六
もし時をVTRの様に巻き戻せるとしたら、私は間違いなく十六年前のあの夏に戻すだろう。
出来れば鳥羽をフェリーで渡る前に……。
もし、あの事件が起きなかったら……。
もし、楽しんだりしなければ、私の人生も少しは、いや確実に大きく変わっていたに違いない。
道の駅・甲斐大和の食堂で、鳥の照り焼き丼を待ちながらぼんやりと空想に耽っていた。
「62番でお待ちのお客様―!」
ふん、くだらない。
人生に“たら・れば”はあり得ない。
何度巻き戻してみったって結果は同じはずだ。
ちょうどビデオテープに録画された映画が、何回巻き戻してみたってバッドエンドがハッピーエンドになんかなり得ないように……。
流し込むように栄養を摂取し終えると、タンクバッグとニーシンガードを小脇に抱えFZ1のもとに戻ることにした。
暗くなる前に柳沢峠を越えたかったからだ。
だが、私の足はその歩みをやめ、腰はベンチに甘えるように自らを下ろした。
FZ1を囲むようにして、趣味の悪いバイク専用ジャケット(まあ、個人の価値観の問題だから批判は出来ないが)を来た“いかにも”な集団が楽しそうに話しているのが見えたからである。
私は深いため息を吐くとプロテクターを着けるのを止め、自販機にコインをねじ込む。
落下してきたコーヒーをチビリと一口含むと独りごちた。
「つるんで走って、楽しいのかよ。」
私だって……あの日までは……きっと今だって……あの事がなけりゃあ……俺だってみんなと……。
「止まれっ!」
下り坂に入り、調子づいて小さくなっていく先頭集団に、俺は中断から猛スピードで追い越しをかけ怒鳴り散らしていた。
雨が続いたせいもあって、予定の距離を消化できていなかったので、今日はナイトランを決行していた。
夏場とはいえ田舎道の夜は早く、市街地に入る前に日が暮れてしまったのだ。
暗い山道は俺たちに先を急がせる。気は焦り、セーフティレバーは緩みがちになる。
度重なる事故を起こしてきた馬鹿どもがよりにもよって先を急ぎ始めたから面白い。
(お前ら……登りじゃケツの癖しやがって!)
さらに何かトラブルがあったのか、Mさんやカズたちが遅れている。
頭に血が上るのを止めることが出来なかった。
誰のせいで……こんな暗がりを走らなければならなくなったのだ?
安全に走るスキルもないお前らが、ナイトランで先頭など自殺行為だ!
「止まれって言ってるだろうが!聞こえねーのか!止まれえっっっ!」
それでも止まろうとしない先頭のダイスケに殺意に近いものを感じ、その進路をふさぐように強引に先頭に割り込み停止させた。
「この野郎!俺の指示が聞けねえのか!なめるんじゃねええ!全員降りろ!整列!」
そこはもう市街地の入り口で、道を挟んで反対側にはマクドナルドがあり、俺の叫び声は聞こえていたはずだ。
しかし、もうそんなことはどうでも良かった。
町の灯が見えたことで気がはやり、ルールを忘れてしまったのかもしれなかった。
しかし、それも、そんな言い訳も、今の怒りを檻に閉じこめておくことなど出来るはずがなかった。
俺はダイスケの胸ぐらを左手で捻り上げると奴に詰め寄った。
「お前、後ろを見ろ!Mさんは、カズは、マサキは、タケシは、どこにいる!お前らよりよっぽど上り坂の早いメンバーが来ないのに、何も感じないのか!」
すみません、と力なく返答が帰ってくることを想定した。
しかし、その予想は完璧に裏切られる事となった。
「あの人たちなら大丈夫でしょ?僕たちより走れる人たちが固まってるんだから……」
まるで生気の感じない、腐りきった瞳孔を俺の瞳は映し出した。
何かが壊れるのを感じた。
自分の中で音を立ててそれは決壊した。
気が付くとダイスケはガードレールにもたれ掛かるように倒れていた。
その傍らには拳を握りしめた俺の肩をつかむカズの横顔が視界に入った。
「やったんだ……当然だよ」
カズがつぶやく。
俺はふるえの残る声で事となりを説明した。
カズは後れた事情を説明する。
「リュウジが疲れちゃったみたいで、真っ直ぐ走れなくなってたんだよ。だから、ゆっくり目であいつを囲むように守りながら走ってたから……」
後れて残りのメンバーが到着する。
事の次第を報告するとMさんは笑顔を見せた。
こちらがあまりに激怒していたからであろう。人間は時にバランスをとろうとする。
とにかく限界だった。リュウジもそうだが、ダイスケたちも同じだ。
それに何より、俺たち走れるものが一番、疲れ切っていた。
Mさんもそれを感じ取っていたのだろう。
ここで今日の走行は終了となった。
向かいのマクドナルドでその場しのぎの食事をとると、みんなの疲労度を計算し、テントの設置場所を探しに行く事になった。
カズ、マサキ、そして俺の三人で行く事になった。
結局動けそうだったのがこの三人だったからなのだが、俺たちは合流して以来、三人だけになるのははじめての事だった。
二年前の楽しかった旅に戻れたようで、ストレスを吐き出すかのようにくだらない会話を楽しみながら三人は自分たちのペースで走れる事に喜びを感じていた。
「いいね、やっぱシュウジ君とカズ君と走ると楽しいな。来年は三人だけで行きたいよね。」
マサキが不意に提案した。
俺たち二人も深く同意した。
「行こう!必ず!」
適当な公園など見つからず、俺たちは砂浜に目を付けた。
水場はないが、テントを張るだけなら十分だし、今日はもう食事を終えている。
その砂浜に出るには何故かトンネルを潜らなければならず、自転車を降りると懐中電灯を手に歩き出した。
それはトンネルなどとは言えない短いものだったが、電灯などの照明器具は一切なく、暗闇と静寂があたりを包み込んでいた。
ストレスと保護者から解放された、中三と中二2名はこの状況を楽しみだしていた。
「お化けでそうだねぇ」カズが弱気な声を出す。
「お、びびってんの?」マサキが冷やかす。
「いやでもなんか……うわああああああ!」
俺は二人を脅かそうと大声を上げいきなり走り出した。
「ひいいいいいい!」
ビビリながらカズが俺を猛スピードで抜かす。
「待ってよ!ちょっとまってよ!」
少し太めのマサキは足が遅く、取り残されながらも必死に追いかけてくる。
三人は笑いながら走った。
やっぱり俺たちはいいチームだ。
楽しかった。
慕ってくれる仲間と共有する時間がとても掛け替えのない時間に思えた。
……そう、次の瞬間までは……。
「うぎゃあああああああああああああ!」
暗いトンネルに鼓膜を劈く叫び声が木霊した。
「マサキ?」
振り返るとそこにマサキの姿はなかった。
「マサキ?……マサキーーっ!」
俺とカズは反射的に走った。マサキのいたはずの方向へ。
(マサキ、どうしたんだ……無事でいてくれ……)
俺の願いはむなしく、カズは地面の一点を指さした。
「シュウジ君……あれ……」
そこにはマンホールがあった。
しかし、その穴をふさいであるはずの蓋は、そこにはなかった。
全身の毛が逆立っていく……マサキ……嘘だと言ってくれ……。