一
「もうお前は完走出来ないんだからな!覚えておけ!」
フロントタイヤが酷くバーストしてしまった自転車を車に積み込む私を睨み付けながら、彼女は吐き捨てた。
酷く暑い十六年前のこの夏の日から、私の人生の歯車はゆっくりと悪い方に回転を始めたのかもしれない。
十月の第二月曜日。
私は新車”FZ1”の慣しもかねて「走りに」行こうと決めた。
いつもの通り行く先も決めずに走り出すつもりが、何故かこの日に限って私の中の何者かが囁きだした。
「お前には行くべき場所があるはずだろう?」
「かさぶたのまま、いつまでもいつまでも傷口を治さないつもりか?」
「五年前もそういって行かなかったじゃないか」
「忘れ物を取りに行こうぜ。あのときの”俺”をよう」
……わかっている。
あそこには”俺”がいる
暗がりで独り駆けずり回った”小さな英雄”が、今も泣いている。
花魁たちに囲まれながら、私を独り待ち続けているのだ。
新車の香りに少し興奮していたのか、私はその”囁き”に従ってしまった。
そう、従ってしまったのだ。
行く先は決まった。
山梨県甲府市、大菩薩ライン上の柳沢峠である。
真新しいSHOEI HORNETが私の頭を締め付けた。
そしてその選択は私と”俺”を救うことになることを誰がこのとき予想しただろう。
日差しの強い、暑い秋の日の悪夢の始まりだった。
「旅費はMさんが出してもいいと言っている。どうするかはお前が決めろ」
徳島に向かうフェリーの甲板上でこの旅に参加することになった一言を反芻していた。
「サブリーダーとして協力してほしいそうだ。行くなら行く、行かないなら行かないで返事は早めにしないとな。」
正直あまり気乗りしなかった。
クラスのみんなと花火を見に行ったり、海に行ったりしたかった。
またあのつらいペダルを漕ぎ続け、Mさんの雷に怯える軍隊のような暮らしなどまっぴらごめんだった。
一度断った話をまた蒸し返し、旅費まで負担すると向こうは言ってきているのだ。
体裁を異様に気にする歩くプライドのような父は、選択肢を与えているかのようで実はそうではない。
”行け”と命令しているのだ。
父には逆らえない。
サブリーダーとしての自転車旅行の参加を了承するしかなかったのだ。
しかしこうして船に乗り込み、はしゃぐメンバーを見ていると不安は増すばかりだ。
カズとマサキが合流するまで経験者は俺一人。
しかも”子供”ばかりだ。
俺より一つ年上がいるが、この船の中での行動を観察していれば奴の精神年齢の低さがよく分かってしまう。
奴は”使えない”。
なんてこった、俺は一人でこの子供たちをまとめるのかよ・・・・。
四国の土が大きくなるにつれて、俺の積む荷物のあまりの重さに驚きとまどい始めていた。
「ビーーッ!」
クラクションを鳴らされ、急いでシフトペダルを蹴りこんだ。
「ったく、こう車が多いんじゃ考え事の一つもしたくなるよ……」
片側一車線の国道二十号はあまりすり抜けに適しているとは言えず、所々ではおとなしく列に潜り込む必要があった。
祝日であることを思い出して今日という日を選んでしまったことをほんの少し後悔し始める。
秋晴れの祝日は私のような人種にはあまりありがたくない。
せっかく平日が休みなのだから空いた道路を走らせろってんだ、等とぶつくさ考えながら、FZ1と私は確実に柳沢峠に近づいていく。
あれから十六年か……。
思えばトラブル続きの旅だった。
とにかくあの殺人的な暑さはMさんと私をのぞいたメンバー全員の体力と注意力を根こそぎ奪っていった。
水を切らしてしまう物が多く、その度に休憩を余儀なくされ、距離を稼げない。
容赦なく照りつける太陽とアスファルトの照り返しは、タイヤの径の小さい物=つまり低年齢者の多いあの時のメンバーにはとても厳しい物だったに違いない。
距離を稼げない苛立ちを、Mさんは次第に子供たちのせいにし、その雷は彼らをかえって萎縮させてしまった。
今の私だったらどうしたかな?
シールドを開け、こもった熱をはき出しながら思考を巡らせる。
「ストーップ!止まれえ!」
2番目の定位置を走っていた俺の耳にMさんの声が届いた。
先頭のたけしに停止命令を出し、隊列を止める。
即座に人数の確認をすると欠けているのはMさんと一つ年上の彼だった。
俺はたけしに待機するよう指示を出すと来た道を戻った。
何だろう、何か嫌な予感がする・・・・・・・。
俺が見たのはフロントホイールのねじ曲がった自転車と乗用車、そして顔面を鮮血に染めた一つ年上の”彼”だった。
不幸にもカズとマサキが合流する、わずか一日前の出来事だった……。