teen spilit
「あなたにとって、ギターとは?」
「死んだ木……」(カート・コバーン)
鰯雲。それは、秋の季語である。
先ほど現国の授業で知ったことだ。しかしそれ以外の授業の内容はほとんど覚えていない。現国が嫌いなのではない。むしろ好きな方だ。今後の人生で二度とお世話になることがないと思われる数学の公式を覚えるより、活字に対する耐性をそれなりに身につけておく方が幾分か役に立ちそうだし、それよりも何よりも、宗形先生は若くて美人だからだ。
それでも今日の五限、俺は船を漕いでいた。
船を漕ぐ。それはコックリコックリと居眠りをすること……。
昔の人達は凄い。回りくどいものの例えをよく思いつくものだ。
放課後の空には鰯が泳いでいた。床に寝ころび、ニコチンの息を吹きかけてみる。しかし鰯の群はふてぶてしく、悠々と回遊を続ける。ゆっくりと、実にゆっくりと。
「俺にはレスポールに見えるけどな」俺はつぶやきといえないほどハッキリとした声でつぶやいた。
兄貴の持っているレスポールには、ちょうどこの空のような虎柄の木目が入っているのを思い出していた。
「え? なに?」奏太が聞き返した。
「鰯ってめったに食べることないよな?」
「だから何?」
「空だよ」
「ギターの話なのか、魚の話なのか、空なのか、なんなの?」
「全部」
「秀二ってなんでそう……飛んでるの? 主語はどれなの? 頭の中どうなってのるか、理解に苦しむよ」
そう言って奏太は缶のコーラを一気に飲み干した。
飛んでるのは鰯であって俺の頭ではない。奏太は想像力が足りない。会話の行間を読んで欲しいものだ。何もないところに意味を置く。そこに置くべき意味は受け手なりのニュアンスを含んでもらって構わない。つまり、人それぞれのフィルターを通す。そういうものではないか? 音楽も現国もそうだろう。
気づけば手に持っているタバコは根本のフィルターまで焼けはじめていた。
「灰皿くれ」
「そんなの持ってないよ」
「その缶だよ」
「これは缶であって灰皿ではないよ」
奏太が差し出してくれた空き缶は、俺の手にかかれば灰皿に成り下がってしまう。
「サンキュー」
きっと奏太は現国が苦手なんだろうな。と思った。
「いいの? こんなところでタバコ吸って……」
こんなところ。とは町営体育館の弓道場だ。
ここは高校から歩いて数分の場所にある。何年か前に我が校の弓道部は廃部になったらしい。それまではこの弓道場を使っていたという。そこに目をつけた俺は今年から名ばかりの弓道同好会を設立し、今年から再びこの弓道場を使わせてもらうことにした。
ここならば気兼ねなく優雅に放課後を過ごせる。鍵をかけてしまえばタバコだって吸えるのだ。
「大丈夫だよ。万が一の時は一緒に反省文でも書こうぜ」
「ぼ、僕は嫌だよ!」
「お。来たな」
甲高い2ストエンジンの音が遠くから近づいてきた。
その音は近づいて来るほど回転数を落とし、やがてアイドリングになる。
こんな派手な音を立てるのはこの辺には一人しかいない。バイクは兄貴のお下がりだというヤマハTZ-R……。その持ち主はこの名ばかり同好会の数少ないメンバーの一人。
エンジン音が止み、しばらくすると弓道場の脇にある、人の背丈ほどの生け垣から、ガサガサ、ボトリ。人影がこぼれ落ちた。
その人影はセーラー服を着て、フルフェイスのヘルメットを被った一見異様な装いをしている。彼女はむくりと起き上がり、芝生の上を大股でこちらに歩いてきた。
「なんで私が来ることわかってるのに鍵閉めてるのよ!」
ヘルメットを脱いで怒鳴る。金髪のショートヘアが乱れている。
「いや、一服してたから……」
「もう!」彼女は乱れた髪を撫でつけながら、床板にどかっと胡座をかいた。
スカートの中が丸見えだが、問題はない。彼女はスカートの下に赤いジャージのハーフパンツを履いている。問題は、その服装が恐ろしくダサいということだけだ。
美鈴は顔だけを見るならそれなりに美人だ。しかし、その前衛的とも言える田舎的パンク・ファッションのおかげで、彼女に色気というものを鼠の産毛ほども感じない。
「……で、見積もり、どうだった?」
「やっぱり高いわよ。運搬費込みで、八万超える」美鈴は怒鳴っていなくても声がでかい。奏太はそんな美鈴の声が好きだと言っているが……。
「奏太、どう思う?」
「うーん。やっぱり出演者を増やして、カンパしてもらうしかないんじゃないかな。生徒会がいくら出してくれるかによるけど……」
「その生徒会だけど」美鈴はメッセンジャーバッグからパックのいちごオレを取り出しながら言った。「一円も出せないって言ってるわよ」
「は?」俺と奏太は同時に言った。
「しょうがないんじゃない。もともと今年の学祭ではバンド演奏はなしって決まってたみたいだし」
「なんで? どうして! なんでだよ……」奏太が聞いた。その目は見開かれ、血走っている。
奏太はギターが上手い。言ってしまえばそれしか特技がない。普段からそれをひけらかすような性格ではない。つまり地味な奴。でもいざその時がくれば「僕にだってこんな特技があるんだ!」と輝けるはず。それを待ちこがれている。つまりそんな奴。
このままではその「かがやける時」が永遠にやってこないのだ。焦るのも無理はない。
「今の生徒会の中にライブを運営できる人がいないんだって。去年の三年生はそういうのが好きな人たちがいたからできたんだけど、今の三年生にはそのノウハウがないらしいのよ」
「そんな……」奏太はがっくりとうなだれてしまった。
俺はブレザーの内ポケットからメンソールの箱を取り出した。
「オホンッ」美鈴がわざとらしい咳をした。
「いいじゃねーか。お前だって吸ってだだろ」
美鈴の非難がましい視線を無視し、構わず火をつける。
「ふー。わかった。機材はなんとかする。問題は運営だな」
「さすが秀二! あきらめないんだね?」奏太はすがるように俺の腕をつかんできた。
「離せ。お前のためじゃない。俺には高校生活で実現させなきゃいけないことが二つある。一つは彼女を作ること。もう一つは学祭でバンドをやることだ。誰にも俺の青春を邪魔させない」
「ほんと、あんたらって、……中二病」美鈴がじっとりとした目で俺たちを見て言った。
「金髪レーサーレプリカ女に言われたくない!」
「髪は私のポリシー! バイクは親が新しいの買ってくれないから!」
「とにかくだ。美鈴に頼みがある。お前さ、生徒会長と友達だろ? 俺らを生徒会に入れてもらえないか聞いてみてくれ」
「ええ! あんたらが?」
「え? 僕も?」
「生徒会にできる奴らがいないなら、俺らが生徒会に入って俺らが運営すりゃいい。自作自演だ!」
「マジ?」美鈴が言った。
「マジ。問題は……、ボーカルか」
才色兼備。それは今俺の目の前にいる女の子のことだ。
「あなた弓道同好会じゃなかったっけ?」
生徒会長の我孫子めぐみは黒縁眼鏡の奥から訝しげな視線を俺に向けて聞いた。
「まあ……、多趣味なもので」
「そうみたいね……。あなたのことは美鈴からいろいろ聞いてるから」
いろいろとは、どうせあまり良くないことなのだろう。
薄暗い生徒会室の中。会長はパイプ椅子に姿勢良く座り、彼女の目の前にあるテーブルにはノートパソコンが置かれていた。
「それで、どうでしょう?」
「……まあ、生徒会に入るのは構わない。仕事さえしてくれれば」
「仕事ですか……」
金にならない労働を仕事と言えるのだろうか? それは奉仕活動というのが正しいのではないか?
「そう、それともうひとつ条件が。弓道同好会の廃部。つまりは町体の弓道場を金輪際溜まり場として使わないこと」
「え?」
「私が知らないとでも思ってるの? あそこの職員から苦情だって入ってるのよ。本当に弓道をやってるのかって。嫌みっぽく言われたんだから……」
くそー。あのジジイめ。退職後の小遣い稼ぎのクセに、余計なことを……。
「……わかりました」
「生徒会の活動に専念してもらうためにもね。といっても、私たち三年生はもうほとんどやることがないわ。二年生達にバトンタッチ。あとは文化祭の執行が残された大仕事ね」
「そうそう。それです! それ。俺にライブを仕切らせて欲しいんです!」
「それも美鈴から聞いてる。別にいいわよ、できるならね。一応計画書にしてみて、決まりだから」
「計画書?」
「予算、場所、人員……。そういうのを具体的に。あ、言っておくけど、予算に関しては期待しないで。割り当てはもう決まってるから」
「知ってます……」と精一杯苦々しいニュアンスを込めて、俺は言った。
それに対する答えとして、会長は聞こえるか聞こえないかの小さな音で「ふん」と鼻を鳴らした。「あなたにできるわけないでしょ」というニュアンスが含まれている気がした。きっと会長は現国が得意な方なのだろう。いや、絵に描いたような秀才タイプのお嬢様なのだから、得意不得意なんてないのかもしれないが。
「何か質問はある?」
「……では三つほど。会長ってなんで美鈴の友達なんですか? あと会長って彼氏います? それと歌は好きですか?」
黒縁のフレームに納められた日本刀のような目が、いっそう鋭さを増した。
「美鈴とは幼馴染です。あと私に恋人はいません。募集もしていません。それと音楽は好きですけど、自分で歌うのは得意ではありません」
淀みなく言い切った会長の頬が僅かに紅潮している気がした。
「そう……ですか……。あの、どんな音楽が好きなんですか? やっぱりクラシックとか?」
切れ長の目が伏せられ、瞳が揺れた。何かを悟られまいと顔をかくすように眼鏡を押し上げる。
「……リカ」会長はつぶやいた。
「え?」
「メタリカ!」そう叫ぶと、プイっと向こうを向いてしまった。
なんてかわいい人だろう。
開かずの扉をこじ開ける。
何年間も吹き溜まったカビ臭い空気は久々の日の光に面食らってしまったようだ。長い年月をかけ少しづつ堆積していったであろうヴィンテージな埃が宙を舞踊る。
コンクリートと鉄骨がむき出しになった部屋に、俺は新たな自由の芳香を感じた。
「しかし、よくこんなとこ思いついたなあ」トドがハンカチで口元を押さえながら言った。
「自由というものは入れ物を要するんだ。つまりそれほどまでに儚く脆い」
「ロマンスィーだね」
「そんな英単語あるのか?」
落ちていたテニスラケットで蜘蛛の巣をはらう。
「バンド練習にはもってこいじゃん」
「だろ? とりあえずは『文化祭ライブ実行委員詰め所』って名目だけど。俺たちは自由に使っていい」
ここはグラウンドの隅に建てられた土蔵だ。昔は我が校の弱小野球部が部室として使っていたらしいが、現在野球部は体育館に併設されたプレハブ棟の一つを使っている。ここはいつからか物置として使われている。物置というよりゴミ置き場という方が正しいのだろう。ねずみ色に変色したマットや、クラシックなデザインのテニスラケット、ボルトが外れてお役御免となった机などが雑然と置かれている。
「とりあえず掃除して、邪魔なものは体育館の倉庫にでもぶちこんでおこう」
「いいの? 勝手にそんなことして」
「大丈夫。生徒会権限だよ」
「そう。それじゃドラムセットはいつ運んだらいい?」
「今日明日でなんとか片づけられると思うから。土曜にでもやるか。軽トラは使えるか?」
「午後からなら使えると思うよ。親父に聞いてみる」
「よし。わかったら連絡してくれ。俺も手伝うから」
D.S.
机の天板を十分に熱してはいるものの、先週に比べて幾分か日差しはやわらくなった。
窓から吹き込む乾いた風が、汗をかくかかかないかの絶妙さで温度調節機能を果たしてくれている。
時々、その風に原稿用紙がさらわれそうになるが、煩わしさは感じない。邪魔されようが関係ない。なぜならマス目を埋めるための言葉が浮かんでこないのだから。
「ケンジ君。ほら、鰯雲」
窓から身を乗り出して宗形先生が言った。
「なんですか? イワシグモって。魚ですか? 蜘蛛ですか?」
「もう……。さっき授業でやったじゃない」
「そうでしたっけ?」
窓の外を見る。雲がシマシマを描いていた。
「俺には鰯って言うより、サバに見えます」
昨日の夕飯に出た鯖の味噌煮を思い出した。
「ああ、鯖も正しいのよ。他の言い方で鯖雲とも言うから」
宗形先生は黒板に魚の絵を描き始めた。それは鯖なのか鰯なのか鯉なのか、見分けがつかない。つまりそれほどまでに先生は絵が下手なのだ。
「先生。もうギブアップしてもいいですか?」
「その課題を提出してないの、ケンジ君だけだよ」
「それが何か? みんな出してるから、俺も出さなきゃいけないって理由になるんですか?」
「もう……、またそういうこと言う……」
「俺、昔からダメなんですよね。読書感想文って。本を読んでどう思ったかなんて、ニ択じゃないですか? 面白かったか、面白くなかったか」
「歌詞なら書けるのに?」
「あれはまったく別物です」
グラウンドの方からと思われる、キーンという金属バットの音が聞こえた。
外を見ると正門前を胴着と袴を着た集団が過ぎていった。おそらく剣道部か弓道部が校舎の周回をランニングしているのだろう。
「ケンジ君は学祭のライブには出ないの?」
「出ませんよ。興味ありません」
「バンドとか、やってないの?」
「趣味の合うメンバーがなかなかいなくて。なんなら先生、歌ってくれますか?」
「ええ! 本当に?」
「冗談ですよ。それに俺の曲をやるにはギターが上手い奴がもう一人と、ドラムと、それにキーボードも必要か……」
「そういう友達を作ればいいじゃない」
「友達って作るものなんですか? どうやって作るんですか? 粘土で作るんですか?」
「またそんなこと言って……」先生はそう言ってため息をついた。「やりたいことがあるならある程度の妥協は必要だと思うよ。誰かと一緒に何かをやり遂げることにだって価値はあるわよ」
「僕は僕の作った曲を妥協してまで、誰かと一緒にはやりたくありませんよ」
「もちろんあなたの曲が素晴らしいことは知ってるわよ。でも試しにやってみてもいいんじゃない? うまくいかないことだって大事な経験になると思うわよ」
またキーンという金属音が風に乗って聞こえた。練習となるとここぞとばかりに快音を響かせやがって……。試合では打てないクセに……。




