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永遠の姉妹  作者: hy
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第1話『運命の出会い』

平成元年四月ー


通勤通学で込み合う満員電車の中、倉内知永子はあることに苦しめられていた。

制服のスカートのプリーツ越しに感じる、男の掌。最初は触れているかどうかのさりげなさだったのだが、抵抗しようとしない知永子に気を大きくしたのか次第押し付け、まさぐるような強引さになっていた。痴漢である。

「止めて下さい」

そのひと言が言い出せない知永子は、嵐が過ぎ去るのをじっと待つように唇を噛み締めていた。ふいに、掌の感触が消える。

「止めろよ!!」

知永子の右後ろに立っていた大学生風の青年が、左隣りにいた中年のサラリーマンの手首を掴んで、声を荒げた。

「何だ、ワシが一体何をしたって言うんだ。手を離せ!!この若造が!」

「何をした?ふざけんなよ。痴漢しといて何言ってんだよ」

「痴漢?そんなことをワシがするわけないだろ。貴様こそふざけるな。さっさと手を離さんか!!あっ…痛た……」

大学生はサラリーマンの手首をねじ上げる。サラリーマンは悲鳴を上げて助けを求めたが、それとなく事の成り行きを見知っていたらしい周りの乗客達からの反応は冷たかった。


「ありがとうございます。お陰で助かりました」

駅のホーム、知永子は大学生に頭を下げて礼を言う。大学生は照れたように頭を掻きながら

「別に、お礼を言われるようなことなんかしてないよ」

と笑った。

「それより、あぁゆう時は毅然とした態度をとらなきゃ。スケベ親父の思う壺だよ」

「そうですよね…。わたし、気が弱くて……」

「とにかく、強気で行かなくちゃ。やられっ放しになっちゃうよ。あっ、やばい。遅刻だ。じゃあ」

腕時計を見た大学生は、弾かれたように駆け出す。

「あっ、あの…お名前は…」

知永子の呟きは朝の喧騒に紛れ、彼の耳には届かなかった。




〈まさかこの出会いが知永子と、そして彼女の妹・知香子の仲を引き裂き、四半世紀にも渡る姉妹の愛憎劇の発端になろうとは…。

この時の知永子が、知ろうはずもなかった。〉




翌朝、知永子はヘアゴムを探していた。父からの海外土産でもある、お気に入りのピンクのヘアゴム。

昨日の彼と再会できる保証はなかったが、もしかしてを期待して、少しでも可愛らしくいたかったからだ。健気な乙女心である。

しかし、お目当てのヘアゴムはいつもそこにあるはずの引き出しには見当たらなかった。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

ふいに、洗面所から出てきた知香子から肩を叩かれる。振り向いた知永子は、驚きに言葉を失った。

「何よ、鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな顔をして」

そう言う知香子の髪に、例のヘアゴムが結ばれていた。

「そ、それ…」

「あぁ、これ?可愛いからもらっちゃった。別にいいでしょ」

戸惑う知永子をよそに、知香子は悪びれもせず答えた。

「あらあら、どうしたのよ。朝から姉妹でかしましいわね」

朝食のサラダをトレイに乗せた母澄江が、背後から姉妹に声をかける。

「知香子が、わたしのヘアゴムを…」

「何よ、それくらい別にいいじゃない。可愛い妹なんだから」

知永子の言葉を遮るように、澄江が言い放った。

「それに、やっぱりピンクみたいな可愛い色は知香子ちゃんの方が似合うんじゃないかしら。前々から思ってたんだけど、知永子さんには茶色とかグレーとか…もっと地味な方が似合うわよ」

「でしょ。それにしてもお姉ちゃんらしくないわね、急に色気づいちゃって。もしかして、好きな人でも出来たんじゃないの?」

澄江の言葉を引き継いだ知香子が、鋭く核心をつく。知永子は、思わず咳き込んだ。

「ま、まさか…違うわよ。ただちょっと……」

知永子は、昨日の話をかいつまんでふたりに話して聞かせる。照れ臭くもあったが、やはり心のときめきを誰かに伝えたい思いには勝てなかった。

「…安っぽい話ね」

澄江は、興味なさげに言い捨てて、キッチンへと姿を消した。逆に、知香子は瞳を輝かせる。

「素敵!まるで、姫の危機を救う騎士みたいじゃない。運命の出会いだわ」

両手を胸の前で握り締め、我がことのようにうっとりと陶酔した。

「べ、別に…そんなたいしたものじゃないわよ」

「でも、連絡先くらいは聞いて交換したんでしょう?」

「まさか…名前だって知らないわ」

「もう…お姉ちゃんってば本当に奥手なんだから。そんなんじゃ、いつまで経ってもボーイフレンドなんて出来やしないじゃない。お姉ちゃんだってもう高三なんだから、ボーイフレンドの一人や二人、いて当然なのよ」

「別にいいのよ、わたしはまだまだそんなこと考えられないし。それより知香子はどうなの?高梨さんだっけ?ボーイフレンドとはうまくいってるの?」

「もちろん。近々紹介するつもりよ」

知香子は、悪戯っぽく笑う。

「そうなの?今から楽しみね」

ヘアゴムの一件も忘れ、ふたりして微笑み合う。


この時、運命の歯車はすでに動き出そうとしていた。




次の土曜日、知香子はそわそわと時計を眺めては、彼からの連絡を待っていた。

「知香子ちゃん、ちょっとは落ち着きなさいよ。そんなに何度も時計を見たからって、時間が進むわけじゃないんだから」

微笑ましそうに笑いながら、澄江は知香子を宥める。

「だって…」

「ほら、コーヒーでも飲んで、気長に待ちましょうよ。知永子さんもいかが?」

澄江は、テーブルの上に人数分のカップを並べながら、知永子へと顔を向けた。知香子に向ける菩薩のような微笑みとは打って変わって、その表情はどこか醒めている。


知永子さん。知香子ちゃん。


その呼び名からも解るように、澄江の姉妹に対する態度はあからさまに違っていた。妹の知香子に対しては目の中に入れても痛くないくらいの溺愛ぶりを露にし、一方姉の知永子に対しては常にどこか冷淡でよそよそしい。


それもそのはず、実は知永子は澄江の娘ではなかった。いや、正確に言えば、澄江と知永子は血の繋がりのない母娘だった。

これは知永子も知香子も知らない、言わば倉内夫妻の秘密なのだが、知永子は父浩二郎が外に囲った愛人が産み落とした娘で、十七年前のクリスマスイブの夜、彼が倉内家へと引き取った子だったのだ。

夫である浩二郎はただひたすらに

「済まない」

と繰り返すばかりで、当の産みの母は行方知れず。

当時、すでに知香子を身籠っていた澄江は、悩み苦しみながらも知永子を育てざるを得なかった。もちろん、十七年分の愛情はそれなりにある。

だが、同時に澄江は知永子を見るたびに胸を掻き毟られるような複雑な気持ちになる。彼女にとって知永子は、手塩にかけて育てた娘であり、愛する夫の許されざる裏切りの結晶であった。

とても、実の娘である知香子に対するようにはできなかった。

「ありがとう」

知永子は、言いながらカップを手に取る。その指先が、かすかに震えていた。どうやら知永子も緊張しているらしい。

妹のボーイフレンドに会うだけだっていうのに、何を緊張しているのかしら。

澄江は、心の中で毒づいた。

「それにしても、こんな日に仕事を入れるなんて、パパも何を考えてるのかしら。娘が生まれて初めてボーイフレンドを連れて来るってゆうのに」

「何言ってるの。こんな日だからに決まってるじゃない。きっと、わざわざ入れたに違いないわ。娘のボーイフレンドに会いたがる父親なんて、そうそういやしないわよ」

その時、電話が鳴る。知香子は、すかさず受話器へと飛びついた。電話の相手は当の高梨だったらしく、とろけるような笑顔で

「すぐ行くわ」

と言って、電話を切る。

「駅についたみたい。あたし、迎えに行って来るわね」

喋る時間さえも惜しむように駆け足で玄関へと走り、家を出て行った。

広々としたリビングには知永子と澄江のふたりだけが残され、気まずい沈黙が流れる。澄江はコーヒーをすすり

「あら…冷めちゃってるわ、これ」

と呟いた。




「何か緊張するなぁ」

照矢は慣れないネクタイの結び目を直しながら、深呼吸する。知香子は、笑いながら照矢の腕に自らの腕を絡ませた。

「別に大丈夫よ。今日はたまたまパパもいないし、家にいるのはママとお姉ちゃんだけなんだから。緊張することないでしょう」

言いながら、知香子はドアを開ける。扉が完全に開いた瞬間、玄関まで出迎えに来ていた知永子と照矢が、ほとんど同時に

「あっ…」

と口にした。

そう、照矢こそが知永子を痴漢から助けた彼ー騎士その人だったのだ。言葉もなく互いを見つめ合う姉と恋人に、知香子が首を傾げる。



〈知永子と知香子、腹違いの姉妹による骨肉の争いが始まったのがいつからかと言えば、まさに今この瞬間からだったのかも知れない。

ふたりも知らぬ内に、悲劇はその幕を上げたのだった。〉



つづく





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