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あにむす  作者: まるね
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1 ― (2)

この町の西の端っこにぼくらの学校はある。JRの駅からバスで30分はかかるから、朝晩送り迎えの自家用車で、校門前は渋滞気味だ。

父兄の車は、いかにもセカンドカーなパステルカラーの軽自動車と左ハンドルやハイブリッドの高級車の2種類にきれいに分かれる。

中高一貫で、ミッション系の女子大に太い推薦枠を持っているこの学校は、親娘三代という在学生までいる。いわゆるお嬢様校だ。ただし、高校から入学してきたぼくみたいなのは、ごく普通のサラリーマン家庭で、そうした同級生は少なくない。

1年のうちは親のお迎えもありがたいのだが、そのうちみんなバス通学に切り替わる。

その方が楽しいからだ。

JRの駅北から出ている通学バスは、学年で座席が分かれていて、一番後ろは3年生だ。そのあと、日当りのいい方が1年生。日陰になる方が2年生となる。今、ブームは美白だからで、数年前ガングロが流行った時は逆だったらしい。

友愛と寛容がモットーなので、年下には格別優しくするのが建前だ。

たまたま中学生が乗り合わせたら、当然、1年生が席を譲る。どんなにうるさくて可愛くなくても、中学生の青タイを見かけたら、ごきげんようと声を掛けて、席を譲るのが決まりだ。

中学からこの私立学校に通っているということは、かなりの確率でお嬢様だから、いい子もいれば、特別悪い子もいるみたいだ。席を譲られるのが当たり前という顔をされることもあるらしい。らしいというのは、実際、ぼくはまだそういう経験がないからで、お昼にお弁当を食べながら、みんなから話を聞くだけなんだけどね。

朝一番に、礼儀の悪い中学生に出会った日は、1日気分が悪い。おまけに、その日が生理で、前の晩に親と喧嘩していたら、もう三重苦だ。そう景ちゃんは言う。

景ちゃんが1年のドア係の日。

景ちゃんは寝起きにお兄さんとも喧嘩して四重苦だった。だから、景ちゃんは登校してきた時から機嫌が悪くって、男兄弟のいる人特有の言葉遣いが荒れてて、最悪だった。

ドア係。こんな係がある学校は他にはないんじゃないだろうか?少なくともぼくは、中学校まで聞いたことなかったし、実際に目にするまでは想像もつかなかった。

ぼくらの学校には、授業開始のチャイムがない。ただ、朝の始業開始にマリアチャイムという荘厳なものが鳴るだけで、ショートホームルームのあとは、時計を見ながら各自で行動することになっている。授業開始五分前に、廊下に出て、教科担当の先生を待ち、クラスに「先生がお見えです。みなさん、準備をなさってください。先生、よろしくお願いいたします」と少々大きな声で伝えて、ドアを開ける。これがドア係の仕事。

すごいでしょ?

ぼくはこれ、けっこう気に入っていて、当番の時は楽しくやったけど、その日の景ちゃんにとって、それはものすごくやりたくないことだったんだろうね。

1時間目は生物だった。

開始5分前。ガラリと音を立てて引き戸を思いっきり戸袋に当てて、景ちゃんは叫んだ。

「野郎ども!先公がきたぞっ。席に着きやがれ!」

生物の遠藤先生が近づくよりも早く、隣から学年主任の榊先生が飛び出してきた。

「誰だ!今、汚い言葉を使ったのは?」

隣のクラスは現国だったのか。声の大きい男は苦手だ。それでなくても榊先生は、肩幅のがっちりしたラガーマンで、よく陽に焼けていて、この学校には似合わないとぼくは思っている。

景ちゃんは、むすっとしたまま、廊下につっ立っている。逃げも隠れもしない。天晴な姿に拍手が起こり、榊先生の声はさらにヒートアップした。

「静かにしないか。授業中だぞ」

景ちゃんは榊先生に向かって足を向けた。

「てめえの声がうるせぇんだよ」

榊先生の顔がさっと変わったのが、ぼくからもよく分かった。大丈夫かな?景ちゃん、やり過ぎなんじゃないか。クラスもざわざわし始めて、隣の教室の窓からもいくつか顔がこっちを覗いている。

榊先生がすごい勢いで景ちゃんに近づいて来て、もしかしたらぶたれるんじゃないかと思った瞬間。遠藤先生の身体が、ふたりの間に割って入った。 

「みなさん。とにかく、授業をいたしましょう。榊先生。ご迷惑をお掛けいたしました。あとは私が責任を持って指導いたします。本当に申し訳ありませんでした」

そうして、その場は治まった。遠藤先生は、30代半ばの線の細い女の人なのに、この時は現役ラガーマンの榊先生より迫力があった。

さらに言えば、この後、景ちゃんは2時間のお説教を遠藤先生からクラっている。

もちろん。バスを待つ間。梅ちゃんにもこってり絞られていた。

景ちゃんが、お兄さんの煙草ポーチを持ってきたのは、その次の日だ。


本当にあの日はついてない1日だったと、景ちゃんは時々振り返る。それはたいてい、ついてなかった日の翌日、必ずこの屋上で並んで煙を吐いている時なんだ。

「ねえ。あゆむはさ、ついてない日ってなかったの?いっつも私のついてない話を聞いてるだけじゃん。ねえ、どうなのよ?」

うーん。ぼくは腕組みをして天を仰ぐ。実際あまりついてないと思うできごとは思い浮かばなかった。

「ないねえ。どうしてもと言うのなら…」

「うん。言う言う」

「入学式の日。景ちゃんとおそろのセカンドバックを持ってきちゃったってことかな」

「えー。酷いよ。それがなかったら、私達の出会いは無かったかもなのにぃ」

景ちゃんは大袈裟に屋上のフェンスに頭を擦りつける。今は梅ちゃんもいないから、これはぼくへのアピールなんだと思うけど、そんなのしなくても、ぼくはいつでも景ちゃんは可愛いと思っている。ぼくが、自分よりも大きいものにも可愛いいという気持ちが持てることを初めて教えてもらった。景ちゃんは、ぼくにとって貴重な人材なんだ。

「大袈裟だなぁ。あれがなくたって、式が終わったら、教室で隣同士になってただろ?」

「もう。あゆむはロマン無さ過ぎ。あの時、私達、気が合いそうって思わなかったの?他に誰も持ってなかったんだよ。ナイキのポーチ」

「そりゃね。みんな、女の子なんだからさ。おしゃれ系だよね。まあ。せめてアディダス、プーマでしょ」

悪かったねえ。景ちゃんはそう言ってぼくの肩を抱く。けど、ぼくは景ちゃんにだけ、そういうことを許してるって教えていない。景ちゃんのボディタッチは他になんの意味もないから、1度も不安にならないのだ。本当に、景ちゃんは貴重な人材。

「ね。あゆむ。マリア会の人たちのとこに、スギナがいる。見て。何やてるんだ?あの女」

マリア会というのは、キリスト教に興味のある人とか信者さんが集まった部活みたいなもので、ミサの時に神父様のお手伝いをしたり、お弁当をいっしょに食べたりする人達のことだ。まあ、ぼくたち一般生徒からしたら、けっこう謎な集団になる。

「謎だよね。あいつ、またいっしょにいる子が違うんじゃん。1年生か?騙されてるのは…」

スギナは1年の頃、バレー部でいっしょだった。夏には幽霊部員になり、勉強を理由に1年の終わりに退部して、それきり口もきかない。ぼくが挨拶をしても、そこにぼくが見えないみたいに過ごしている。それでも、ぼくはスギナとすれ違う時、必ず挨拶をする。ぼくには何もなかったのだと、自分に言い聞かせるために。

「あいつ。なんか無理していい人ぶってるんだよね。私には分かる。こう、みんなに見てもらいたい。褒めてほしい。認めてほしいってのがダダ漏れだから、引かれるって、何で分からないんだろう。ブランドのバックや靴なんて、ここじゃ、珍しくもないのに見せびらかして、ひけらかして歩いてるのが、マジ感じ悪」

景ちゃんの人物ぶった切り論は、言葉の割に悪意がない。むしろ客観性に富んでいて、人物評論家にでもなれそうなくらいだと、常々ぼくは思っている。けれど。スギナに関してだけは感情的だ。その原因は、たぶんぼくなんだけど。

たぶんというのは、はっきり確かめたことがなかったから…。

ぼくに何かよくないことがおこったとして、それをついてなかったと言えるほど、ぼくは明るくないんだと思う。たいていの場合。ぼくは簡単に自分を責める。それが一番楽なんだ。

もっと何かできたんじゃないか。あの時、こう言っていれば…そんなことの繰り返しで生きている。

でも。

スギナのことだけは、簡単に自分を責めなかった。責めたくなかったというのが正しい。

ぼくは、スギナのことを考える時だけ、なぜ『彼女』はあんなことを言ったのか?ということを思う。

そうして、やはり、理解不能の4文字が心に深く傷を作っていることを、何度も何度も思い知るんだ。


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