Phase1-2:すべての始まりは困難である
「わ……」
外に出たノックスは、初めて人間味のある感嘆の声を上げた。
「凄いだろ。混沌とはまさにこれのことを言う」
二人の眼前には、あらゆる物があった。まず目に入ってくるのは、高層ビル群や城、幹をうねらせる巨大な樹木、横たわる飛行戦艦らしきものの残骸、天を撃ち抜くのかというほどの苔むした巨大な砲身など。近くに目をやれば、古いバスや郵便ポスト、甲冑、ギター、剣や銃などが転がっている。時代も技術レベルも全く統一感のない数え切れないほどの物が、広大な大地に瓦礫の山を作っていた。その上では、戦闘機や竜が蝿のように飛び交っている。
「どう、なってるの? これはなに?」
「良いリアクションだ。あそこを見てみ」
ケイが指差したのは、瓦礫と瓦礫の隙間から僅かに覗く青い芝だった。そこにブロックノイズが発生している。次第にそれは広がっていった。
「……なにか生えてきた」
一体なにをかたどったのか、正体不明の流線形のオブジェが、ゆっくりとブロックノイズから“生えて”きた。すべてが姿を現したところでブロックノイズが消え、そこにはオブジェが残る。
「ここは緩衝地帯。イーオンとアエラ、二つの世界の混じり合う場所。常にあちこちで“アーティファクト”が生まれてる」
「アーティファクト?」
「オムニスで使うことができる、アイテムみたいなもんかな? スカイネット上にフリーで公開されているグラフィックを、片っ端から取り込んでるらしい」
「じゃあ、あのバスは動くの?」
「オムニスで動作するプログラムが仕組まれていれば動く。大抵はハリボテなんだけど、ゲームバランスを考慮したオムニスの審査に通れば、複雑なプログラムの入ったアーティファクトも生まれてくる。ディガーっていう、緩衝地帯から使えそうなものを掘りあてる職業があるくらい、ここは宝の山なんだよ」
ノックスは興味深そうに頷いた。
「さて、いつまで眺めていても飽きないのが緩衝地帯の景色ではあるが、君は選択しなければならない」
「なにを?」
「どちらの世界で生きるかを」
ケイは左を指差した。
「ここから西へずっと進めば、“イーオン”という世界がある。現実の世界よりもずっと技術が進化した世界だ。オムニスは開発環境もフリーで配布してるから、今もどんどん新しいアーティファクトが生まれてる。さっきのインカムもユーザーオリジナルだ。もし君が新たな可能性を模索し、進化していきたいのならイーオンへ行くといい」
イーオンを指していた指を、今度は右へと向ける。
「ここから東へずっと進めば、“アエラ”という世界がある。古い歴史や文化を大切にしている世界だ。魔法や錬金術の研究が盛んで、街並みは中世のヨーロッパに近い。ユーザーが管理している自治区もあって、かなり住みやすい世界になっている。もし君が安らかな暮らしを求めるなら、アエラへ行くといい」
一気に喋って、ケイは一つ息を吐く。
「この口上も久しぶりだな。ちなみにガイドラインは、イーオンのチームなんだ。だからもし君がアエラへ行くなら、俺は付いていけない。友達探しも手伝えない。でもそこらへんにいるファンタジーな服装の人に声をかければ、ちゃんとアエラへ案内してくれると思うから心配しないでくれ。あっちにも初心者支援チームはあるから、そこで友達を探すこともできる。自由に選んでくれて構わない」
ケイは神殿の階段に腰掛け、ローブから覗く白い横顔を見上げた。まだ緩衝地帯の混沌に夢中のようだった。
「わくわくするか?」
「うん」
「そっか……これで最後にするよ。どうする?」
ノックスはケイと目を合わせた。エメラルドグリーンの瞳が好奇心に満ちている。
「一緒に行く。訊きたいことが沢山ある」
「その言葉を待ってた!」
ケイは勢い良く立ち上がり、右手を差し出した。
「よろしく、ノックス」
「どうすればいいの?」
「ハンドシェイクだ。右手を出して俺の手を握れ」
言われるがまま、ノックスは右手でケイの手を握った。ケイはその手をぶんぶんと振ってから離す。
「そうと決まったら、このゲームの最初のミッションだな」
自分の手を不思議そうに見ていたノックスは、また首を傾げた。
「ミッション?」
「ああ。その名も、“緩衝地帯を無事切り抜けよ”」
「ここは危ないの?」
「そりゃもう、オムニスで一番危ないところさ。なんせルールがない。あらゆる意味で。俺たちみたいなおせっかい焼きがいる一方で、初心者狩りをする酔狂も結構いるんだ。俺が初心者の頃は、一ヵ月は緩衝地帯を彷徨ってたかな。このゲーム凄く良くできてるんだけど、デスペナルティ……えっと、死んだ時の罰が、結構厳しくてさ。二十四時間経たないと再ログインできないんだ」
ノックスの首は傾いていく一方だった。
「ごめん、難しいよな。わかんないよな。とにかくイーオンを目指して出発しよう。えーと……」
ケイは階段を下りていく。ノックスもそれに続いた。初心者の難関となる階段も、ノックスは軽い足どりで歩を進めた。
草の生い茂る地面に足をついて、ノックスがあることに気付いた。
「ここにはアーティファクト出てこないの?」
ノックスは瓦礫の山と草地の境界を指差した。ケイは瓦礫を漁りながらヒュウと口笛を鳴らす。
「鋭いね。まあなんてことない理由なんだけど、この神殿は“太陽の神殿”って言って、リスポーン地点……あー、とても大事な場所なんだ。だからこの神殿のある領域は基本的に変化しないわけ」
「うんうん」とノックスは頷く。そうしている間にも、ケイはどんどん瓦礫の迷宮へと踏み込んでいった。
「ごめん、ちょっと待ってってー」
ノックスは言われた通り、一歩も動かずに待った。
ちょっとと呼ぶにはかなり長い時間を経て、ケイが帰ってくる。
「お待たせ! いやー、納得できるものを探すのに時間かかっちゃって」
そう言うケイが持っていたのは、女物の服だった。白いワンピースとフード付きの黒のカーディガン、ロングブーツ。
「そのままの格好だとあれだし、とりあえずこれ着て」
頷いたノックスが麻のローブを脱ごうとして、
「あ、ストップストップ!」
ケイは慌ててそれを止めた。
「このゲーム、仮想現実って言われるくらいリアルに作られてるから、そのローブの下は裸なんだよね。俺がローブ持ってカーテンになるから、その中で着替えな。はい、手を上げて」
ノックスが両手を上げると、ケイがローブの袖を掴んで持ち上げ、そのまま簡易の更衣室を作る。多少苦労したようだったが、
「着替えた」
という声がしたので、ケイはノックスをローブから出してあげた。
「あー……惜しい」
ノックスはブーツを履き、カーディガンの上からワンピースを着た状態で出てきた。
ケイはもう一度ノックスにローブを被せた。
手伝いながらなんとか正しくノックスに服を着せ終えて、ケイは満足気に頷く。
「うん、似合う似合う」
「そうなの?」
ノックスは腕を広げ、自分の体を見回す。白い肌と髪のノックスに、黒のカーディガンとブーツが良いコントラストになっていた。
「俺のチョイスに間違いはない」
「パンツはないの?」
ケイは一瞬硬直し、申し訳なさそうに手を合わせた。
「ごめん、見つからなかった……。街に着いたら用意してあげるから、恥ずかしいかもしれないけどちょっと我慢して」
ノックスは顔色一つ変えずに頷いた。ケイは手を合わせたまま、その反応を訝しむ。
ケイの中で、ノックスと会った時から感じていた違和感が肥大化しつつあった。操作している人間の姿が見えてこない。当初は小さな子供なのかもしれないと思っていたが、子供にしては教養があり、観察眼も鋭い。しかし常識に欠けているところもある。スカウト役を任されてから二年近く経つが、こういう感触は初めてのことだった。
ただ、悪い感じはしない。善悪の渦巻くこの世界で、それはケイが彼女の案内人となるには充分な理由だった。
「じゃ、行きましょうかお嬢さん」
ケイは笑顔を作って手を差し出す。
「ハンドシェイク?」
「いや、手を繋ごう。“馬車”までご案内致します」
ノックスはケイの手を取る。二人は手を繋いで、瓦礫の迷宮へと入っていった。