Maybe Someday
「違法ダウンロードによって、音楽の価値が軽んじられていることをどう思いますか?」
「元々価値なんてないないんだから、問題ないじゃないか」(ボブ・ディラン)
「秀二君、よくそんなこと調べたわね」
「うちの美鈴は、将来諜報員になれるんじゃないかってくらい、そういうの得意なんですよ」
「うちの美鈴?」先生はくすりと笑った。冷やかすような目を向けてくる。
「ええ、うちのバンドメンバーですから」
宗形先生は「そう」と言い眼鏡を外すと、丁寧に折り畳んでケースに納めた。
先生のデスクは整理整頓されていて、持ち主の細やかさがよく表れていた。それに引き替え、隣のデスクは荒れている。答案用紙が角をそろえられずにどさっとおかれており、右端には参考書や教科書が積み上げられ、宗像先生のデスクとの境目に城壁を成している。確か古典の石井先生のデスクだ。
「それで」先生は眼鏡ケースをパタっと閉めた。そして、さりげなく辺りを見回す。この話を他の教員に聞かれたくないようだ。「私にボーカルをやって欲しいってこと?」
「そうです」
「学祭のライブで?」
「そうです」
先生は黙り込んでしまった。
その雰囲気から了承の気配は感じられない。少なくとも前向きに検討をしてくれている表情ではない。
そして「はー」とため息をついてうなだれた。「だからああいうこと言いたくなかったのよ……」
「先生?」
「いつもそう。でも私は無理なのよ。なんというか、そう。血が騒いでしまうの。音楽? ロック? ライブ? やりたくなっちゃうのよ。我慢? できるわけないでしょ!」
語気を強めた声は教務員室中に響いた。何人かの先生がこちらを見る。
「……すみませんでした」
腰を折り謝るフリをする。こうしておけば単に説教を受けてるように見えるはずだ。
「はあ……、ごめんなさい。取り乱しちゃって……。いい反射神経してるわね。アドリブがきくのはいいギタリストの条件よ」
「はあ。ありがとうございます」
「わかりました。ただし条件があります」
「やってくれるんですか!」
昼休み。生徒会室には美鈴と……、我孫子会長もいた。
美鈴はカップラーメンのフタに焼きそばパンをのせて、そわそわしている。たった三分を待ちきれない様子だ。
会長はキティちゃんの描かれた弁当箱を広げている。
「計画書は進んでる?」会長はタコの形に切ったウインナーを箸で持ち上げながら聞いてきた。
「ぼちぼちですね。まだ解決しなきゃいけないことが山ほどあります」
「まあ、つまりこれがあれば解決することがほとんどだよね」美鈴は親指と人差し指で丸を作りながら言った。つまりは金という意味だ。
美鈴のスマホが三分たったことをアラームで知らせた。
「まあ、がんばってちょうだい。応援だけはするから」タコさんウインナーを飲み込んだ会長が言った。
「協力はしてくれないんですね」
「私になんのメリットがあるの?」会長が睨むように俺に冷たい視線を向けた。
「セイント・アンガーやります」
会長は目を見開いた。二匹目のタコさんウインナーが会長の箸からポロリと逃げ出した。
「あの曲難しいよね。長いし」そう言って美鈴は持ち上げた麺をふーふーと冷ます。
「美鈴、メタリカなんて弾けるの?」会長は驚いて聞いた。
「難しかったけど、あの曲はアビちゃんのリクエストなんでしょ? がんばったんだから」
「え? 私はリクエストなんて……」
「そうそう。美鈴は本当にがんばった。初心者なのにメタリカをものの数日だぜ。本当に凄いよ!」俺は会長の言葉を遮った。
会長はまた俺を睨んだが、素知らぬふりをした。
「ああ、それと悲しいお知らせがあるわ」会長は弁当箱を置いた。「当日、体育館のステージは使えないわよ」
「え? なんで?」
「あそこは被服科がファッションショーに使うから」
「だったら時間をずらして使わせてもらえばいいんじゃない?」美鈴は焼きそばパンをもさもさと頬張りながら言った。
「設営と準備に時間がかかるからって、ほとんどの時間を借り切ってるの。着替えとかもあるから、他の人間を入れたくないんでしょ」
「じゃあ、どこでやればいいんだよ……」
「申請が通りやすいのは……グラウンドでしょうね」会長が言った。
「いいじゃん! 野外ライブ! やっぱ野外でしょ」美鈴が無責任にはしゃぎ出した。
「あのなー。野外となるとそれなりの大型の音響機材が必要になる。体育館だと一応スピーカーが備え付けられてる。けどそれがないグラウンドでは一から用意しなきゃいけない。それにステージだって一からの設営になる。材料だって調達しなきゃいけない……。問題が山積みだって言ったけど、これはとんでもない山だよ。富士山だよ。チョモランマだよ」
俺は頭を抱えてしまった。
「山は登るためにあるのよ」宗像先生が言った。
先生はずっと黙って我々のやりとりを聞いていた。先ほどまでサンドイッチをもふもふと食べていただけだったがやっと口を開いた。
「先生。よくわかりません」
「いいわねー。こうやって本気で悩み苦しんで何かを成そうとする生徒がいてくれることが学祭の意義なのよ。残念なことにそういう生徒は少数派だけどね……」
「俺だって多数派でいたかったですよ……」
「じゃあ、なぜあなたはそこまでライブをやりたいの?」珍しく会長が興味ありげに聞いてきた。
「……いろいろあるんです」
そう。いろいろあるのだ。
「あきらめないでね」先生がやさしい声で言った。
げつん。ぶー、げつん。とリズム感のない音を奏でながら軽トラは農耕車専用道路を走る。
「おまえギヤチェン下手すぎ」俺は溜まらず文句を言った。
「しょうがねーだろ。俺はオートマ・オンリー・ライセンスなんだよ」トドが言った。
「とにかくアンプ積んでるんだから、もっとやさしく」
荷台には隣町のリサイクルショップで見つけた百ワットのベースアンプが積んであった。
「そういえば、聞いたか? 美鈴がさ、新しいベース買ったらしいぞ」
「え、マジで?」
「マジで!」
「ものは?」
「レイクランドの五弦ベースだって」
「へー。金持ってんだなー」
「いや、親に頼んでローン組んだらしいぞ」
「今まで使ってたのは?」
「売ったらしい」
「売ったって……、あれハードオフで五千円だったやつだろ。いくらで売れたんだ?」
「煙草一箱ぶんだってよ」
「まあ、そんなもんだろうな……」
俺は膝でギブソンのハードケースを抱えていた。兄貴から借りてきたギターだ。ただでさえ狭苦しい軽トラの車内が余計に窮屈に感じられた。なのでポケットから煙草を取り出すのにも一苦労だった。
「なんだか急にバンドの楽器がグレードアップしたな」トドが忙しくハンドルを回しながら言った。
「新しいドラム買うか?」
「今のあれだって高かったんだぞ」
「そうなのか?」
日曜日のグラウンドに堂々と軽トラを乗り入れる。今日、野球部は他校に練習試合に行っているはずだ。
もし誰かに見つかったとしても、文化祭の準備に必要だったと言えば許される気がしていた。
土蔵の扉を開けると、先客がいた。
「おじゃましてます」
宗形先生だった。先生はドラムセットの前でしゃがみ、何か小さな銀色の工具のようなものを持っていた。
「何してるんです?」トドが聞いた。
「チューニング。君ちゃんとやってなかったでしょ? バスドラのミュート材も足りない。いいドラマーはリズムだけじゃなくサウンドにも拘らなきゃ」
宗形先生は立ち上がると、ドラムセットの後ろに回りペダルを踏んだ。
ドッ。っと締まりのある低音が鳴った。
「うん。できた。これでよし。叩いてみなさい」
トドがスティックを手に、イスに座る。
クラッシュ・シンバルに向かいスティックが振りおろされる。
聞こえてきたのは、まさにドラムの音だった。
はじめてエイト・ビートというものを身近で感じることができた。
トドも最初は目を丸くした。すぐに楽しそうな顔になり、自分の作り出すリズムに陶酔しているのがわかる。時折、唇を噛みしめ難しそうなフィル・インを差し込む。
一際派手なフレーズを叩き出し、シンバルの鋭い余韻を残したまま、演奏が終わった。
「すげー」心の底からそう思った。「トドってそんなに上手かったっけ?」
「俺も、自分でそう思った」
「いい音だとちゃんと自分の力を発揮できるものなのよ」先生は言った。
「うん。わかりました!」トドが力強く言った。「凄く音が締まっていて。ああ、ごまかしが利かないって思うんだよ。凄く慎重に叩かなきゃって気になるんだ」
「それにしても楽しそうだったわね」先生は小さな子供を相手にするように言った。
「さて、今日の練習は楽しくなりそうだな」
遠くから甲高い2ストのエンジン音が近づいてきた。
D.S.
宗形先生の歌ってくれた曲のタイトルは『World is Beautiful』に決めた。
世界は美しい。
先生の歌声がこのMTRに吹き込まれてから、俺はそう感じていた。信じてみてもいいかもしれないと……。
稲穂を割る風が吹く。見上げれば空には鰯が泳いでいる。俺の頭の中で先生の歌声が流れる。
それだけで世界はこんなにも美しいではないか。
スクーターのエンジンは排気ガスをまき散らして、俺を退屈な学校へと運んでゆく。
しかし、それでもこの世界は何者にも汚されず、何者にも囚われず、今日もここにあって、それでいて何もない。
学校のげた箱には「学祭ライブ! 出演者募集中」という手書きのポスターが貼られていた。それを鼻で笑ってやる。
誰が出演するのかは知らない。知らないがどんな奴らがステージに立ちたがるのかは想像できる。きっと俺が嫌いな奴らだ。そいつらが一時のヒーロー気分を味わうためのものだ。俺は興味ない。
学園祭を一週間後に控えた放課後。空には鰯も鯖も泳いでいなかった。西の空が赤く燃えだしたものだから、焼き魚になるまいとさっさと逃げ出したのだろう。
湖畔公園の野外音楽ステージに俺と先生はいた。
少しばかりの回り道をして一緒に帰るのが最近のお決まりになっていた。
人気のないこの場所で、いつもとりとめのない話をする。
俺の成績のこと、進路のこと、夢のこと。先生の仕事のこと、バンド活動をしていた頃の話、恋愛の話。
俺は他愛のない話の途中、ふと本音を混じらせる。落ち葉をかくすなら……そんなつもりで巧妙に、俺なりの悩みを先生に相談していた。
しかし、先生には気づかれていたのかもしれない。
結局、先生がくれるアドバイスは一つに集約される。「それは君が若いからだよ。誰もが経験することなんだよ」と……。
ヒトとは違う。それが俺の悩みのはずだった。
しかし、先生にそう言われると、不思議と素直にそうなのかもしれないと思えた。
いつかはうまくやれるかもしれない。俺が大人になれば。この世界とうまくつきあっていけるのかもしれないと。
「ケンジ君は、プロになりたいの?」
「どうですかね……。なりたいけど、無理だと思います」
「どうして? 若いのにもう諦めちゃってるの? 君には才能があると思うなー」
「それは知ってます!」自意識過剰なセリフで二人とも笑ってしまう。「知ってますけど。世の中は変わっていきます。音楽の価値がどんどん下がって、それを仕事にするのが無理な世界になると思うんです」
「そんなことってあるの?」
「俺はパソコンとか詳しくないから、よくわからないですが……。誰もが無料で音楽を手に入れられる時代がそこまできてます。CDを買わなくたって自宅にいながら欲しい音楽を手に入れられるんです。そうしたらもう、一曲に人々が払ってもいいという値段がどんどん下がってしまうに決まってます」
「すごーい。そんなことまで考えてたの?」
「凄くないですよ。勘のいい奴なら気付いていることです」
先生は立ち上がり、ステージの中央に移動した。
誰もいない客席に向かい歌い出す。
ボブ・ディランの『時代は変わる』の一節だった。
(今、負けている奴らが いずれ勝つことになるだろう 時代はいま変わりつつあるから)
原曲よりずっと高いキーで先生がそう歌った。
「音楽に価値がなくなるなんて私はそうは思わない」強い眼差しを客席にでも夕日にでもない。もっと遠くに向けながら先生は言った。「誰だって環境が変われば音楽との距離が変わる。扱いが変わる。些細なことで音楽が嫌いになるかもしれない。仕事が忙しくてその情熱を忘れるかもしれない。CDを買わなくて済むならそうするようになるかもしれない。でもね……」
先生の声は泣き出しそうだった。感情にのどを詰まらせる。しかし、その感情を押し退けて先生の小さな身体からは意志が吐き出され続けた。
「でも、素晴らしい曲に出会えた時……たとえばあなたが作るような素晴らしい曲に……、その時、ヒトはまた変われるものなの。音楽の素晴らしさを思い出せるの。だから、どんなに時代が変わっても、あなたのような音楽を作れる人は必要なのよ」
先生はなぜ音楽をあきらめたんですか? そう聞きそうになってしまった。いや、いい。知らなくていい。知らなくていいんだ。
音楽はここにある。
オレンジ色のライトがステージに降り注ぎ。二人が奏でる無音に、世界が耳を傾けていた。




