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十二

 自分で転がす二輪から、自ら動く二輪へ。

 私はついに帰ってきた。

 ここ、柳沢峠に。

 あの時、あれだけ苦労した峠までの道のりも、このFZ1に跨っているとあっけないモノだった。

 当たり前と言えばそれまでなのだが、何かとても不思議な感じがした。

 私たちの苦労は何だったのだろう。

 そして、どうしてあんな目に遭わなければ行けなかったのだろう。

 何故、私はあそこまで自分を責めたのだ……。

 なんて事は無いじゃないか。

 ただの山道に過ぎないじゃないか。


 ゆっくりと走るセダンに先導されながら、私は柳沢峠に到着した。

 ……変わっていない。

 峠の茶屋もそのままだ。

 FZ1を停車し、ゆっくりとその地を踏みしめてみる。

 ため息が自然と漏れる。


 ……懐かしい。ただ、ただ懐かしかった。

 あの時もこうしてみんなの到着を待っていた。

 たった一人で。

 道路際に出て、来た道を眺めながら……。

 2番目に到着したのはどっちだったかな?

 カズだったか……マサキだったか……。

 そうだ!二人は併走してきたんだった……。

 私より30分遅れて……。

 携帯を取り出し時刻を確認すると、奇しくもあの時と同じ時を示していた。

 日が落ちる予感を感じさせる風景の色彩が、私の網膜に写り込む。

 驚嘆の声を上げ、大げさに拍手をするダークグリーンのタンクトップの少年が、私の横を駆け抜けていく。


 そうだ……次に到着したのは……。


「おお〜〜!おめでとう!」

「すげ〜〜ぜ!!!四位だぞ、四位!」

「ホントすげえ!お前、兄貴にえばって良いよ!」

 三人はその姿を確認したときに、とにかく驚いた。

 俺、マサキ、カズの順番は予想通りだった。

 そしてその次点は今までの走りからタケシが来ると思っていたし、違ったとしてもこの人物は予想していなかったのだ。

 とんだダークホースだった。

 力強いペダリングでトンネルからひょこっと顔を出したのは、なんと今回最年少のリュウジだった。

 まだ、小学校も四年生になったばかりの小さな体のどこにこんな力が隠されていたのだろう。

 そういえば、リュウジの口から、「つらい」「疲れた」「おなかすいた」「のどが渇いた」等の、マイナスの言葉を聞いたことがない。

 その身体が灼熱に包まれようとも、こいつは脱落することなく食らいついてきた。

 その成果が、この最後の難所に来て開花したのだろう。

 俺たち三人はこの旅に出て初めて、本当に初めて、心の底から人を賛美し、尊敬し、褒め称えた。

 大きなため息と共に笑顔を漏らすリュウジが、とても誇らしくって仕方がなかったからだ。

 だが、同時に参加していた小学六年の兄、リュウヤは俺たちの期待をぶち壊してきた。

 身体より先に口が動くタチで、今まで一度も自転車から降りずに峠越えが出来たためしがない。

 急な坂の途中で、苦しいからとその漕ぎを止めてしまえば、二度とペダルは動いてくれない。

 そこから先は歩くしかないのだ。よって、先頭集団との差は開くばかりで、みんなに迷惑をかけることになる。


 リュウヤ(小六)ダイスケ(小六)ユウヤ(高一)の三人は、四時間前に俺が駆け抜けた地点にまだいた。

 そして、テレビのクルー達は、勇壮果敢に峠越えを敢行した俺たち先頭集団の走りは写さず、この三人に密着していた。

 脱落者の方がドラマになるからだろう。

 日没まで後一時間を切っていた。Mさんの判断でこの三人はリュウヤ達の父親の車に乗せられ、キャンプ場まで移動することになった。

 ……みんなで完走する……その夢が今、断たれてしまった……。

 くだらない、だらけきった、腐りきった三つの存在が俺たちの目標までも奪っていった。

「へっ……。ウジ虫が……」

 誰かが言った。それを制する気にもなれなかった。

 そしてその雰囲気から逃げ出すように、俺は来た道を徒歩で戻っていった。

 未だ到着しない、Mさんを迎えに行くためだ。

 案の定、彼女も自転車から降りてしまっていた。

「俺が漕いでいきます。後から来てください。もう、時間がないので出発します」

「ああ。ありがとう」

「キャンプ場の入り口の目印……分かりますか?」

「おいらん淵……と聞いているが」

「おいらん淵……何ですかそれ?立て札か何か立ってるんですかね?」

「昔、ここ塩山が鉱山だった頃、そこで働く鉱夫の為に花魁達が用意されたそうなんだ」

「はあ……。」

「しかし、塩山は隠し鉱山だった為、閉山と共に彼女たちを処分する必要があったんだそうだ。口封じのためにな」

「え〜〜っと……殺したんですか?その、花魁たちを」

「ああ、宴会と称して崖に舞台櫓を造り、そこで花魁たちを踊らせている最中に、舞台ごと崖下に転落させたのだそうだ」

「……ひどいですね。その現場の前って訳ですか?何か気味悪いな。」

「ははは。そうだな。なおさら日没前につきたいものだ。」

「で、何か立っていたりするんですか?記念碑みたいなモノが……」

「鳥居が立っていると聞いている」

「分かりました。おいらん淵……目印は鳥居ですね。キャンプ場の名は……」

「”塩山”キャンプ場だ」


 ”塩山”???

 はて・……。確か”一ノ瀬”ではなかったか?

 テレビ局のクルーはそういっていた気がするが……。

 いや、Mさんと彼ら、どちらを信じるというのだ?これまで旅を続けてこれたのは他ならぬMさんの指示が有ったからではないか。

 ……聞き間違いか、彼らが間違っているのだ。

「”塩山”キャンプ場入り口ですね。では峠に自転車は止めておきますので、ゆっくり歩いてきてください」

 俺は彼女を振り返ることなく、ペダルを踏みしめた。

 峠の茶屋の前で、生き残り組が首を長くして待っていた。

「おばさんは?」

「後から来る。俺たちは先に出る。みんな準備しろ。水筒に水をくんでおけ。五分後に出発する」

「後は下りだよね?」

「そうだ。目印はおいらん淵。鳥居があるそうだ。その向かいに”塩山”キャンプ場の入り口がある」

「鳥居かぁ……じゃそこまでノンストップでいきますか!」

「ああ!かっ飛ばすぞ!入り口に付いたモノは待機していろ!隊列を守る必要は無いぞ!鳥居を目指せ!」

「うひょーー!下りサイコーー!」


 そう、長くきつい上り坂を越え、俺たちの神経は高ぶっていた。

 さらに長く待たされていたせいで、臨界点まで引かれた弓の弦よろしく、そのテンションは最高に張り裂けそうだった。

 五分後、俺を先頭にメンバーは出発した。

 右手に急流をのぞき込む下り坂は、夕暮れの風がビンビンと皮膚を殴りつけ、興奮を弾けさせる。

 俺たちは放たれた矢だった。

 もう、誰も止められなかった。

(止まれ)

 何か、声が聞こえた気がした。

 馬鹿を言うな。止まれるかよ。日没が近いんだ。そして家族が、みんながキャンプ場で俺たちを待ってるんだ。

 止まれるか。止まってたまるかよ!

(止まれ!)

 さあ!鳥居が視界にはいるまで飛ばすぜ!登りの借りは返してもらうんだ!

(止まれ!声が聞こえないのか!止まれ!止まれ!)



「止まれ!止まるんだ!行ってはいけない!焦るな!みんなを待つんだ!」


 スロットルを捻りながら、私は思わず叫んでいた。

 タイトな複合コーナーをギリギリの速度で切り抜けていく。

 だが、目の前の自転車の少年は私の眼前から消えてはくれない。

 違うのだ!君は間違えているのだ!私は知っている!そこに鳥居など”無い”のだ!

 二つの大きく下るU字コーナーを、バンク角に気を遣いながらパスしていく。

 だが、私はどうかしていた。

 十七年経っても、また同じ過ちを繰り返すとは……。




 視線の先に”鳥居”が見えた。

 ちぇ……もう終わりか……。

 俺はセーフティーレバーを握り、減速を始める。

 殴りつけるような空気の壁は、柔らかな薄い膜へと変化していく。

 車輪はぴったり鳥居の前でその動きを止めてくれた。

 ……ここか?ここなのか?

 けたたましくブレーキ音が次々と鼓膜を刺激する。

 遅れてみんなも到着したようだ。

 変だな……キャンプ場の入り口らしきモノは……見あたらない。

 ここでは無いのか?

「俺、聞いてくるよ」

 マサキが少し先にある土産物屋に向かっていく。

「もっと下、だってさ」

「鳥居が二つあるって事か??」

「さあ?”塩山”はとにかく下だって」

 何かおかしい……俺の経験と勘がそうつぶやく。

(そうだ!自分を信じるんだ!)

 しかし、地元の人間が間違うか?土地勘の無い俺の勘など、当てになるはずがない。

「先に行くぞ!!」

 俺はメンバーの確認もせず、急いで自転車に跨ると再び猛スピードで下り始めた。

 時間がない……もうすぐ暗くなってしまう……それに……それに…… 。


 どれくらい走ったのだろう。

 鳥居は二度と出てこなかった。

 いくら何でも、走りすぎだ……。俺はゆっくりとブレーキをかけた。

 しばらく待っていると、カズが俺の元へやってきた。

「もっと上だって……。」

「え、だって……。」

 その時、白いセダンが俺たちに横付けした。

 運転席のウインドーが開き、見慣れた顔が俺を困ったような表情で見つめている。

 ……Mさんの旦那さんだった。、

「おいおい、どこまで行く気だよ。だいぶ……と言うかかなり下まで来たな……」

「え、だって……おいらん淵が……」

「だからもっと上なんだよ」

「だって鳥居が目印で、そこで聞いたらもっと下だって……」

 あたふたと混乱する俺をあきれたように制止すると、

「とにかく上だから。入り口で待ってるから」

「車が止まっているところに行けば良いんですね」

「そ、俺が待ってるからさ」

 そういうとMさんの旦那さんはアクセルを踏み、走り出した。

 俺たちも自転車に跨ると出発の覚悟を決めた。

「また……上らなきゃ行けない。みんなはゆっくり来い……。俺が一足先に行ってるから。カズ、マサキ。みんなを頼む。」

 今度はカズもマサキもさすがに俺と行くとは言わなかった。

 体力の限界など、とっくに超えている。

 俺は走った。最後の力を爆発させ、力の限りペダルを蹴りこんでいく。

 Mさんの旦那さんが待っていてくれる!

 だから、心配などいらない。力一杯漕げば、きっとたどり着ける!

(無理はダメだ!)

 みんなより先に、キャンプ場の入り口付かなくては。

(そんな必要はない)

 大丈夫!おじさんが待っている!

(自分の目で見るんだ)

 大丈夫!車が見えるまで!俺はこぎ続けられる!

「漕ぐのを止めろ!」



 麓までたどり着いた私は、何故だがUターンをしていた。

 トルクの十分なFZ1はUターンでもその性能の高さを見せつける。

 すでに日は落ちていた。

 しかし、私は取りに行かなくてはいけない。

 キャンプ場の入り口に……置き忘れてきた”俺”を……忘れ物を取りに、戻らなくてはならないのに……。

 あの時、Mさんの旦那さんの車を、私は発見できなかった。

 焦りで視野と思考が極端に狭まってしまっていた十五歳の少年はそのあまりある体力に任せ、峠を下りてすぐの橋にたどり着き、ようやく気づいた。

 車も鳥居もおいらん淵も……何もかも無かったことに……。

 そう、私は車より速いスピードで、キャンプ場の入り口を通りすぎていたのだった。

 そして今の”私”も十七年前と同じように通り過ぎてしまっていたのだ。

 決して分かりづらいところではない。

 ただ、舗装もされていない、ガードレールもない、そんな獣道のようなところがキャンプ場の入り口であると認識出来なかったのだ。

 十五歳の私はもう、”車”を探すことしかしていなかった。

 大人を信じ切っていたのだ。

 待つといったら待っている。

 車を見つけられない自分が悪いのだと責め続けながら、漆黒の闇と雨で勢いの増した川の轟音に怯えながら何往復も走り続けた。

 待っているはずの”車”を探して……大人達の言葉を信じ続けて……。

 私はスロットルを捻りながら泣いていた。

 こんな、こんな山道を……こんな暗く険しい道を……君は一人で……たった一人で何往復も……。

(俺のミスだ!なんて無様なんだ!!道に迷うなんて!!)

 違う……。

(パンクはするわマサキを怪我させるわ……おまけに一人で突っ走って迷うなんて……失格だ……俺は失格だ……)

 違う……違う……。

(俺は……何のために……期待されて参加したのに……俺のせいで……俺のせいで……みんな……みんな……)

 違う!君のせいじゃない!私なら、私だったら約束を守る!

 全員集まるまで、車を移動させたりしない!

 自ら確認していない不確かな情報で、君を惑わしたりしない!

 大人の責任だ!全てはみんな、大人の責任なんだ!

 十五歳の君に責任能力は無い!

(違うよ……俺のせいだ……全て俺の……俺のせいなんだ……お前も……同じだよ……)



「!?」

 速い!……この速度では曲がりきれない!

 ブレーキを掛けたその瞬間、FZ1のリアタイアがグリップを失っていく!

(やばい!)

 私は転倒の恐怖に勝てず、ブレーキを離す!


 次の瞬間、暴力的な力と共に、私の肢体は漆黒の闇の中に放り投げ出されていた……。


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