来るわ」
カウンターに一万円札を投げつけ、澄江は言った。それから織江に顔を寄せ、小声で
「あんたの娘が和彦さんとやらと付き合い続ける限り、あたしもここに通い続けるわ」
とつけ加える。
つづく




