Prologue:顔は魂の指標である
インターネットは、世界をより近いものにすると思います。それは素晴らしいことです。
そしてその中で、お互いを傷つけあったり、地球を破壊しないで済むように考えることが、私たちのチャレンジなのです。
――スティーブ・ジョブズ
ノックの音がして、ドアは軋みながら開いた。
「失礼しまーす……うえ」
入ってきた青年は部屋の惨状に顔をしかめた。
そこは前時代的な事務机が並べられた、小さなオフィスのような部屋だった。
事務机の上には資料と思しき印刷物が散乱しており、両サイドにはこれまた資料と思しき本が乱雑にしまわれた金属製のラックがある。窓にはブラインドが下ろされていたが、隙間から光が差し込んで、舞う埃をキラキラと輝かせていた。
青年は腕を口と鼻に当てて埃を吸いこまないようにしながら、意を決して部屋に踏み入った。
ブラインドを上げて部屋に光を入れるべく、事務机と金属ラックの間を通り抜けようとした時、
「うわっ」
誰かが机に顔を突っ伏していることに気付いて驚いた。その人物が薄い埃をかぶっていることに気付いて、さらに驚いた。
青年は少しためらったが、生存を確認する意味も込めて肩を叩く。埃が舞った。
「あ、あの」
「んが」
びくっと体を震わせて、埃にまみれた部屋の住人はむくりと上体を起こす。
「ごめん寝てた……誰?」
目をこするその女性の顔を見て、青年は目を見開いた。薄暗い部屋でもわかるくらいの美人だった。ゆるい癖のついた長い黒髪、整った眉、薄い唇。目が半開きで埃まみれなことを除けば、とても魅力的な女性だった。
青年は一瞬の間を空けて、ぎこちない敬礼をする。
「え、えと。本日付でVR犯罪対策課に着任しました。大谷です」
埃まみれの美人も一つ間を置いて、ぽんと拳で手を叩いた。
「あー、君があの。私はイヤナガ。弥生の弥に永遠の永でイヤナガ」
「あ、どうも……。あの、埃積もってますけど」
「ん? あ、ほんとだ」
言われて、弥永は髪とスーツに付いた埃をバタバタと掃い始めた。大谷はむせた。
「この部屋にいるとすぐ埃が積もる。なんでだ?」
「げほっ、と、とりあえず、窓開けていいですか」
「あー、うん」
大谷は体を横にしてラックと弥永の間を抜けると、窓際まで行ってブラインドを上げ、窓を開けた。春の日差しが入って、ようやく部屋全体がはっきりと見えるようになる。
「うー、まぶし……」
「泊まり込みかなにかだったんですか?」
「いや、さっき来た。君が来るっていうから」
「さっき……?」
一体どうやったらそんな短時間で埃が積もるのか。思いながらも、大谷は口に出さなかった。
「着任のあいさつご苦労。えーと……」
弥永は机の下に潜り込み、
「いでっ」
出てくる時に頭をぶつけながら、アタッシュケースを引っぱりだした。それを持って窓際のデスクまで行くと、アタッシュケースを置いて大谷に見えるように開く。
「うお、待ってました!」
大谷が目を輝かせた。
「は? 待ってました?」
「軍用のインターフェイスですよね? うわー、この無骨なデザインたまらないです」
中には仮面が収められていた。しかしその存在を知らない者が、それを仮面と認識するのは難しい。なぜなら艶消しの黒で塗装されたその仮面の正面には、三箇所に配置されたレンズ以外の凹凸が存在しなかった。
大谷は仮面を手に取り、裏返す。そこには脳波や顔の各種筋肉の電気信号を読み取るための電極が蠢いていた。目の周辺には視界を覆うように湾曲したディスプレイが配置されていて、耳を覆う部分にはスピーカー、口元にはマイクも取り付けられている。
大谷の興味津々な様子を見て、弥永は呆れ顔になる。
「さすがベテラン。気持ち悪い反応ですこと」
「いやあ、これのために警官になったようなもんですから」
皮肉に対して的外れな返答をしながら、大谷は仮面の縁にあるスイッチを押そうとする。
「ストップ」
「え?」
「ゲームは家に帰ってからにしてくれ」
「嫌だな、仕事をするに決まってるじゃないですか」
「仕事も家に帰ってからにしてくれ」
「なぜです?」
「見てわかっただろう。ここにいると埃が積もる」