Something Sweet, Something Tender
音楽というのは一度奏でられると、空気の中に消えてゆき、
二度と取り戻すことはできない。(エリック・ドルフィー)
終わりは唐突だった。
雨足は強まり、熱帯のスコールのようにすべてを包み込んだ。
雲は厚く、突如夜が訪れたように。
ステージの外でバチっと火花が散った。電源がショートしたのかもしれない。
息苦しいほどの豪雨に観客は校舎の方へ避難していく。
『World is Beautiful』を演奏している最中だった。
この曲は先生が持ってきた。この曲をやるのが先生がバンドに参加する条件だった。
先生が昔やっていたバンドの曲なのかもしれないが、詳しいことは教えて貰えなかった。
走り去っていく観客を俺たちは濡れながら見送った。
先生はステージから飛び降りると、ぐちゃぐちゃになりつつある地面に大の字に仰向けになった。そして、笑いはじめた。
「はっはっはっは……、あー! 楽しかったー!」
先生は……、つまりクレイジーになっていた。熱くなった小さな身体を雨の中で冷やしているのかもしれない。
美鈴とトドがそれに続いて飛び出す。「あー!」とか「わー!」と言いながら、ジーン・ケリーのように雨の中で喚き踊り狂う。
俺と奏太は全員の楽器を無我夢中で土蔵に運んだ。
我孫子会長も手伝ってくれた。
それが終わると、今度はステージ上のスピーカーを下ろそうとした。予想以上の重さによろめいた。
倒れそうになった俺とスピーカーをたくましい手がガッと支えた。
「だらしねーな」
宗形先生の旦那さんだった。
すべての機材を土蔵に運び終えると、俺も旦那さんも泥だらけになっていた。地面に這わせていたマイクケーブルや電源ケーブルを何本も回収したせいだ。
俺はギターアンプに腰掛けて、放心していた。
旦那さんは土蔵の戸口に立ち、まだ雨の中で遊んでいる先生達を眺めている。
「なあ、煙草持ってねーか? 俺のは雨でダメになっちまった……」
俺はギターケースからメンソールとライターを取り出して渡した。
「サンキュー……。まったく、子供だなー」
外では奏太や会長も加わって、輪を作り、まるでインディアンのような、わけの分からない踊りがはじまっていた。
「すいません……。もっと早く止めればよかったです。機材……。壊れちゃったかもしれないですよね」それだけが気がかりだった。
「……気にするな。保険入ってるからよ」
「でも……、すみません……」
「ふー。いいって。こういう仕事してると、もっと壮絶な現場だってあるんだよ」
「でも……」
「……めんどくせーから。機材は明日積み込むわ。俺は週末までに東京帰れればいいからよ」煙草を投げ捨てながら本当にめんどくさそうに言った。「お前等良かったぞ。特に最後の曲が良かった……」
そうだ。この人なら知っているだろうか?
「あの曲って、先生が作った曲なんですか?」
「……さあな」彼はニヤリと笑って言った。「俺らもシャワー浴びるか? 泥だけでも落としたくねーか?」
彼は俺の肩を叩いた。ちょっと照れくさかった。
俺たちは飛び出した。
雨の中、妙な儀式は続いていた。
夢の跡地は、ただ雨だった。
近づいてみて初めてわかった。彼女が小さく口ずさんでいるのは『セイント・アンガー』だった。
我孫子会長は手摺りに肘をかけ。グラウンドの方を見ている。その顔が見えないので、グラウンドを見ているのか、その向こうの空を眺めているのか……。それはわからないが、きっとあの日を思い出しているのだろうと信じた。
「会長。いろいろ、ありがとうございました」
会長は歌を止めた。俺がいることに気づいていたのだろうか。驚いた様子はない。いや……、きっと歌を聞かれた恥ずかしさから、顔を真っ赤にして向こうをむいているのだろう。会長はそういう人だ。
「大したことはしてないわよ」こちらを見ずにこたえる。
「機材。手配したの会長ですよね?」
「……なんのこと?」まだこちらを向かない。
「被服科のファッションショー。ぎりぎりで予算削減させたの、会長らしいですよね」
「それがどうしたの?」キリっと冷えた声だ。
動揺を隠そうとしているのがわかった。
「それがどうしたか、と言われれば……、ありがとうございましたってことですよ」
「何それ」そう言って「ふん」と鼻を鳴らした。
「ランウェイの設営。去年までは業者さんがやってたんでしょう? しかし今年は余った机でランウェイを手作りした。それなのに、予算は去年とほぼ一緒だったみたいですね。さて、浮いたお金はどこへいったのでしょう?」
「誰から聞いたの?」会長ははじめて振り向いた。
いつもどおりの、冷たそうな眼鏡と、もっと冷たそうな目だった。
「いえいえ、誰も口を割ってないすよ。俺の妄想です」
「そう」
温い風が吹き、規則正しく並んだ会長の前髪を乱した。
「先生の旦那さん。えーと……、なんて名前でしたっけ?」
「ケンジさん……」会長は言った。
「ああ、そうそう。あの人は先生の為にボランティアしてくれたんだと、最初はそう思ったんですよ。でも、あの人何度か口にしたんですよ……、仕事だって……」
そう。お金が貰えるのが仕事。そうでないのは、奉仕活動……つまりボランティアだ。
「あなた、推理小説とかも好きなの?」
「なにぶん多趣味なもので……」
「ふん」会長は薄く笑った。「それじゃあ、次は犯行動機かしら」
そう、犯行動機。「犯行」は余計だが……。
「動機ですかー。うーん……。メタリカが聴きたかった?」
「ぶー。ハズレ」
「美鈴のため?」
「それもあるかも……。でも違う」
「俺と奏太の昔話……。あれに同情してくれたから?」
「おしいけど、違う」
「ギブアップです……」
「教えない……。探偵にはなれないわね」
会長は出入り口に向かい歩き始めた。
そして一言。かろうじて聞こえた。
「鈍感……」
鈍感? そういえばあの人にも言われた。
あれはライブの翌日だった。
グラウンドの隅にある水道で。先生の旦那さんはスピーカースタンドについた泥を洗い流していた。
「君も鈍感だなー」
「え? そうですか?」
俺は濡らした雑巾でマイクケーブルを一本一本丁寧に拭いた。
「まあ、俺も人のことは言えないがね……。とにかく、そう何度も礼を言う必要はない。聞きあきた」
「そんな……」予想外の冷たい物言いに少しへこむ。
「その様子じゃ、今回のことに関わった連中に礼を言って回ってるんだろ? まあ。それはいい。礼儀は大事だからな。だけど必要以上に恩義を感じることはない。みんなそれぞれ、少なからず利害とか思惑があって君に協力したんだよ……。誰もが君の為に動いてくれたなんて、思い上がるな」
「いえ、そんなつもりは……」
ない。いや、どうだろう。俺はただ、言い出しっぺとしての責任を果たそうとしているだけであって……。
「まあ、音楽とかバンドなんて、そんなもんよ……」
音楽とかバンドなんて……。その言い方が引っかかった。しかし、それは俺が若いからだ。あとになって知ることとなる……。
「そんなもんだとしても。今回のライブ、うまくいきました。みんなの中に、何か残せた気がしてるんです。本当にやってよかった」
それだけははっきりと言いたかった。この人にはわかってもらえる。そう感じた。
しかし……、
「別に俺の中にはなんにも残っちゃいねーよ。それに、うまくいったのは、運が良かったからだ。思い上がるなよ。実力がどんなにあったって関係ない。それがこの世界だ。これから先も、こんなふうにうまくやれるなんて思わないことだな……」
それが高校生活最後の、そして最も鮮烈なイベントだった。
それから卒業までの間、何をして過ごしたのか、あまり思い出せない。きっと、ただだらだらと過ごしたのだろう。
その後、奏太は地元の大学に進み。俺は東京の三流大学に進学した。トドは親の反対を押し切り、東京の音楽の専門学校に……。美鈴は高校を卒業すると、地元の小さな企業に就職した。
俺とトドは上京する日取りを合わせ、そこには奏太と美鈴が見送りにきてくれた。
新幹線の東京行きのホーム。美鈴は泣きじゃくっていた。
「お盆には帰ってくるよね? またバンドやろうね!」
そう言った彼女の金髪をぐしゃっと鷲掴みにしてやった。
「やめろ! 秀二ぃ。離せってば! お前が触っていいのは私じゃないぞ!」
「なんだそれ?」妙な言い回しをする奴だなーと思った。
「あのな秀二……、アビちゃんな……。会長もな、東京行くんだ。有名なとこだぞ……。すごく頭いいとこ。だからな、連絡とってやれよ! 絶対だぞ! 絶対向こうで会えよ!」
一体何を言っているのだろう? まあ、会長も東京に行くなら、向こうで新しい友達ができるまでは、寂しい思いをせずにすむかも。その程度に考えていた……。




