第21話『明かされた真実』
一体、どれくらいの時間そうしていたのだろう。知永子は和彦の携帯を握り締め、呆然と立ち尽くしていた。
知香子。
和彦の着信履歴に度々残っている女の名前に、ぞっとする。まさか、そんな偶然があるだなんて…。
理性では否定しつつも、どこか体の奥深いところでは、何故かそれを確信していた。
その時、玄関の方からドアの開く音がする。
知永子は、咄嗟にその女の番号を自分の携帯へと打ち込み、和彦の携帯を元あったソファに投げ捨てた。
「どうした?顔色が悪いぞ」
「う…うん。ちょっと気分が…」
「大丈夫か?料理はいいから、ちょっと横になっておけよ」
和彦は、知永子の肩へと手をやる。知永子は和彦に支えられるようにして寝室へと運ばれ、ベッドに横たわった。
「夕飯は俺が作るから、それまで休んでろよ」
「…ありがとう」
和彦が、優しく微笑む。
ひとり寝室に残された知永子は、携帯に打ち込んだ番号を眺めた。
今ここで通話ボタンを押せば、全てが明らかになる。しかし、そのひと押しをする勇気がなかった。それは、まさしくパンドラの箱なのだ。しかも、最後に希望が残っているとは限らない。
「知香子…」
知永子は、携帯を握り締め呟いた。
翌日の月曜日、知永子はデスクの上に頬杖えをついて、溜め息をつく。
結局、何も出来なかった。そんな自分が歯痒くもあり、かと言って真実を前にした自分を想像すると、そんなことをしなくて良かったとも思う。とにかく、真実を知るのが怖かったのだ。
こんな思いになるくらいなら、始めから携帯など見なければ良かった。お門違いとは知りつつも、美和を恨む。
「知永子、今日の夜って空いてる?」
当の美和から話しかけられ、戸惑った。
「…えっ!?」
「軽く食事でもしに行かない?話したいことがあるの」
「あの…わたし……」
「いいじゃない。この前オープンしたイタ飯に行きましょう」
美和は半ば強引に話をまとめると、さっさと自分のデスクへと戻ってしまう。
知永子は、再び溜め息を漏らした。
「何ですって!?」
美和の言葉に、知永子は声を裏返らせる。それから、周りを気にするように声を潜めて
「…どうゆうこと?」
と続けた。
「だからあたし、この前、知永子とも行ったことのある六本木のバーで飲んでいたのね。もちろん、男とよ。最近いい感じの弁護士の彼。そうしたら…何と、そこに主任がいるじゃない。しかも、隣りに水商売風のやけに派手な女を置いて。何やら、親密そうな雰囲気だったわよ」
「そ、そんな……」
知永子の声が震える。
「彼の携帯、まだ見てないの?」
身を乗り出した美和の問いかけに、知永子はさらに動揺してしまった。美和は、にんまりと笑う。
「見たのね!そして、怪しい女の影を見つけてしまったのね。そうなんでしょう?」
「わ、わたしは…」
「いいじゃない。で、何が解ったのよ」
美和は、執拗に問いつめてくる。
「…わたし、後悔しているの。あんなことさえしなければ、こんなこと知らずに済んだのに……」
「何言ってるのよ、知永子!あんた、このままでいいの?」
「よ、良くなんかないけど…」
「でしょう。だったら、とことんまで戦いなさいよ。あんな女に、主任を奪わせちゃいけないわ」
美和は、知永子の手を取り言った。
「で、でも……」
尚も躊躇う知永子に、美和は
「あの店で張るのよ」
と囁いた。
「えっ…」
「あたしが、あのふたりを目撃した六本木のバーで張り込むのよ。人間の行動範囲なんて、たかが知れてるもの。絶対に、またあの店を逢い引きの舞台に選ぶわ」
美和は、自信満々に言い切る。
「やるのよ!彼を、愛しているんでしょう?だったら、出来るはずたわ!!」
美和の迫力に押され、知永子は頷いた。美和の瞳が、ギラリと光る。
美和が和彦と女との逢い引きを目撃したという、六本木のバー。知永子は、店内を観察し易そうな奥のボックス席へと座り、和彦が現れるのを待っていた。
かれこれ、一時間はこうしている。美和に急かされこんなところまでのこのこと出向いてしまったが、今夜は空振りかも知れない。
そう思って席を立とうとした瞬間、ドアが開き和彦が入ってきた。知永子は、慌てて身を隠す。
和彦はカウンター席へと座り、腕時計で時間を確認した。やはり、待ち合わせなのだろう。
知永子は息を飲み、和彦の背中を見つめた。ここまで来てしまったら、相手の女の顔を確認するまでは帰れない。そう覚悟を決めた。
再びドアが開いて、水商売風の女が姿を現した。
知永子は、思わず叫びそうになる。服装やメイクのせいでだいぶ印象は変わっていたが、間違いない。
知香子だ。
知香子は、当然のように和彦の隣りへと座り込む。ふたりは親しげに顔を寄せ合い、何やら話し込んでいるようだった。
その場に居たたまれなくなった知永子は、顔を隠しながらあたふたと店を出る。一体、どうすればいいのか解らなかった。
和彦とたっぷり愛し合った後で部屋に戻り、シャワーを浴びた知香子は、濡れ髪にタオルを当てながらソファに座る。
和彦のことを思い出していた。彼に対する思いは、日増しに募っていく。
現についさっき別れたばかりだというのに、もうすでに彼に会いたくなっていた。久しく忘れていたその感覚に、知香子は苦笑する。
まさか、この年になってこんな気持ちになるだなんて…。
その時、テーブルの上の携帯が鳴り出した。見知らぬ番号に訝りながら、知香子は電話に出る。
「はい、もしもし…」
「……」
「悪戯だったら切るわよ」
「……ち、知香子」
かすれたような女の声に、知香子は驚愕する。
「お、お姉ちゃん!?」
「…やっぱり、知香子だったのね」
「何で…この番号を?」
「和彦の…携帯に入ってるのを見たの。悪いとは思ったけど、登録させてもらったわ」
「和彦って…。まさか……」
「…そう。わたしが…和彦の恋人なの」
知永子の言葉に、知香子は言葉を失った。
何という運命の皮肉なのだろう。まさか、再び姉妹で同じ男を愛してしまっただなんて…。
「知香子…聞いているの?」
「え…えぇ。聞いてるわ」
「……別れてちょうだい」
知永子は言った。
「お願いだから…和彦と別れてちょうだい!」
〈約十年の時を経て、再会してしまった姉妹。
やがて彼女達の愛憎は、周囲の人間達をも巻き込む激しい嵐の渦になっていくのであった。〉
つづく




