第22話『母娘の絆』
「お願いだから…和彦と別れてちょうだいよ!!」
沈黙したままの知香子に、知永子は繰り返した。
「ねぇ…」
「…な、何よ……」
「あの時あたしがそう言ったら、お姉ちゃんはそうした?」
「えっ…」
知香子の言葉に、今度は知永子が沈黙する。
「あたしが、あんたに照矢と別れてくれって頼んだらそうしてくれたのかって聞いてんだよ!!」
知香子は、声を荒げた。
「…するわけないわよね、そんなこと」
「で、でも…あの時と今とじゃ状況が違うでしょう。わたしと…和彦とはもう三年も付き合っていて、結婚の話だってないわけじゃないのよ。それを…」
「だから何?あたしにとっては、そんなこと何の関係もないわ」
「ち、知香子…」
「とにかく、あたしは和彦とは別れないわ。…むしろ相手がお姉ちゃんだと知って、絶対に奪い取って見せるって心に決めたぐらいよ。和彦を…絶対にあたしのものにしてみせるわ」
「そ、そんな…知香子!知香子!!」
知永子の呼びかけに答えることもなく、知香子は一方的に電話を切ってしまった。知永子は携帯を握り締め、ただただ途方に暮れる。
「夜中にそんな大声を出して…どうしたって言うのよ」
知永子の様子を心配した織江が、ドアを開けて尋ねてきた。
「お母さん…」
知永子は、織江へと抱きつく。織江は戸惑いつつも、知永子の背中を擦った。
「何ですって!?」
知永子の話を聞いた織江は、思わず声を上ずらせた。
「ま、まさか…そんな……」
「わたしだって…今でも信じたくないわ。でも、現実なのよ……。和彦は、知香子と付き合っているの」
知永子は、織江にすがりつく。
「あんた達って、本当に因縁のある姉妹なんだねぇ…。まさか、再び同じ男を愛してしまうだなんて……」
織江は、感慨深げに呟いた。
「思えばあんた達の因縁はあたしと奥様…それぞれの母の代から続いているのかも知れないわね。同じ男と愛し合った女達の娘が、こうして同じ男と…しかも、二度も愛し合ってしまうんだから……」
「お母さん…。わたし、どうすればいいのかしら。わたし、和彦とは別れたくないの。別れたくなんか……」
知永子は、涙で言葉を詰まらせた。
「でもねぇ…」
「…覚悟は、出来ているの?」
織江が、知永の手を握る。
「…知香子さんと同じ男を愛するってことは、あの時のような……いいえ、きっとあの時以上の修羅を招くに違いないわ。その覚悟は、出来ているの?」
織江からの重い言葉に、知永子は少し考え込んでから頷いた。
「…えぇ。たとえ、この先にどんな修羅が待ち構えていようと、わたしは和彦を愛していくわ」
知永子は、きっぱりと言い切る。
「知永子…」
「だからお母さん、わたしと和彦の仲を応援してちょうだい」
「もちろんよ!世界中があんた達の敵に回ったって…あたしだけはあんた達の味方でいるわ!」
「お母さん!!」
ふたりは、ひしと抱き合った。
〈母の胸の中、知永子は和彦との愛を貫く決意を固めていた。
しかし、それは始まりに過ぎなかった。自らをも鬼へと変える壮絶な愛憎劇の第二幕が、完全にその幕を開けた瞬間である。〉
閉店後、知香子は近くにあるいきつけのバーへと、仁を呼び出した。
「どうした?俺には、関係ないんじゃなかったのか?」
言いながら、知香子の向かいに腰を下ろす。知香子は、吸っていた煙草を灰皿ですり潰した。
「そんな意地悪なこと言わないでよ、事情が変わったの。仁に、頼みたいことがあるのよ」
知香子は、バッグから出した一枚の写真をテーブルの上に差し出す。十年前の、知永子のポートレートだ。
「この女のことを、調べ上げて欲しいの」
そう言って、もう一枚の紙を取り出した。そこには、知香子が知りうる知永子の個人情報が印刷されている。
「住所は解っているの、仕事先も。だから、簡単でしょう?」
「倉内…。まさか…」
「そう。この女は、あたしの実の姉なの。もう十年近くも顔を合わせてないけど…」
仁は、目を見開いた。
「…何で、今さら姉貴のことなんか?」
「この女はねぇ…あの男の、和彦の恋人なのよ」
「何だって!?」
「ふふふ…。笑っちゃうでしょう?まさか、実の姉妹で同じひとりの男を奪い合うだなんてね。しかも、初めてじゃないの。あたし達…顔も性格もまるで似ていないのに、男の好みだけはまるで双子のようにそっくりみたいなのよ」
知香子は、喉を鳴らして笑う。
「…なあ」
「何よ」
「…本気なのか?」
仁は、知香子の目を見据え問いかける。
「本気よ。和彦を手に入れるためなら、あたしは悪魔にだって魂を売れるわ」
知香子は、真っ直ぐに仁を見返した。その瞳には、いつもの残虐性が戻っている。
「…お願いよ。今まであんたは、あたしの頼みなら何だって聞いてくれていたでしょう?」
仁の太ももを撫で上げながら、知香子は囁いた。
「あぁ…解った……」
仁は呟く。知香子は、彼を魅了する悪魔の微笑みで仁を眺めた。
「おやすみなさい」
和彦から送られた知永子は、玄関の前で言った。和彦が、手を振る。
「和彦…」
和彦は、驚いたように振り返った。その顔からは、軽い戸惑いが見てとれる。
「な、何…?」
「愛しているわ。わたし…この先もずっと、あなたと一緒にいたい……」
知永子は、和彦を見つめ囁いた。和彦は、一瞬の沈黙の後で
「…あぁ。俺も、知永子と同じ気持ちだから……」
と返してくる。
「そう…。嬉しいわ」
知永子は、そう言って手を振り返した。
そんなふたりのやりとりを、物陰から見つめるひとつの影があった。
仁である。仁は黙ったまま、知永子を見つめていた。
「知香子…」
そう呟く。
つづく




