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少年は世界を夢見る  作者: 楠瑞稀
第二章 追憶の痛み
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エピローグ「暁へ至る空」(1)



 





 町外れの通り。森の奥へと続く小道の傍で一人の少年が足を止めた。

 すでに真夜中に近い。

 ただでさえ人の寝静まるそんな時刻。もとより人通りの少ないその道には、細い月に添えるように小さな星灯りが頼りなく瞬くばかりだ。

 人の作り出した灯りも少年の持つランプの他どこにも見えない。


 彼は一人孤独に、深夜の道端に立ち尽くす。

 それは酷く心細い光景だった。

 少年は辺りを見回すと小さく息を吸い込んで言葉を放った。


「どこかに、いるんでしょう?」

「ええ、おりますとも」


 間髪いれずに返事が返ってくる。

 近いとも遠いとも、男とも女とも判別しがたいその声は、しかし苛立ちを含んでいた。


「あれから丸二日が経ちましたが、まさか自らおいでになろうとは思っても見ませんでした。今度こそ、覚悟の程はできたご様子ですね」


 少年の前に『影』が現れた。

 そう、それは『影』。

 あたりに満ちる闇に溶けて消えてしまうかのように黒く、そしてどこまでも暗い。


「なぜ、貴方様がお逃げになったのかは、あえて聞かずにおきましょう。さあ、早くこちらへ。時間はあまり残されておりませんゆえ……」


 しかし少年は差し出された手を取ろうとはしなかった。影は、その目にいぶかしげな色を浮かべる。


「――ぼくは、今まで何も知りませんでした。知ろうとさえしていなかった。北の(ノルズリ)大陸と西の(アウストリ)大陸の間にあった確執も、南の(スズリ)大陸とのことも。ぼくは何ひとつとして、知らなかったんです」

「……何を、おっしゃっておられるのです?」

「そのことがとても恥ずかしかったから、だからぼくは調べてみたんです。なぜ、ノルズリ大陸がそんなことをしたのか。なぜ、他の大陸を侵略なんてしたのか。そしたら、思いがけないことが分かりました」


 影が眉をひそめた。

 その意味がまったく理解できなかった。命乞いでも謝罪でもなく。なぜこのようなまったく関係ない話を始めるのか。


(まさか時間稼ぎか?)


 しかし、今更そんなことをしていったい何になるのか。

 少年はそっとまぶたを伏せる。そして影のそんな困惑は意にも介せず話を始めた。


「今でこそとても土地の痩せているノルズリ大陸ですが、かつてはそうじゃなかった。アウストリ大陸にも劣らぬほどに緑が多く、それどころか五大陸で最も実りの多い、恵まれた土地だったそうです。―――だけど今はその豊かさを失ってしまった。なぜだか、分かりますか?」

「さて。何故でしょうな。もとより興味もございません。戯言はそれくらいにして、参りますよ」

「その原因は、ノルズリ大陸の住人がその豊かさに驕ってしまったからです」


 影は顔をしかめるが、ジェムは話を続ける。


「彼らは豊かな土壌を当然のものと考え、過剰なほどに大地を酷使し続けました」


 どれほど恵まれた大地でも、土地を休ませることなく収穫を蓄え、際限なく木を切り続ければいつかは限界が来る。農地は地力を消耗し尽くし、乱伐され露出した地面では雨が表土を削り運び去る。


「その結果、春には決まって洪水が田畑を押し流す。雨が降ればすぐ川は氾濫し、種を蒔いても実りは少ない。ノルズリ大陸はそんな土地になってしまったんです」


 ジェムは影の言葉を無視して淡々と言葉を連ねていく。

 影が聞いているかどうかはもはやこれっぽっちも頓着していない。

 自分ただひとりを観客にして話し続けるその姿は、まるで現実逃避をしているかのようでもあった。


「ぼくはそうして、自ら大地の恵みを枯渇させたんです」

「いい加減になさいっ。そんなことを言ってどうしようというのですか」


 とうとう影の声が荒立った。

 ジェムの肩が一瞬だけびくりと動くが、それでも影の言葉に素直に従う様子はまったくない。


 影は奥歯をぎりりと噛み締め、このまま問答無用で攫っていくか。あるいはこちらに従う意思はないとして、この場で始末してしまうか真剣に考えはじめた。

 だが影は、それゆえに体の前で組んだジェムの指がその震えを隠すように、かたく握り締められていたことに気付いていなかった。


「……ですがノルズリ大陸の人たち、八大王家は諦めなかった。痩せ衰えてしまったノルズリ大陸を見捨て、次の獲物を探した。そしていまだ緑豊かなアウストリ大陸に目をつけたんです」


 そして彼らはこれまで通り、以前とまったく変わらぬ豊かさを搾取し続けた。


 これが、東の大陸侵略の全容だ。

 さらにそのことに味を占めた北の大陸に諸各国は、東の大陸のみならず他の大陸にも進出を始め、それは今でも続いている。


「こうして北の大陸は再び豊かになりました。しかし、これは本当に豊かだといえるのでしょうか?」


 ジェムは影を見つめる。ひたとも視線を揺るがさず、その目はまっすぐに影を捉えている。


「ぼくは自分に与えられた豊かさをごく当たり前のものだと思っていました。でも、それは他人の犠牲の上に成り立っている仮初めの豊かさでした。それを知らなかったぼくは、とんでもなく無知でした」


 他人が傷つき、悲しんでいることを知らないでいた。

 知らないことで、大切な人を傷付け悲しませた。




  ―――どうか、見ない振りはしないで欲しい。知ったからには何か考えてくれ。賛成でも反対でも、反省でも賞賛でもなんでもいい。とにかくなにも無かった振りだけはしないでくれ。




 バッツの切ないぐらいに真摯な言葉が蘇る。


(バッツさん、これがぼくの答えです)


 ジェムは正面から影と向かい合う。そこにはもはや、不安や怯えは欠片も残っていなかった。


「この世界にはぼくの知らないことがまだまだたくさんあります。その中には、学院にいるだけではけして知り得ようもないことも多いでしょう。ぼくは、巡礼の旅を通してそんなたくさんのことを知っていきたい。知っていかなきゃいけないんです」


 ジェムは大きく息を吸い込むと、はっきりと自分の望みを口にした。


「だからぼくはあなたと一緒には行けません。ぼくは巡礼使節として旅を続けます」





 すべての音が途絶えた。

 耳鳴りのしそうな静寂があたりを包み込む。


 かつて、同じようにこの影のような使者に向かって正直に自分の気持ちを告げた。

 そのときに受けた仕打ちを、ジェムはけして忘れたわけではない。しかしジェムはもはや、臆することはなかった。


 彼はぐっとくちびるを引き結び、睨みつけるように影を見続けている。


「……そうですか」


 地を這うように低い声が、静かに零れた。

 陽炎のように動いた影が、立ち位置を変える。


「それが、貴方様の出した答えですか」


 半身となるようにジェムに向き直る。すうっと目が細められた。


「でしたら容赦はいたしません。我が主の命により、そのお命頂戴いたします。己の愚考を存分に後悔なさるがいい」

「後悔はしません。どんなことになろうと、後悔だけはしないって決めたんです。だってこれは、ぼくが自分で選んだ道だから」

「ならば、その決意を胸に抱いて死ねれば本望でしょう!」


 影は袖口から一振りの刃を取り出す。それは図らずもあの日ジェムを切り裂いたものとまったく同じ短刀だった。

 ジェムはかすかに顔色を青ざめさせるが、それでもけして影から目を離さなかった。

 影はかすかに舌打ちして刃を振り上げる。

 白銀の刃が淡い月明かりを反射してきらめく。

 そこにはわずかな迷いも躊躇も無い。その輝きがジェムの心臓めがけてまっすぐ振り下ろされた。しかし――、


「はい、そこまで」


 背後から突然腕をつかまれた。

 影は息を呑むと反射的に腕を振りほどき、振り返りざま飛び退る。

 夜明け間際の空色を宿した瞳が、にやりと細められた。


「驚いただろ? 気配を隠すのは俺の八つの特技のひとつなんだ」


 洋灯を片手に、シエロが影の前に立ちふさがる。


「貴様……っ、いつの間に」


 影が鋭い眼差しで彼を睨みつけた。シエロはにんまりと得意げに笑う。


「実は初っ端からいました。でも文句だったら聞かないよ? 気が付かなかった君が悪い」


 シエロはジェムを隠すように背後に庇った。

 影は咽喉の奥で唸ると、刃をまっすぐシエロに向ける。


「早々に立ち去られよ、他大陸の巡礼者。これは我が主たるディオスティエラ王家の問題。関わり無き者が口を出すことではない。もし邪魔立てするならば――、」

「容赦はしないって? でも邪魔立てしないわけにはいかないんだな。何しろジェムは、俺らの大事な巡礼の仲間なんだから」

「なるほど、もはや覚悟は定めていると」


 影はすっと片足を引き、得物を構えた。

 ジェムはかすかに不安げな眼差しを彼に向けるが、シエロはそれでもまったく持って強気な態度を崩さなかった。


「ふふ。ジェムを連れて行きたきゃまずこの俺を倒してみろ、なーんて言うまでもなくそちらはやる気満々か。だがな、これを見てみなよ」


 影が訝しげな色をぬばたまの瞳に浮かべる。シエロが差し出して見せたのは先ほどから手にしているランプだった。

 それも何一つとして変わったところのない、どこにでも売っているような普通のランプ。


「これは単なるランプじゃないのさ。これをこうやって……」


 シエロは蓋を開くと中にふっと息を吹き入れる。そのとたん、灯っていた明かりが消え周囲が一段と暗くなった。だが、ただそれだけだ。


「だからそれがどうしたというのだ」

「察しの悪い奴だなぁ」


 シエロは呆れたように眉をひそめた。だが、その瞳にはどこか面白がるような色が浮かんでいる。


「あんた、ずっと俺らの後をつけていたんだろう。だったらそろそろピンと来てもいいんじゃないか? 俺たちの仲間には『火霊の愛し児』がいるんだぜ」


 影は、はっと目を見開いた。 




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