ゆめ太郎
夢のなかでチャーシューメンをたべていると、いつのまにか左どなりに少年がいた。
ラーメン屋のカウンター席。
わたしはたちまち、その少年とおなじ七、八さいのこどもすがたになった。
「やあ、ゆめ太郎」
ゆめ太郎はぼくを無視し、
「おやっさん、五目ラーメン大盛りね」
そう注文してから、割りばしをすばやくとってふたつに割り、ぼくのどんぶりに手をのばしてチャーシューを一枚かっさらっていった。
「あっ、ああ……」
「んまんま……おいちい」
「行儀わるいぞ、ゆめ太郎」
「エヘヘ。ゆるせ、やっちん」
ゆめ太郎の屈託のない笑顔をみていたら、たいせつなことをおもいだした。
「なあ、ゆめ太郎。おねがいがあるんだ」
「なんだい、復縁や就職のせわならむりだぜ」
「ち、ちがうよ。姪っ子のことだよ」
「話してみな」
「いま養護施設にいるんだ。三さい。ぼくの兄さんの子だよ。三カ月まえに兄夫婦が交通事故で亡くなって──」
「OK!」
「まだぜんぶ言ってないよ」
「わかるって。その姪っ子ちゃんを励ましてくれっていうんだろ?」
「そう、そうだよ」
「じゃ、さっそくいこうぜ」
ゆめ太郎はいすを九十度まわしてこちらにからだをむけ、ぼくの両手をとった。
「え、ぼくもいくのかい?」
「あったりまえだろ。ひとりよりふたりのほうが、パワーがあるんだぜ。じゃいくよ。
ドリーム、ドリクラ──おーっとっと。その子のなまえ、なんてんだい?」
「ルミちゃんだよ」
「よーし。
ドリーム、ドリクラ、ドリルルルゥー。ルミちゃんの夢のなかへ、ドリーム・イン!」
「うひゃああ、目がまわるぅ~」
おおきなコーヒーカップのなか。どうやら遊園地のようだ。
「やっほぉー。ぐるぐるぐるんの、ぐるりんぱあ~」
「お、おおい、ゆめ太郎。ハンドルまわすなって。きもちわるくなるだろう。オエ~」
「わりいわりい」
ゆめ太郎がハンドルから手をはなすと、コーヒーカップのうごきがおだやかになった。
「わあーい、わあーい」
ちかくのコーヒーカップから、おんなのこのはしゃぐ声がきこえてきた。ルミちゃんだ。ママさんパパさんといっしょだ。
あんなにたのしそうな声をきくのはひさしぶりだ。
ルミちゃん親子は、コーヒーカップのアトラクションをおえると、売店でアイスクリームを買い、ベンチにすわった。
「つぎはなんにのるぅ?」とママさん。
「ジェットコースター」
「ルミちゃんはまだちいさいからむりだよ」とパパさん。
「じゃあ、かんらんしゃ」
「うん。それならだいじょうぶだよ。あっちだよ。いこう」
「まってえ、これたべちゃう」
アイスクリームをたべおえると、ルミちゃん親子はベンチをはなれ、歩きだした。ルミちゃんを真ん中に、手をつないで。
ぼくとゆめ太郎は三人のあとをおった。
「なあ、ゆめ太郎」
「なんだい」
「ぼくたち、こうしてうしろを歩いているだけでいいのかな?」
「ま、そうあせるなって」
ルミちゃん親子が七つか八つのアトラクションであそんだころには、もう日が暮れかかっていた。出口にむかう三人のうしろすがたが夕陽に染まる。
とつぜん、ママさんとパパさんの背中に白いつばさが生え、ルミちゃんと手をつないだまま宙に浮いた。
「あわわわわぁ、たいへんだあ。ゆめ太郎、ほら、あれあれえ」
ゆめ太郎はあまりおどろいていないようだ。
三人はどんどん上昇していく。もう観覧車のおおきな輪の中心くらいの高さだ。
ぼくは駆けだし、三人の真下にいった。
「おーい。ルミちゃんのママさんとパパさあーん。ルミちゃんをつれていくなああ」
「やっちん」ゆめ太郎もやってきた。「よせって」
「なんだよゆめ太郎。じゃますんなあ!」
「むだだって、やっちん。これはルミちゃんが決めたことなんだ。ルミちゃんの意志なんだよ。どうにもならないよ」
「そんなことあるもんかあ。
おーーーい、手をはなせえ」
わたしはいつのまにかおとなのすがたになって叫んでいた。
「おーーーい、兄貴ぃーーー! ルミちゃんをはなせええ!」
もう観覧車より高いところにいってしまった。
「ひどいじゃないかあ、兄貴ぃーーー!」
「さ、帰りますよ、おっきいやっちんさん」ゆめ太郎が腰をつんつんと小突いた。「いつまでもここにいたら、いっしょにあの世いきですよ」
「うるさい、だまってろ、ゆめ太郎。
兄貴ぃーーー! ルミちゃんはおれが責任をもって育てるからあ、りっぱに育ててみせるからあ。だから連れていくなああーーー!」
兄貴と奥さんがちらっとこっちをみた。そしてすぐおたがいかおをみあわせ、ふたことみこと言葉をかわした。直後、ふたりは手をはなした。
ルミちゃんがママさんパパさんからゆっくりはなれていく。
ルミちゃんはおどろいたようなかおで、ママさんとパパさんをみている。
ママさんとパパさんが手をふった。
ルミちゃんもちいさく手をふった。
兄貴がこっちをみた。
遠かったけれど、くちびるのうごきがわかった。
「た、の、ん、だ」
ルミちゃんがこっちにからだをむけた。
スカイダイビングするように大の字になって、ゆっくりおりてくる。
だんだんちかづいてくる。
兄貴たちは空のかなたにきえた。
ルミちゃんはこっちにやってくる。
わたしをめがけてやってくる。
わたしは両手をひろげた。
ルミちゃんはわたしの目をみつめている。
いたいけな目でじっとみている。
わたしもルミちゃんの目をまっすぐみつめる。
もうすぐ。もうすぐ。
「おじちゃーん」
ルミちゃんがわたしのむねにとびこんできた。
「ルミちゃん」
ほっぺとほっぺがくっついた。
あたたかかった。
「あのう……、おとりこみちゅう、すみませんけどね」
「な、なんだよ、ゆめ太郎」
「ルミちゃんはもうだいじょうぶです。そこのベンチにすわらせましょう。ねえ、ルミちゃんが目をさますまえに、もどりましょう」
「ああ、そうだな。
ルミちゃん、まってなよ。すぐむかえにくるからね」
「さあ、おっきいやっちんさん、帰りますよ」
ゆめ太郎に両手をにぎられたわたしは、たちまちこどものすがたになった。
「いくぜ、やっちん!
ドリーム、ドリクラ、ドリルルルゥー。やっちんの夢のなかへ、ドリーム・イン!」
「へい、おまちぃ!」
ゆめ太郎のまえに五目ラーメンが置かれた。
「やっちん、いいとこあんな」
ゆめ太郎がニカッと笑った。
「おやっさん、ギョウザふた皿、追加ね。
おごるぜ、やっちん」
親指を立てたこぶしをつきだし、片目をつむり、ポーズをきめた。
◇
うちわだけの質素な結婚式。
留美の花嫁姿をみていたら、こんなことをおもいだした。
<了>