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Creep

「ロックなんてゴミクズじゃないか」(トム・ヨーク)


 

土蔵の中は安物のスピーカーが奏でる高周波に満たされていた。断続的にボフっと、締まりのないバスドラムの打撃音が打ち込まれる。

 それはお世辞にも音楽と呼べる代物ではなかった。

「やめやめ!」俺は腕でバッテンを作りながら叫んだ。

 皆は演奏を止めた。

「なんか、うまくいかないね……」奏太が言った。

「うーん……。なんというか、ごちゃごちゃしてるよね」美鈴はそう言ってベースの四弦をボーンと鳴らしチューニングメーターをいじっている。

「間違ってるわけじゃないし、みんなちゃんと曲は覚えてきてるんだけどなあ……。なんていうか、こう、ボワっとして、グジャっとなってる」

「ボワで、グジャ?」三弦、A音の伴奏で美鈴が俺の喩えを笑った。

 その時、鉄製の扉が悲鳴をあげながら開いた。

「お邪魔します」

 小豆色のジャージを着た小柄な女性。宗形先生だとわかるのに数秒を要した。なぜなら俺はいつもスーツを着ている授業中の先生のイメージしかないからだ。

「あ、先生。どうしました?」トドが聞いた。

「ここにハードルがしまってあるって聞いたんだけど……」

「ああ、すいません。体育館の倉庫に移動させちゃいました」

「そう……。あなた達は、軽音同好会か何か?」

「いえ。自分達は生徒会文化祭ライブ実行委員であります」俺は姿勢を正しこたえた。なぜか上官の質問にこたえる新兵のような言い方になってしまった。

「そう……、それじゃあ、がんばってね」

宗形先生はくるりと回り鉄の扉に手をかけた。出ていくと思いきや、その場で固まった。

「先生? どうしました?」美鈴がのぞき込むように聞いた。

 すると先生はくるりと振り返った。何かを決意したような。怒りを堪えているような……。先生のそんな表情は今まで見たことがない。

 怒られる。この場所を勝手にバンド練習に使っていることを注意されると、そう思った。

「ドラムが走りすぎてる。美鈴さんのベース音をしっかり聞いて。彼女の方が正しいテンポをとれてるから。それから美鈴さん!」先生は人差し指をビシっと美鈴に向けた。「ベースはもう少しボリューム上げていい。可能ならもう少し大きいアンプを用意したほうがいいわね。それから奏太くん。あなたが上手いのはよくわかる。でもこれはロックなんだから、もう少しラフに、ソロはリズムに対して少し突っ込んでいく位がスピード感がでるわよ。そして秀二君、このバンドだとあなたのストラトの音はアンサンブルに埋もれちゃう。ハムバッカーを載せた、レスポールみたいなギターの方が似合うはずよ」

 時間が止まった。俺を含めバンドメンバーは何が起きたのか理解できていない。ポカーンとしているとカキーンという金属バットの音が遠くで鳴った。

「せ……先生?」

「あ、ご、ごめんなさい! 余計なこと言って。で、でも、あなた達、いい音してるから、もっとよくなると思って……ごめんなさい!」

 そう言って宗形先生は重い扉をバーンと開き、勢いよく飛び出していってしまった。

「え、なに? どういうこと?」奏太はきょろきょろとメンバーの顔を窺い言った。

「そういうこと……、だろうな……」

 我々の企みに宗形先生という新たな要素が加わる。 

 つまりは、そういうことだ。


 廃墟。それは大げさかもしれない。しかし、誰も使う者のいないこの建造物をそう呼んで問題はなさそうだ。少なくともその一歩手前くらいまでは来ている。

 一体、こんなものを作ろうと言い出したのは誰なのだろう? 誰でもいいが。お役所はこういうモノを作るのが好きだ。何年か前、駅前にも噴水が作られたが、水が吹き上がっているのを見たのは最初の一年ほどだった。今やただの枯れ井戸だ。

 そして、特にこいつは、この田舎において無用の長物だ。

 野外音楽ステージ。

 誰かがここで演奏しているのを見たことがない。どうやってここを借りればいいのかさえ、誰も知らないのではないか。

 美鈴はこの湖畔公園に来る度に、このステージに立ってみる。そして、いつも思ってしまう。この廃墟寸前のステージは、こんな田舎町に生まれてしまった自分みたいだと……。

 美鈴は、我孫子めぐみと下校途中に久々にこの場所に来ていた。

「美鈴。今日はバイクじゃないの?」我孫子めぐみが聞いた。

「うん……。なんだか機嫌悪いの。だから修理出してる」

「機嫌か……、擬人法ね」

「そんなんじゃないよ。ほんとに機嫌があるんだよぉ。生き物なんだから。例えば、私が遅刻しそうで凄く急がなきゃいけない時に調子悪くなったりするんだから」

「悪くなっちゃうの? いじわるなバイクね」

「そうじゃなくて、事故らないように、あの子は焦っちゃダメ! って言ってくれるんだから」

「ああ、そういうこと……」我孫子めぐみは、美鈴が背負っているケースを見た。「その子にも機嫌があるわけ?」

「え。ああ、これ? ……うん。あると思うけど……、多分相性悪いんだよね。私とこの子」

 美鈴はケースからベースを取り出した。ストラップを肩にかけボーンと弦をはじく。

「相性ねえ」

「そう。なんかね、私以外の人の元に行った方が幸せな気がするんだよね」

「なんだか恋愛みたいなこと言うのね」我孫子めぐみはクスリと笑った。

「私が不純だったのー。あなたのことを弄んでしまっていたかもしれないわー。許してちょうだい」美鈴はベースに向かって昼ドラのような台詞を言った。

「なにそれー」我孫子めぐみはそう言って、つい笑ってしまった。

「アビちゃんってさあ、好きな人いるの?」

「な、なに急に?」

「いや、どうなのかなあって……」

「美鈴はどうなの? あの秀二とか?」

「違うよー。あいつは友達だもん。本当にいい友達」

「そうなんだ……」我孫子めぐみは少し考え込んでから言った。「美鈴ってなんであいつらと仲良くなったの?」

「うーん……。なんでだろ? なんかね一緒にいて楽だった……。いや、違うかな。違和感がなかったからかな」

「違和感?」

「うん。あいつらって、なんか、さっぱりしてるでしょ。どうでもいいことを、どうでもいいって言っちゃえるというか……。私は、結構そういうところに救われたんだ……。わかるかなあ?」

「さっぱりわからない」我孫子めぐみは冷たく、でも少し嬉しそうにそう言った。

「ライブ楽しみだなあ。できるといいなあ」

 美鈴は観客のいないステージでベースを構え、ぴょんと跳ねた。

「できるわよ……、きっと」珍しく暖かみのある声だった。


      D.S.


 残念なことに、俺は誰かに伝えるべきテーマを持ち合わせてはいない。

 ただ吐き出すだけ。だらだらと日々を過ごすだけで体の奥に溜まってゆく澱を排泄するだけの行為。

 それが俺にとっての音楽。

 将来に対するぼんやりとした不安。人々の中にちらりと見え隠れする悪意。そういったものを消化した先に生まれるのがロック。

 つまりロックとはクソなのだ。

 人に自慢できるようなものではない。

 もし、そうして垂れ流された排泄物をムカつく奴らに投げつけることができたとしたら、それは実にロックだろう。そう、そういう行為こそが本物のロックだ。

 しかし、この時代においては似合わない。

 一九六十九年とは違うのだ。

 ラブ&ピースと描かれたTシャツを着ればダサいだけ。特にこの田舎町でそんなファッションは殊更にイタい。

 ドラッグをキメてみようにも、どこにいけば買えるのか俺は知らない。それにドラッグをやる勇気は俺にはない。実にショボい。

 角材を手に、安全帽を被って反体制を気取っても、機動隊は出動してくれないだろう。せいぜい駐在さんが来て「君なにやってるの?」と言われるのがオチだ。

 誰かが言ったように、ロックンロールは死んだのだ。

 いや、最初からそんなものは存在しなかったのかもしれない。幻想だったのだ。

 しかし、クソだろうが幻想だろうが、この体の奥底にあるドロドロとしたエネルギーを発散させるのに、ロックンロールほどちょうどよいものはない。

 俺はそのエネルギーを誰かに向けて放つことはしない。

 ただただ、マルチ・トラック・レコーダー(MTR)に吹き込む。

 隣町のハード・オフで手に入れたこの4トラックの魔法の箱は二万円だった。

 まずはギターをトラック1に録音する。そしてトラック2に仮歌を録音する。マイクはこれもハード・オフで買った。千円もしなかったカラオケ用のジャンク品だ。防音のために毛布をかぶって歌を入れる。夏場は一曲歌い通すだけで汗だくになる。

 そして、トラック3にはドラムを入れる。ドラムセットは親父の昔のバンド仲間から譲ってもらった。これが本当に難しい。なかなかいい音で録れないのだ。マイクの向きや、スネアやタムにタオルを置くことで音量を調整したりして工夫する。

 トラック4にはベースを入れる。ただ、俺はベースを持っていない。かわりになるのが電子オルガンだ。うちにはなぜか俺が物心ついた頃から電子オルガンがあった。そいつのヘッドフォン用アウトプットからシールドを繋ぎ、人差し指一本のみを使いベースラインを鍵盤で演奏する。

 そうすることで、友達がいない俺でもバンドが組める。

 メンバーは俺一人だけ。一人バンドだ……。

 そう、それだけでよかった。

 あの人に聴かせるまでは……。

 現国の宗形先生。

 彼女は俺の音楽に興味を持ってくれた。俺の自慰行為のような音楽活動に……。

 俺の排泄物が詰まったMDを先生に渡した時は、言い表せぬ恥ずかしさ、背徳感で背骨がぐにゃぐにゃにとろけそうだった。

 自分の作った音楽を他人に聴かせるということが、こんなにも勇気のいることだとは知らなかった。性癖が書き連ねられた日記を音読するようなものだ。

 聞けば、先生も学生の頃、バンド活動に明け暮れていたらしい。ボーカルをやっていたとのことだ。メジャーレーベルから声がかかったこともあるという。

 しかし、先生は教職を選んだ。その理由は聞かないことにした。音楽の話をする先生の熱量は未だに凄まじいものがある。それを振り切ってまで教師という仕事に就かなければならなかったのだとしたら、俺のような子供には到底理解できない心情だったのだろう。それに対して共感も同情も野暮だろう。いや、失礼に値する気がする。

 ある日、俺は先生の為に曲を作った。先生に歌ってもらうために。

 先生は驚いていた。

「ケンジ君、私この曲好き。歌詞も凄くいい。歌ってみたい」

 数日後、俺は鞄にMTRとマイクを隠し持って登校した。放課後、ボーカルをレコーディングするために先生は視聴覚室の鍵を借りてくれた。

 マイクを前にした先生は真剣そのものだった。何度もテイクを重ねる。

「ケンジ君、今のところもう一回!」

 その情熱に俺はただただ圧倒された。そして思い知った。音楽とは美しいものだ。

 メロディに魂を込めて歌いあげる先生の姿は美しかった。

 俺の雑然とした歌詞に意志が刻まれてゆく。ぼんやりと、もやもやとした負の感情をしたためた散文は彼女の声に導かれ、一つの方向へ向かおうと、ルーズリーフの上でさざめく。

 もっと自由を! もっと光を! 

 希望。それは漢字二文字で表せばとても陳腐なテーマに感じてしまう。しかし、先生の歌声は俺の陳腐な魂を解放しようとするかのごとく、ただただそこへ向かう。

 時にささやき、時に振り絞り、時に叫び。

 停止ボタンを押す。

 この箱に閉じこめられたものは、排泄物でも幻でもない。

 家に帰ってから、何度もその曲を繰り返し聴いた。

 一人の部屋で、ひたすらに涙が流れた。

 気づけば窓の外で朝刊を配達するカブのエンジン音が聞こえた。

 その日から、先生と俺だけの軽音同好会がはじまった。

 視聴覚室では使える時間が限られていたため、町営体育館のAVルームを使わせてもらうことにした。AVルームといっても、放送用の機材が詰め込まれた小会議室のような部屋だった。

 放課後、町体には弓道部の連中も部活動に来ているらしい。なので奴らに見つからないよう俺はいつもこそこそと出入りした。

先生は「堂々としていればいいじゃない」と言うが、無理な話だ。

 俺はまだ半信半疑なのだ。

 自分の音楽に対しても、先生以外の他人に対しても。

 この世界に対しても……。


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