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心の扉

作者: 蓮華

現在のストレス社会の中で困難な壁に何度もぶち当たる人生。

その時に乗り越える力は、社会に出るまでの学生時代に得られるものだと考えています。

学生時代の過ごし方によって、おおまかな将来が決まるのかもしれません。


<いじめは絶対になくならない>

社会人になり新聞を一通り見るようになりました。

毎月のようにいじめによる自殺の記事。

胸が苦しくなります。

いじめの苦しさは、経験した人しかその苦しさがわからないと思います。

いじめと思っているのは、いじめを受けている本人だけの場合が多いのです。

私自身も、被害者と加害者になったことがあります。

加害者の時はそれがいじめだとは気づいてはいませんでした。

同じことを体験するまでは・・・。


現在では、社会人になり家族をもち暮らしていますが、うつ病と闘いながら毎日を過ごしています。

時間を戻すことが可能であれば、学生時代の自分を変えたいと思っています。

今、いじめで苦しんでいる同じような人には私と同じような大人にはなってほしくないとの思いがあります。

社会人になってもまた違った苦しい事を体験する可能性が高いのです。


学生時代の過ごし方で将来が大きく変わると言いましたが、コミュニケーションや人脈というのは学生時代にできてしまします。

社会に出てから、仕事の人脈は広がると思います。

本音で話すことのできる仲間はなかなかできないものです。

私の学生時代はその仲間をつくることができませんでした。

孤独そのものでした。


私の学生時代を振り返ってみます。

ごく普通の家庭に長男として生まれました。

初めての子どもだったので、大切に育てられました。そのため、免疫力が低く病気がちでした。


小学生になり、ジャイアンのようなわんぱくな低学年時代。

いたずらばっかりの毎日。

ある時、車で2時間程の祖父の家に行く日に度を過ぎたいたずらをしてしまい、留守番することになりました。

連れてってもらえないなら、自分で行けばいいと自転車に乗って祖父の家に向かいました。

小学2~3年生の子どもが道を覚えているはずもなく、当然のごとく迷子になりました。

ガソリンスタンドのおばあちゃんに19号に行きたいと聞くと交番に連れていかれました。

家出と思われたのかもしれません・・・。

泣きながら、1人で行くからいいと何度も言っていたことを今でも覚えています。

(つい先日、小学4年の息子が車と接触した時にもう大丈夫と半分泣きながら怒っていたのを見て私の子どもの頃とよく似ているなと感じました。)

自転車の住所から親に連絡がとれ、迎えが来るようになりました。

迎えが来る間は、ガソリンスタンドで待たせてもらうことになりました。

待っている間、あばあちゃんにみんなが心配していると言われました。

どんなことを言われても怒られることしか考えられませんでした。

怒られるとの思いから急に怖くなりました。

しかし、迎えが来ても誰にも怒られませんでした。

祖父がみんなに今日のことを怒らないでと言ったと両親に聞かされ、それ以外何も言われませんでした。

小学生にとって反省も大切ですが、もっと大切なことを忘れていると思っています。

この時代が私の反抗期だったのかもしれません。


よく母親に育て方をまちがえたと言われます。

初めての子どもでしたので、どんな些細なことでも正しく直されました。

机の上の整理の仕方や食事のマナーにおいても注意されたのを覚えています。

このことが、今後の道を大きく左右したことに気付いたのはごく最近になってからです。


小学5年生までは、学校に行き塾に通い、塾のない日は友だちと遊ぶ毎日でした。

ある日、仲良く遊んでいた1人の友だちが学校以外で遊ばなくなっていました。

(いまになっても、遊ばなくなってしまった理由はわかりません。)

いつものように、学校の終わりに遊ぶ約束をしていてその遊ばなくなった友だちが近くにいたので私は良いことだと思いその友だちを誘ってしまいました。

両親に正しくないことはしてはいけないと日頃から言われていましたので・・・。

次の日から、私は「もう来ない方がいいよ」と言われるようになりました。

グループの輪が出来ていたので、その日以来小学校を卒業するまでは放課後は一人でした。


小学生時代に一人ぼっちになってからたった一度、たった一度だけ今でも忘れることのできない嬉しいことがありました。

音楽の授業の時間にリコーダーで1曲吹けるようにする宿題が出ました。

この時はすでに塾に通っていましたので、家に帰る時間が20時から21時と遅い毎日でした。

帰ってからリコーダーの練習をすると父親に「うるせぇー」と怒鳴られました。

週に数回ある音楽の授業で毎回1回リコーダーのテストが実施されて回を重ねるごとに合格者が増えていきました。

3~4ヶ月経つ頃には、不合格者は私一人になっていました。

音楽の授業の時間の数分だけの練習ではなかなか合格することができませんでした。

なんとか一通りは吹けるようになっていましたが、間違えずに吹くことはできませんでした。

毎回、「家で吹けるようにしてきてね」と言われて「はい」と答えますが、音を出しての練習ができないのでその指使いがあっているのか確認できるのは、音楽の授業のテストの時間だけでした。(不合格者が私だけになっていた頃には、もう次の曲になっていましたので授業の中で吹くこともなくなっていました。)

学期が変わってもあいかわらず合格できませんでした。

学期ごとにクラス長が変わる学校でしたので、新しいクラス長になった時、新しいクラス長が放課後に一緒に残って練習してくれると音楽の先生に提案してくれたのです。

塾は学校帰りに直接行けるように音楽の先生が連絡をしてくれましたので、塾の始まる時間に間に合うぎりぎりの時間まで練習することができるようになりました。

音が出せる練習、指の動かし方を教えてくれるクラス長がいたおかげで1週間ほどで合格できました。

その後、クラス長と遊んだりすることはありませんでしたが、私にとって小学生時代の忘れられない出来事になりました。


中学に入学後、暴力によるいじめにあいました。

1人ぼっちでしたが、塾に通う毎日になっていたので友だちと関わることはあまり頭にはありませんでした。

クラスの輪に入れなかった為に不良グループに目をつけられボクシング選手が負けた時、アニメのキャラが負けた時など何か理由をつけて殴られていました。

中学2年になった頃、勉強ばかりしていましたが、勉強のやり方がわからずテストでは50点程度ばかりになってしまいました。

今の成績では高校も行けなくなると毎日のように言われ、スパルタで有名な進学塾がありこっちの塾に行きたいなら変わっても良いと一応私の気持ちを聞かされました。

今の成績ではだめと毎日言われているので、私としてはこっちの塾に変わりなさいと言われているのと変わりませんでした。

新しい塾は学区外にありましたので、友だちのいない、勉強のやり方がわからない私にとって何も変わりませんでした。

ただ変わったと言えば、成績順に座席が決められいつも最後の席に座り、間違いがあれば頬に平手打ちをくらうようになったことぐらいです。

学校と塾の繰り返し、学校では不良グループに殴られ、塾では問題が不正解のために平手打ちをくらう毎日になりました。

毎日、このようなことを繰り返していたため、自分の気持ちを表に出すことがなくなってきました。

自分の頭の中では、学校はもう変えることができないと思っていました。

中学2年になって、クラス代えで不良グループと別のクラスになったことと不良グループは毎日学校に来ないことで精神的な苦しみが少なくなりました。

しかし、遅すぎました・・・。

あいかわらず、塾では毎日平手打ちされていました。

愛の鞭かもしれませんが、その塾の勉強の仕方が合わない私にとって苦痛でしかありまん。

中学生最後の夏休みに精神的にもとうとう限界になり、食事がまったく食べれないようになってしまいました。

食事を少し口に含んだだけで、おえっとなってしましました。

(飲み込むことができなくなっていました。なんとか飲み込めば戻すことはありませんでしたが。)

勇気を出して母親に塾を辞めたいと言いましたが、今から塾を変えたら高校受験に間に合わないと言われて辞めることができませんでした。

今なら、無理して行かず休むという考えがありますが、不安定な精神状態や親の言うことは絶対との思いから逃げ出せずにいました。


記憶に残っていることですが、ハムスターを2匹買っていて1匹が死んでしまいました。

庭の隅に穴を掘って埋めました。

部屋にあった紙でハムスターの名前を書いた墓を書き、埋めたハムスターの傍に置きました。

この次にする行動が異常?非常識だったために、父親にかなり怒られたのを今でも覚えています。

まだケージの中で元気に走っているハムスターの墓を作ったのです。

母親は死んでしまったハムスターの新しい墓だと思っていましたが、ハムスターの名前を知っていた父親はすぐにまだ生きているハムスターの墓だと気付いたのです。

学校でいじめられないようにするため、事前にこうすれば大丈夫かも、塾で平手打ちをのがれるために答えをどうやって見つけるのかこんなことばかり考えていたので、生き物は死んでしまう、事前に用意しておこうと思ったのかもしれません。


高校受験では、進められた高校のワンランク下の学校に決めたので、特にいつもの勉強以外変わった勉強はしませんでした。

たまたま同じ高校を受験する人と話す機会があり、また第一志望でしたので放課後も家に行くようになっていました。

同じ高校に行けたらとの思いで、第二志望の高校を同じ高校に変えたいとの気持ちがありましたが、一度志望校を変更したこともあり、担任からは変更できないと言われました。

(変更できていれば、今とは違った未来があったのかもしれません。)


それからも、時々家に行っていましたが、他の人からなんであいつがと陰口を聞くようになり、次第に行かなくなっていました。

一度できてしまった輪の中に入ることは私にとってとてもハードルの高いことだと気づかされました。


第一志望の高校に合格しましたが、その高校は家から

時間も電車で通わなければならないくらい遠い高校でした。

また、一緒に受験した子は違う学校に入学しました。


高校で変わろうと思えば、変われたのかもしれません。

なぜなら、家から遠い高校でしたので、知り合いはほとんどいなかったので。

変わりたい気持ちはありました。

今までとは違う自分になろうとした結果、確かに変わったと思われるようになりました。

しかし、残念な方向に向き始めてしまったのです。


よく耳にする高校デビューをしたのです。

不良グループに目をつけられるぐらい変わってしまいました。

それは、いじめの対象ではなく同じ不良としてです。

変わったきっかけは、たまたま同じ中学出身の先輩が高校にいたからです。

でも、それは普通の子でもない不良グループにも入れない孤立状態の始まりでした。

たまたま隣の席になった人が思いやりのある子だったので、昼食時にも一緒に食べようと誘われました。

しかし、緊張感から中学時代の食事時にうぇっとなる状態がでてしまっていたので、断るしかありませんでした。

(メッキが剥がれないように必至に装っていました。)

隣の席の人が部活も誘ってくれたので、テニス部に入りました。

運動能力が次第に開花していき、スポーツテストでは学年1位になるくらいになっていました。

夏になって晴天時は運動場で団体行動をして、雨天時は柔道とプールをするといった変わった授業になりました。

この変わった授業のおかげで一時的ではあったけど、友だちができたと思いました。。

きっかけは団体行動で次々と倒れていく中、不良グループと私だけが団体行動をしていたのです。

これ以上人が少なくなると団体行動事態ができなくなってしまうのです。

「倒れんなよ」と声をかけられ、授業が終わるまで団体行動を続けた結果、教室に戻るときに「やるじゃん」と言われ、不良グループとの付き合いが始まりました。

グループの輪には入ることができましたが、コミュニケーションができないのは変わらず話し手になることがありませんでした。

相手の話を聞くだけでしたので、グループの後ろにいるだけの状態でした。

居ても居なくても変わらない存在と同じです。

高校1年の3学期に、何気なく言った言葉が本人を怒らせました。

<いつも話していると横から話してくるね。>

いつも話している相手に対しての言葉でしたが、本人は気に入らなかったようです。

一度、本人に対して謝りましたが、「邪魔だ」と言われ、蹴りを入れられました。

それ以来、一緒にいるのが気まずくて一人でいる毎日に戻りました。


高校2年に進学するにあたり選択する科目によって、クラス分けされる学校でしたので、私もどちらに決めるかすごい迷っていました。

高校2年からは商業科と情報処理科に分けられました。

情報処理科は商業科の授業にパソコンでの処理の勉強も含まれるので、学年全体の10パーセントぐらいしか希望しませんでした。

不良グループと別々のクラスになった方が良いと思いから、勉強のことは全く考えずに情報処理科を選択しました。

その当時、これが最悪の道を選んだとは思ってもいませんでした。


高校2年生になって、あきらかにクラスで浮いていると感じました。

パソコンの話、アニメの話など・・・

いつも一人でいることは前と変わりませんでした。

学校に寝に来ているだけの毎日になりました。

クラスの係を決める時も寝ていたため、気がつけばクラス長になっていました。

(何をやるのか全くわからなかったけど、断る理由もなく引き受けましたが・・・)

授業も寝ているだけ、宿題は一度も出さない、テストは白紙でなんで学校に来ているのだろうと考えたこともあります。

当然、追試も白紙でした。

クラス長のやることだけはやっていましたが。

一緒にクラス長をやっていた女の子が心配してくれたのかはわかりませんが、2学期になって放課中にその前の授業をまとめたノートを見ながら勉強するように何度も言われました。

起こされるのがうざくて放課中に勉強するようになっていました。

しかし、あいかわらず宿題は出さないし、授業中は寝ていました。

いつの間にか付いていた読解力とノートを見せてくれた女の子のおかげで、テストや小テストは80点程度取れるようになりました。

授業中は寝ている、宿題は出さない私が、カンニングしたのではないかと疑う教師がでました。

(普通に考えれば、勉強をした感じがしない人間が急に得点をとれるようになるはずがありません。当然カンニングを疑われてもしかたがないのかもしれません。)

周りから離れて置かれた用意された席に座りテストをすることになりました。

2ヶ月ぐらいで元の席に戻されました。

今回のされた行動がとても気にくわなく、怒りがこみ上げてくるばかりでした。







































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