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少年は世界を夢見る  作者: 楠瑞稀
第三章 神の眠る樹海
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1、「東の神殿」(3)



 ジェムの問いかけに顔を上げたその少年は、妙にまっすぐな眼差しでジェムを見つめ、そのままふにゃりと微笑んだ。

 つられてジェムもふにゃりと笑ってしまう。なんとも気の抜けるような笑みだった。

 彼は左目に付けた黒い眼帯をいじりながら立ち上がる。それはまるで絵本に出てくる海賊がつけるような眼帯だ。


「ふふ、ごめんね。ぶつかっちゃったね」


 立ち上がると背丈はジェムよりも高い。すらりと伸びた手足、ぴんと尖った耳の形を見るとどうやら『森の民』(シルヴェストル)であるようだった。

 ただ、ジェムが老人と勘違いしたように髪の色が真っ白なのでもしかすると他の種族の血も引いているのかもしれない。


「痛くなかった?」


 かくんと首をかしげる。見た目ではシエロとそう変わらない年齢のはずなのにその仕種はまるで小さな子供のようだった。

 唯一見える右目は猫の目のようにぱっちりと吊り上り、青みの強い翠色に光っている。


「ぼ、ぼくはどこも痛くないです。あの、これ……」


 ジェムが拾い集めた本を渡すとその人はぱっと嬉しそうに顔を輝かせた。


「わあ、ありがとう」


 大事そうに本を受け取るが、よく見ると十数冊あるその本は種類は違うもののどれもこの街の地図や旅行案内書でジェムは思わず目を丸くする。

 どんなおのぼりさんでもその手の本はせいぜい一、二冊あれば十分だと思うのだが。

 彼は眼帯をいじりながらくすくすと笑う。


「セルバはね、これつけてたから左がちょっとおろそかになっていたみたいだ。本当にごめんね」


 ジェムはいったい何のことかと一瞬きょとんとするが、どうやらセルバと言うのがこの少年の名前のようだ。慌ててジェムも頭を下げた。


「ぼくの方こそ不注意でしたっ。……あの、左目、大丈夫ですか」


 少年がずっと眼帯に触れているのを気にしてジェムは尋ねる。しかし少年は嬉しそうに笑うとわずかに胸を張って答えた。


「ふふっ、イカしてるだろう? これ伊達眼帯なの」

「……」


 この人、変な人だ。


 今更ではあるが、ジェムは心の底からそう思った。だいたい伊達めがねなら知ってるが、伊達眼帯なんて言葉は聞いたこともない。

 少年は残された右目をきらきらと輝かせて言った。


「褒めてくれてありがとうっ」


 いや、一言も褒めてはいないのだが。

 ジェムは笑みの形に顔を引きつらせ、思わず一歩後ずさった。シエロたちに先に行ってもらったことがかなり悔やまれてならない。

 どうしたら自然にこの場から立ち去れるか、おもむろにジェムが思案を始めた時、


「あのね、あのね」


 無意味に勢いの良かった少年の声が、ふいに弱々しくなった。

 見ると少年は眼帯に触れるのをやめ、眉を八の字に下げる。しょぼんとした顔で首をかしげていた。


「君、いい人みたいだから一つ聞いてもいいかなぁ」

「あっ、はいっ。僕に答えられることでしたら」


 その捨てられた子犬のような表情にぎょっとして、ジェムは反射的にそう答えてしまう。すると少年の顔がぱっと輝いた。


「あは、ありがとう。嬉しいな。実は、セルバはちょっと道を聞きたかったんだ」

「道、ですか?」


 それを聞いて、今度はジェムが困ったように眉をひそめた。なにせジェムは今日この街に着いたばかりである。

 この街の地理にはかなり疎い。もしかすると彼の期待には応えられないかもしれないぞ。

 ジェムはそう思って慌てたが、実のところそれは杞憂だった。

 彼が尋ねたのは、着たばかりのジェムでさえ良く知る所だったのである。

 少年はにっこりと笑ってこう言った。


「神殿までの道を教えてください」

「へっ!?」


 ジェムは目を丸くした。


「……し、神殿、ですか?」


 おずおずと振り返ると、背後に窺える白い立派な建造物を指差した。


「神殿って、あの?」

「そう。あの樹大神殿」


 少年は無邪気にうなずく。


「だってあの神殿以外、この街には神殿はないでしょう?」

「いや、それはぼくよく知らないんですが……」


 ジェムは不自然に吹き出る汗を拭った。

 樹大神殿は高台に建てられているため、この街からならどこにいたってよく見える。現に今いる場所からだって神殿は良く見えた。この街で最も分かりやすい目印とも言えるだろう。


「あの、あなたが持っていらっしゃるのってこの街の地図ですよね。それには神殿までの道順は載っていないんですか?」


 もっともな疑問である。むしろ、街で一番の観光名所が載っていない地図などあるはずがない。

 だが少年はむうっと頬を膨らませてすねたように呟いた。


「載ってた……」

「だったら――、」

「でもこの本は不親切なんだ。書いてある通りに歩いても全然目的地に着けない。人に道を聞いたけど、みんな意地悪で必ず違う所にたどり着く」


 翠の目が不満げな色を浮かべた。


(ああ、なるほど……)


 少年の不幸な境遇を一瞬哀れみかけたジェムだったが、唐突ににその理由に思い至った。すべての疑問がまるで真夏の氷塊のようにするすると溶けていく。


「あの、失礼は承知でちょっとお尋ねしますが、あなたは良く知る道を普通に歩いていても、気が付くと知らない場所だったりはしませんか?」

「うん? よくあるよ」


 少年はあたりまえのことのように、あっさりと答える。


「じゃあ、知り合いに絶対に一人で出歩くな、って言われたことは?」

「しょっちゅう言われてる。初めて会ったのに良く分かるねぇ」


 少年は感心するがジェムは曖昧にうなずくだけだった。

 何故、彼が神殿に行けなかったのか。

 それは参考にした本が悪いのでも、尋ねた相手が悪いのでもない。


(この人、たぶん真性の方向音痴だ……)


 思わず、ジェムの口から同情にも似たため息が深々と漏れた。

 ジェムの暮らしていた寮にも同じ性質の人がいたが、こういうのはいくら本人が注意しても無駄なのだ。

 しつこいぐらいに道順を教えてもどんなに分かりやすい地図を持たせても、面白いぐらいに違う道に迷い込む。

 しかも本人にその意識がないとなると、さらに始末に終えない。

 だがさすがに教えても無駄だと言う訳にもいかないので、ジェムは何と説明するべきかと頭を悩ませた。


「ええと、あそこが樹大神殿です」


 悩みに悩んだ末、ジェムはまっすぐに遠くに見える神殿を指差した。


「あの神殿から絶対に目を離さないで、まっすぐ歩いて行って下さい。余所見をしたり、下を向いたりしちゃ行けません」


 たぶんこの手の人間には地図など書いても逆効果だろう。

 幸いなことに目的地は目で見える範囲にあるのだから、目を離さないでいればどうにかたどり着けるはずだ。


「もし、道が左右に分かれててまっすぐ行けなかったら?」

「……」


 今いる場所から神殿までは道なりに行けばいいだけなのでそんな場所にいくはずはないのだが、一応ジェムは答えておく。


「その場合もやっぱり神殿からは目を離さないで、人の多いほうに向かって歩いて行って下さい」


 そうすれば、運が良ければ神殿に行く人もいるだろう。いざとなれば連れて行ってもらえばいい。


「そうか、ありがとうっ」


 少年はきらきらと目を輝かせてお礼を言った。


「教わった通りに行ってみる。これ、つまらないものだけどどうぞ受け取って」


 どんっ、と十数冊の本を一度に渡されジェムは思わずよろけた。躍りださんばかりの足取りで道を駆けていく少年にジェムは声を掛ける。


「あのっ、もし支障がないようでしたらその眼帯は外したほうがいいですよ。距離感が狂う原因になりますからっ」

「うん、わかったぁ」


 少年はうなずき、ジェムに向かって手を振った。

 ジェムはその後姿をハラハラしながら見送る。なんとも人を落ち着かない気分にさせる少年だ。だが、その姿が完全に人ごみに消えたあたりでジェムははたと気が付いた。


「あれ……。そういえば、今神殿に行っても誰も入れないんだっけ……」


 とっさに追いかけようとしたがすでに遅し。その姿はどこにも見えない。


「も、もしかすると、逆に悪いことしちゃったかな……」


 あとのまつりとはこんな時に言うのか。

 一人通りに残されたジェムは、ひくりと頬を引きつらせた。



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