桜、染まる
早春。ふっくらと膨らんだ桜の蕾が開き始める。
白にほんのりと赤を差したような色の花が、徐々に木全体を覆っていく。
遊歩道で区切られた広場に桜の木々が並んで生えている。
ほころび始めた蕾が春の訪れを告げていた。桜が一番輝く時まであと少しだ。
僕はその内の一本の桜の前に立っていた。見上げた先にある枝には、他の木々と同じく咲き始めの花が控えめに彩っている。
けれどこの桜は他の木々と比べて元気がない。全体的に白っぽくて、どことなく存在感が希薄。
生き生きとした活力に欠けているのだ。
生気が足りていない。
僕とこの桜はリンクしている。だからよくわかる。僕自身もなんとなく怠い。
どうしようかな。
桜の木を眺めながら僕は考え込む。
「さ、桜、きれいに咲き始めていますね」
思考に耽っていた僕に、話し掛けた者が現れた。
セーラー服を着た少女で、セミロングの髪にうっすらと赤みの差した頬。
生命力に満ち溢れた子だった。
「そうだね」
僕の存在に気づいたことに感心しつつ、そう答える。この木にだけは艶がないけれど。
「桜、好きなんですか?」
顔をますます赤らめ、声を震わせ一生懸命話す彼女。
きっと喋るのは苦手な部類に入るはずだ。
「そう言われればそうなのかもしれないね」
好きかどうかわからないけど、桜が鮮やかに咲き誇ることを願っているから嫌いではないだろう。
彼女は僕が発言するとさらに顔を赤くし、俯きがちになる。
なぜだろうかと疑問を浮かべれば、すぐに思い当たる節があった。
他人から見ると僕は美しく映るらしい。実際に自分の姿なんか確かめたこともないからわからないけど、過去にそう指摘されたことがあった。
「君の名前は?」
僕は尋ねた。どうするか決めた。
「あ、あなたの名前は?」
彼女は名乗ると逆に聞き返してきた。
僕は虚を衝かれ、目を瞬く。
僕は桜で、桜は僕。
僕個人に名前なんてないから、適当に名乗っておいた。
春。桜の木の枝には満開になった花々が咲き誇る。
白にほんのりと赤が差したような色の花はこの時最も美しく輝く。
僕と彼女は毎日会うようになった。
彼女はいつも、部活帰りにやって来るらしく、会うのはいつも日が傾き沈もうとする頃だった。
僕は今日も桜を見上げながら彼女を待つ。
白にほんのりと赤が差し染まった花は鮮やかに咲いており、風によってその花弁は舞った。
生き生きと輝く桜はきれいで、僕は満足していた。
足音と共に僕の名を呼ぶ声が聞こえた。僕は桜から視線を外し、彼女の方へと振り返る。
ふらふらしながら歩み寄ってくる彼女はやつれ、すっかり弱々しくなっていた。日増しに、僕と会う度に彼女からは生命力が消えていく。
「こんにちは」
それでも彼女は嬉しそうにはにかみながら僕の元へやって来る。
風によって薄紅色の花びらが、宙を舞い散る中、今日も僕は彼女との会話を楽しむ。コロコロと変わる彼女の表情は見ていて飽きることがなく、面白かった。
「そろそろ家に帰りますね」
話が一段落つくと彼女はそう言った。もうそんなに時間が過ぎたのか。
「また明日」
「はい、さようなら」
か細い声を精一杯張り上げ笑顔を作り、彼女は去っていった。
段々元気をなくし、空元気ばかりが目立つ彼女。
段々生気が増し、鮮やかに咲き誇る桜。
僕の気分は高揚する。
あと、もう少し。
彼女の頬を赤く染め話す顔が頭に引っ掛かるが、僕がやるべきことは決まっている。
今日は風が強い。
盛りを迎え、枝いっぱいに桜の花がきれいに咲き、次々と舞い散る中、彼女は今日もまた僕に会いに来てくれた。
瞳は半分虚ろで歩くのもつらそうだったが、彼女は僕の姿を見つけると微笑んだ。
他愛もない話を、この日もまた僕と彼女はする。
生気をすっかり失いやつれても、彼女の頬をうっすらと染める赤は、散る桜の花びらにほんのりと差す赤と似ていた。
「君は僕のことを好きかい?」
いつもならば別れの挨拶をする頃、僕は彼女にそう言った。
彼女は大きく目を見張ったが、僕としっかり視線を合わし、口を開いた。
「はい。私はあなたのことが好きですよ」
はっきりと告げ、恥ずかしそうに瞳を伏せる彼女の痩せ細った両肩に、僕は手を置いた。
彼女は驚いたように僕を見上げた。
「僕も君が好きだよ」
僕はそのまま彼女に口付けた。 一際強い風が吹いた。
桜の花びらが僕と彼女を覆うように乱れ飛ぶ。
その光景を映した彼女の瞳がゆっくりと閉じられる。そしてそのまぶたが開くことは二度とない。
そっと唇を離す。力を失った彼女の身体は地面に崩れ落ちた。
白に薄く色づく赤が引き立つ。隣で咲く桜の鮮やかさは最高潮に達した。
僕の心も満ち足りた気持ちでいっぱいだった。
晩春。美しく人々の目を楽しませ咲いていた花は散り、今ではもう見る影もない。
代わりに、枝には新緑の葉が生い茂る。
葉ばかりになってしまった桜を僕は今日もまた見上げていた。
桜が美しく鮮やかに咲き誇れる期間は本当に短い。今年の輝ける瞬間はもう終わったのだ。
太陽が傾き沈もうとする頃、僕は無意識のうちに遊歩道へと目を向けていた。
毎回、自分でそれに気づく度に苦笑。
彼女はもうここには来ない。
なぜなら僕が彼女の生命を奪ったのだから。
なのに僕の心はどこか空虚だった。彼女の全てを奪った直後はあんなにも充足していたのにだ。
僕は桜に手を当て、もたれ掛かった。ごつごつとした木肌を感じる。
桜の季節は終わった。
僕は自分の気持ちの正体を掴めないまま桜と同化した。
一滴だけこぼれた雫は地面に落ち、すぐに消えた。
END.
某SNSのコミュニティに投稿した作品でもあります。
最初、この話は彼女の方を主人公にして書いていました。しかし詰まってしまったため、さらに某SNSのコミュ内で「桜吹雪」をお題に三千字以内の作品を募集していたため、視点を僕に移して短くして、この作品になったのでした。
いつか彼女視点バージョンの方もきちんと完結さたいと思っていますのでその時はよろしくお願いします(そんな作品がたくさんありますが)。