五
伊勢湾フェリーを使うのには否定的だった。
しかし今では“走らなくていい”事がこんなに喜ばしいと思うようになるなんて、出発前は思いつくはずがなかったのだから仕方がない。
その後、ユウヤ君は登坂中に側溝にはまり転倒。さらに傷口を増やした。
転倒自体には俺たちもさほど否定的ではなかった(百歩譲ってだ)。
しかし、その場でいつまでも自分に酔うように佇み、退避行動を執らないことを俺たちは批判した。
「お前死ぬぞ!」
声を荒げるMさんをよそに俺はゆうや君に問いただす。
「まさか、死ぬためにこの旅に参加したんじゃないんでしょ?」
首の上下運動だけですました彼の行動にまたMさんの“ゲキ”が飛ぶ。
「返事をしないか!お前はどれだけ偉いんだ、ん?」
「はい!」
……やれやれ。
ヒロはセンターラインを超えなくはなったが笑顔をなくし、ジュンイチ・リュウヤ・ダイスケの六年生トリオは暑さと疲れからか緊張感をなくし、転倒や接触事故(メンバー同士で、だ)を繰り返す。
さらに今度の旅の最大の特徴はパンクの多さだ。
ここまでで経験していないのはカズ・マサキ・タケシ・ユウヤ君(意外にも)の四人だけだ。Mさんも峠道の途中でパンクを経験している(峠道は基本的に自分のペースで走っていいことになっているので誰もMさんの異常に気が付かず、一人取り残された。結局あまりに遅いMさんの様子を見に、俺が戻ったのだ。)。
何かある度に、俺はみんなを殴らなければならなかった。
人間とは良くできている。
あれだけ痛かった手のひらも心も、次第にその感覚を失っていく。
それどころか“にくしみ”すら感じるようになっていく。
いつしか俺は集団を一つにまとめようとする気をなくしてしまっていた。
“走れるもの”と“走れないもの”
俺たち“五代目かるがも自転車隊”は真っ二つに分かれてしまったのだ。
いや……それは……意図的に仕組まれた事だったのかもしれない……。
途中でかなりのロスがあったものの、俺たちは無事に鳥羽港に予定通りにたどり着くことができた。
フェリーの時間はもちろん、TVの生中継が予定されていたので危機感を植え付けるのに俺とMさんは相当の苦労を強いられたのだったが……。
中継の前に手続きを済ませ、自転車をフェリーに積み込もうとした俺は、再びその異変に気づいた。
マサキが近寄ってくる。
「え?パンク?」
「ああ……また前輪だよ。直したばっかりなのに、あの自転車屋のオヤジ、手を抜きやがったな!」
スピードメーターを外し、車体をひっくり返すとその場で修理を開始する。
たちまちメンバーが集まり、その様子をのぞき込んでくる。
(邪魔だな……)
「お前ら!ぼけ〜っと見てないで早く自転車を積まないか!」
Mさんは俺に冷たく言い放った。
「中継には間に合わせるんだよ、ったく」
俺のメーターを拾い上げ、その後ろ姿をにらみつけながらカズが言った。
「こんだけ走ってりゃ、パンクもするよな」
「うわっ!みんなより三百キロも多いぜ!無茶しすぎなんじゃないの?」
マサキが大げさに驚き、俺に気を遣う。
「早く積んじゃえ。俺もすぐ行く」
二人を遠ざけると俺は修理を急いだ。
TVの生中継など放っておけば良かったのだ。
ゆっくりと修理に集中していれば、前輪の異常に気が付いていたのかもしれなかったのに……。
生中継も無事に終了し、俺たちは船に乗り込んだ。
はしゃぐ“走れないもの”たちをよそに、俺たち三人はすぐさま眠りについた。
それが俺たちの最後の休息となることも知らずに……。