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少年は世界を夢見る  作者: 楠瑞稀
第四章 約束の海は遠く
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7、裏切りに求められる代償(4)




 船に引き上げられたジェムはうつ伏せになるように床板に身を付けたまま激しく咳き込んだ。

 大量に海水を飲んでしまったものの、前回と違って気を失わずに済んだのは溺れている時間が短かったためか、それとも度々のことに慣れてしまったからか。

 ともかくどうにか水を吐き出し咳が収まるや否な、ジェムは大急いで顔をあげ、目的の人物を探した。まるで一瞬の遅れが、その者の存在を掻き消してしまうのを恐れるかのように。


 けれど、ジェムの不安は杞憂だった。

 ジェムの目の前には探していた人物が、消えることなく佇んでいたのだ。

 穿ったばかりの黒曜石を思わせる硬そうな黒髪。鋭い灰色の目に彫りの深い精悍な顔立ち。しなやかな筋肉に支えられた上背のある体躯。ギュミル諸島の人間にしては色素の薄い白い肌。

 ジェムはまだ震える自らの足を叱咤し彼に向かって飛びついた。


「ゼーヴルムさんっ」


 それは間違いなく、ジェムたちの前から姿を消していた巡礼使節の一員であった。

 その胸に飛び込んでから、ジェムはようやく自分の身体がびしょ濡れであることを思い出した。嬉しさのあまりすっかり失念していたが、これでは彼の服までも海水に濡らしてしてしまうではないか。

 けれどゼーヴルムもまたとっくにずぶ濡れであり、何より彼はそんなことにまったく頓着することなくジェムの肩を支え頭を撫でた。


「元気そうで、なによりだ」


 いつもは気難しげに顰められている表情も、今ばかりは薄い微笑を浮かべている。そうした側面もジェムの良く知るゼーヴルムであり、ジェムは探していた仲間との思いがけない再会に胸の熱くなる思いを感じていた。


「ゼーヴルムさんっ、ぼくたちずっとあなたを探していたんです」

「ああ、心配をかけてすまなかった。だが、再会を喜ぶのも謝罪をするのも後回しだ。今は目の前の問題に片をつけるのが先だ。私はそのためにここまでやって来たのだからな」


 そう言ってゼーヴルムは厳しい眼差しで遠い海上に浮かぶ私略船を睨みつける。それは憎き仇敵に向けるような苛烈な眼差しだった。

 そして改めて周囲を見れば、ここは海賊船イア・ラ・ロドではなく、揃いの制服を着た男たちが船を操っているもののバッツが乗っていた艦隊とも違う船の上だということに気付く。


「ゼーヴルムさん、あなたはどうやってここまでたどり着いたんですか? それにこの船は……?」


 思わず毀れた疑問に、ゼーヴルムは真剣な眼差しを浮かべたまま振り返る。


「あの私略船を拿捕するために、私はこの海上警備隊の手を借りてここに来た。あの船は、私が長らく追っていた相手と深く繋がっているのだ」




 数日前。

 自分に心当たりがある。そう告げたゼーヴルムの向かった先は、海上警備隊の事務所だった。


「邪魔をするぞ」


 それだけの一言を断りに変え、ゼーヴルムはあまりにも堂々と建物内に足を踏み入れる。そのあまりにも遠慮のない様は、後ろから付いてくるパスマの方が居心地の悪い思いを感じてしまいかねないほどだった。

 だがいくら堂々としていても、ゼーヴルムが部外者であることには変わりない。揃いの制服に身を包んだ警備隊の構成員たちは、ずかずかと建物の奥へと進んでいくゼーヴルムらを不審も顕わな眼差しで見ている。

 それすらも構わぬ様子で進んでいた彼らに、ついに制止の声が掛かった。


「おい、貴様らっ。何を勝手に入り込んでいる! ここをどこだと……っ」


 そこでようやくゼーヴルムは足を止めた。彼らを呼び止めた男の肩には一人だけ異なる階級章が付けられている。どうやら他の者たちに比べ責任ある立場にいるようだった。

 だがその男も、振り返ったゼーヴルムを見て絶句した。そして一拍遅れて、高らかに声が張り上げられた。


「ら、ラグーン隊長!?」


 彼は直立不動の体勢を取ると、慌てて敬礼を向ける。ふと、ゼーヴルムの表情が緩んだ。


「今はもう隊長ではない。だが、久しぶりだな」

「はいっ、ご無沙汰しておりましたっ」


 男の声は緊張に裏返っている。まさに上官を前にした部下の態度そのものである。

 顔には出さずともいぶかしむパスマの心中を察したのだろう。ゼーヴルムはあっさりと事情を説明する。


「私は昔ここの責任者をやっていたことがある。それだけのことだ」


 各町の港に配備されている海上警備隊は、その構成員の大半が町の人間であることなどから、正式な軍の一部ではなく軍の下部組織として扱われている。

 もっとも隊の取りまとめ役となる隊長は軍から派遣されることになっており、数年ごとに入れ替わる上役の存在は隊員たちからは煙たがることが通例となっている。そんな中、どれだけ上手く隊員たちを取り纏められるかに隊長の手腕が掛かっているのは間違いない。

 だが、ゼーヴルムの名が呼ばれた途端、周囲にどよめきが走り、明らかに入ったばかりと見受けられる新入りまでも目の色を変えたのを見るに、単に在任していただけとは到底思えないのだが、パスマは深く追求するのをやめた。


「資料室を見たい。構わないか?」

「もちろんですっ」


 男は大げさとも言える動作で飛び退き道を開ける。それにつられたように他の隊員たちも後ずさり、ゼーヴルムの前には資料室まで一本の道が出来上がっていた。

 それを当然のように歩いていきながら、ゼーヴルムは小さくため息をつく。


「かつての上官とは言え、今の私は部外者なのだからな。そう簡単に資料室に立ち入らせてはいけないはずなのだが……」


 嘆かわしそうに眉を顰めるその顔は、今はそれによって助かったとは言え、状況が許せば一喝して説教してやりたいと言わんばかりの表情だった。



 ゼーヴルムとパスマは海上警備隊の資料室に足を踏み入れた。

 換気と明り取りのための小さな天窓があるだけの薄暗い資料室は、天井まであるいくつもの本棚によって埋め尽くされていた。

 すぐに汗が滴り落ちるような蒸し暑いその場所で、ゼーヴルムはためらう様子もなく本棚の一角に向かうと、数冊の分厚い本を掴み出して閲覧用の机に向かう。そして椅子に着くことすら惜しいと言わんばかりにぱらぱらとそれを素早く捲り出した。


「それは、何だ……?」


 パスマは問い質す。ゼーヴルムの手には先ほどの倉庫で拾った羽が握られている。彼は顔も上げずに答えた。


「これは捜査資料だ。ここにはそれぞれの海賊や密輸組織が用いている伝書鳥の種類や頭数、羽の見本が可能な限り収められている」


 伝書鳥を用いるためには長い時間を掛けて慣らし、自分たちの船や拠点をしっかりと覚えさせなければならないという性質上、頻繁に取り換えができる類いのものではない。そのため伝書鳩は証拠の一つとして活用することができるのだった。


「資料として常に閲覧できるように取りまとめさせたのは私の代になってからだが……、ありがたい。今もまだ続けているようだな」


 ゼーヴルムがページを捲ると、そこには鳥の羽が貼り付けられており、いくつもの注意書きが書き添えられている。ゼーヴルムは拾った羽とその資料を注意深く見比べていた。


「その中に、犯人の手掛かりがあると言うのか」

「運が良ければだがな。しかし可能性は高いと思う――っ、あったぞ」


 ゼーヴルムはページを大きく押し開く。そこにはゼーヴルムが手にしているのと同じ、僅かに青みがかった灰色の羽が貼り付けられている。そこには添え書きがされていた。


「《イア・ラ・ロド》――だと?」

「それがどうかしたのか?」


 添え書きを読み上げながら訝しげな表情を浮かべるゼーヴルムに、パスマは声をかける。


「いや、私が知る限り《イア・ラ・ロド》という海賊は、禁制の品の密輸に関わるようには到底思えなかったのでな」

「だが、今の段階では犯人に繋がる手掛かりはこれだけだ。疑わしい限りは調べずに済ませる訳にはいかないだろう」

「確かにその通りだな」


 ゼーヴルムはその言葉にうなずく。そしてついでとばかりに資料室を出ると海上警備隊にさらなる協力を要請した。

 その結果、海賊島デザイアに潜入している警備隊員の情報によって、《イア・ラ・ロド》の操舵手であるグレーン・キニアスが密輸船の所有者である武器商人と関わりを持っていることが判明したのだった。





「密輸船に――武器商人? あの、私略船は関係ないんですか?」


 ジェムはきょとんとしてゼーヴルムを見上げる。ゼーヴルムは首を振った。


「いや、そんなことは無い。私略船と密輸船が密接な関わりを持つことはけして少なくないからな。奴らは互いに協力し合い、時にはひとつのものである場合もある」


 私略船は国の保護下にあるが、軍隊とは違いそこまで厳しい管理を受けている訳では無い。武器商人から得物を購入し、時には武器商人の指示に従い公にできない商品を秘密裏に運ぶこともある。彼らがそうした相互関係を結んでいるのは、そう非常識なことではないだろう。


「我々はその情報に従って、デザイアに潜伏していた。そして機会を見計らっていたのだが、《イア・ラ・ロド》が出航したとの情報を受けて、すぐさまその後を追ってきたのだ」

「ゼーヴルムさんもデザイアにいたんですか!?」


 ジェムは目を丸くした。ずっと捜し求めていた人物は実はずっと自分たちのすぐそばにいたのだ。


「私は船から下りることはほとんどなかったがな」


 ゼーヴルムは平然と答えた。すなわちそうなるとこの船は、海上警備隊の船だということになるのだろう。


「私の目的は一つ。この大規模な密輸犯罪に裏から糸を引いている者を捕まえること。そしてそれに関わっている海軍将校を根こそぎ逮捕することだ」


 かつて海上警備隊を指揮していたゼーヴルムは、密輸組織の大規模な摘発を行った。

 だがその根はあまりにも深く、ゼーヴルムは自らの組織に蔓延っている犯罪者たちを根絶やしにすることはできなかった。それが今では海上警備隊を退いたゼーヴルムの唯一の心残りだった。

 そんな悔恨を燻らせていたゼーヴルムの思いは、アウストリ大陸において新聞の記事を見たことで再燃した。

 自分がかつて捕まえようとした時には深く地下に潜って隠れていたものどもが、再び地上に現れ始めた。ゼーヴルムの見た密輸組織の暗躍の記事はその証だった。

 かつての組織から離れた自分なればこそ、今度こそ奴らを燻り出せるかもしれない。

 そのためにゼーヴルムは巡礼使節の任を投げ打ってまで、このギュミル諸島に戻ってきたのだ。


「あの私略船は精霊兵器を用いていることからも、武器商人、ひいては密輸組織と繋がりがあることは明らかだ。奴らから続く糸をたどれば、密輸組織も捕らえる事ができるはずだ」


 そのためには今目の前にいる私略船を取り押さえることが何よりもの近道。いや、唯一の手段と言えるだろう。


「でも、どうやってあの私略船を捕まえるんですか?」


 私略船がいるのは封印石で閉ざされた精霊魔法の使えない海域。なにより下手に近づこうとすれば精霊兵器で攻撃されかねない。

 ゼーヴルムは少しの間黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。


「封印石の海域ごと取り囲むように包囲をするしか手はないな。奴らの水も食料も無限ではない。投降するのを待つしかないだろう」

「だけど、あの人たちが精霊兵器の威力に物を言わせて強行突破をしようとする可能性はないんですか?」

「ないとは言えない。だが、他に方法はない」


 ゼーヴルムは難しい表情で顔を顰めた。ジェムもつられたように眉尻を下げる。

 不安が多大に残る方法ではあるけれど、近寄ることもできず精霊魔法も使えない以上は仕方がないだろう。しかし――、


(精霊魔法は、使えない……?)


 ジェムははっと顔を上げる。


「あの、相手の船が動けなくなればまた別の手段が出てきたりしますか?」

 ジェムの言葉に、ゼーヴルムはいぶかしみながらもうなずく。

「そうだな。相手の抵抗がないという確証があれば違う方法を取ることも可能だろう」

「でしたら……ぼく、ひとつ思いついたことがあるんです」


 ジェムはまっすぐゼーヴルムを見て告げた。


「ぼくをイア・ラ・ロドに戻して貰えませんか?」







 


 

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