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少年は世界を夢見る  作者: 楠瑞稀
第四章 約束の海は遠く
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② 影と騎士 ~共闘~ (2)



 すでに夕闇が迫っていた。

 ちゃぷちゃぷと波止場にぶつかる水面は、落ちきる間際の陽光を映し赤い飛沫を散している。

 二人が向かった埠頭はまるで人気が無く、ただどこまでも閑散としたうら寂しい雰囲気に包まれていた。


「静かだ……」


 ぼそり、と囁くように呟いたのはパスマだった。周囲の雰囲気に触発されたようなどこか遠慮がちな声である。


「そうだな」


 ゼーヴルムも声低く答える。


「あえてそのような場所を選んだか、あるいは秘密裏にこの付近一帯を買収したのだろうな」

「……なるほど」


 差し向けられた刺客の漏らした情報に従い、二人は立ち並ぶ倉庫のひとつの前で足を止めていた。北の大陸の様式で建てられた煉瓦造りのその倉庫は大袈裟なまでに堅固で、中の様子は容易にはうかがい知れない。


「さて、どうするか」


 無理やり中に押し入るという手もなくは無いが、もしも中で待ち構えられていた場合この人数では太刀打ちできない。ゼーヴルムが中の様子を探るべく思案をしていると、


「しばし待っていろ」


 パスマがあっさりと言い、するりと倉庫の壁をよじ登っていった。そしてまたたく間に屋根の向こうに消えていく。

 イルズィオーンの民はもとより身が軽いのが身上である。特に単独での隠密行動を専門とする“パスマ”にとってはこれぐらいお手の物であるのだが、北方地域で知られた暗殺一族なんぞとはまるで関わりの無いゼーヴルムにとってはそんなこと知る良しもない。

 突然のことに唖然としているうちに、早くも屋根から飛び降り戻ってきたパスマはゼーヴルムに向かってあっさりと言い放った。


「入っても大丈夫だ」


 パスマは無造作に倉庫の大きな扉に手を掛ける。ぎょっとするほど大きな音をたて戸が開いたが、まるで頓着する様子は無い。


「中は――もぬけの殻だ」


 確かにパスマの言葉の通り、そこに人の気配はなかった。

 暗闇と言っても差し支えない倉庫の中で洋灯を見つけだし、パスマは手早く明かりをつける。誰かがたむろしていたと言わんばかりのガラクタや酒瓶類で雑然とする、しかし人影だけはまるで皆無の倉庫内の様子がはっきりと照らし出された。


「なるほど、とっくに逃げ出したあとか」


 口惜しげに、ゼーヴルムは舌を打つ。


「そうだな。だがどうもこの様子では相手は慌てて逃げ出したようだ。探れば、まだなんらかの情報が掴めるだろう」


 そこには食べ掛けの食器や封を開けたばかりの酒瓶が放置されている。取るものもとりあえずこの隠れ家を後にした様子が、ありありと想像できた。

 不確かな憶測に望みを託し、がらりとパスマは木箱の山を崩す。そうやってこの倉庫を根城にしていた何者かの痕跡を探ろうとしていたのだが、しかしそんな行為を遮るように厳しい声が影を打った。


「もっともその前に、我々は互いの目的と情報の整理をする必要があるのではないか」


 パスマは臆すことなく視線を返す。ゼーヴルムはまっすぐにパスマを見つめていた。

 ゼーヴルムはゆっくりとした足取りで黒衣の影に近付きながら、淡々と言葉を投げてゆく。


「貴殿が『オー・ドー・ビー』の店主に求めた情報は、最近この近辺に潜んでいる密輸組織のことについてだ」


 実のところ、ギュミル諸島において密輸という犯罪はそう珍しいものでは無い。

 ギュミル諸島では長きにわたって島民たちが海運業を生業としてきたという歴史がある。だがここ十数年は、国家の政策としてノート島、ダグ島ともに民間の貿易が禁止されていた。

 すでにその触れが出てから十年以上の歳月が経っているものの、いまだ島民たちからの反発は激しい。新たな生計の手段を得た者も大勢いるが、その反面長年培って来た生業にこだわる者も少なくなかった。

 現在ギュミル諸島海域に出没する海賊も、その半数は武装密輸組織が大本である。



「だが貴殿は、この組織がただの密輸団では無いということを知っていた」


 パスマが店で洩らした『禁制の品』という言葉。

 それはすなわち五大神殿の名において、取引を禁じられたいくつかの品を指す。

 例え貴族であろうと大国の王であろうとこれに例外はなく、その取引が発覚すれば五大神殿から国や大陸も関係なしの大粛清を受ける。

 それゆえ企む者もその行動はより慎重とならざるを得ない。ならばパスマはいったいどこからそんな情報を仕入れてきたのか。


「貴殿はどこまで承知で、そして何が目的なのだ」

「それは貴様が先に答えるという約束ではなかったか」


 さらりと返された言葉に、ゼーヴルムはぐっと息を飲む。刺客の騒ぎでうやむやになったが、確かにそれが彼らの決めた最初の取り決めである。

 しかしパスマはふっと酷薄そうな笑みを唇に乗せ、ゼーヴルムを睥睨した。


「まぁいい。貴様の事情なら何となく予想がつく」

「おかしな早とちりをして後悔しても知らんぞ」


 ゼーヴルムはむっと顔をしかめる。だが影はさらりと言い放った。


「貴様が単独で動いていることは承知している。ならば例え貴様がどんな目論見で動こうが、大したことは起こらん」


 パスマはもはや気がついていた。

 ゼーヴルムがここまで性急に事を進めようとするのは、もちろん標的を取り逃がすまいと言う思いがあったからだ。だがその根源にあるのは、むしろ単独行動ゆえに連携が取れないという欠点を己一人で埋めようという焦り。全てはそれゆえの行動だったのだ。

 自らの与り知らぬ所で暗躍されれば、それは困る。己の思惑と相反する行動を取られる可能性があるからだ。だが単独で動いている限りは、目を離さぬ限りは不意を突かれることも無い。

 ゼーヴルムは自分の行為は毒にも薬にもならないと判断されたことを知って、思わず憮然とした表情を浮かべる。もっともそれはけして事実に異なった推測ではないため、憮然とした面持ちのままでうなずいてみせた。


「その通りだ。たしかに私は独りで動いている。だがそれは――、救援を頼むことが今の段階では不可能だと判断したからだ」

「不可能……」


 その言葉にパスマはふっと視線を上げる。そして一瞬の思案の後、嘲笑にも似た物言いたげな笑みを浮かべた。


「なるほど。貴様はこの事件の裏で糸を引いているのが、何者であるかを知っているのか」

「そこまでは買いかぶりすぎだ」


 ゼーヴルムは首を振る。


「私は単に関わっている者の正体を推測しただけだ」

「それは、貴様の過去の経験による推測」

「……そうだ」


 ゼーヴルムは一瞬言葉を詰まらせた後、苦々しげに肯定した。

 その経験の元となった記憶はけして楽しいものでも、自慢できるものでもない。むしろただただ口惜しく、腹立たしいものだ。その過去を思い返し、ゼーヴルムは歯を食い縛り低く唸る。


 あるいは自分が今ここにいることも、単にその時の意趣返しでしかないのかも知れない。それもある意味事実だろうと、ゼーヴルムは自分の心中を冷静に分析する。


 アウストリ大陸の港町で偶然目にした号外版。

 普通の人間ならば取るに足らないゴシップ記事として読み飛ばすだろうそれは、しかしゼーヴルムにとってはかつて己の未熟さから逃した闇が再び蠢き出したという兆しに相違なかった。

 たぶんダグ島でこれに気付いた人間は他にいない。

 そして自分になら、――今の自分なら止めることができるかもしれない。

 それに気付いた時、もはやいてもたってもいられなくなった。


 己に課せられた巡礼という任務。

 理性的な判断を下すならば、自分はそれを途中で放棄してまでこの件に拘るべきではなかった。


 けれど『義務』と『正義』と『意地』――そのすべてを天秤に掛けた結果、選んだのはこの道だった。


 ならばその責任は取らなければならない。



「それで、充分だ」


 さらりと掛けられた言葉にゼーヴルムはぎょっと顔をあげる。


「――なに?」

「関係者の憶測だけで充分だと言ったんだ」

「ああ、そうか。……そうだな」


 ゼーヴルムは思わず自嘲する。

 一瞬、パスマに己の考えを認められたように聞こえた。たぶんそれは、未だに自分の中にこの件に対する迷いがあるからだ。ゼーヴルムは頭を振って、未練がましい己の考えを一掃する。


「だが、憶測だけで証拠が無い。末端はどうであれ上にいるのは自分に繋がる証拠を残すほど甘い奴らではないはずだ」


 だからこの敵拠点を家捜ししても、確たる証拠は掴めないだろう。ゼーヴルムはそう息を吐くが、パスマは構わぬと言う。


「証拠は必要ない。いざとなればどうにでもなる」


 さらりと不穏なことを言い張るパスマにゼーヴルムは訝しげな視線を送った。

 情報の開示を求める相手に、パスマは小さくうなずいた。


「この密輸に関わる禁制の品は二つ。ひとつは、気付いているだろう。封印石だ」


 ゼーヴルムはうなずいた。それはすでに予想がついている。

 封印石は禁制の品の中で最もそのタブーが破られやすい。特にギュミル諸島は数少ない封印石の産地のひとつでもある。


 だが次に述べられた言葉は、ゼーヴルムの想像をはるかに超えていた。


「そして、もうひとつは“精霊兵器”」

「なにっ!?」


 ゼーヴルムは大きく目を見開いた。

 一瞬己の耳がおかしくなったのかと思った。それほどまでに、信じがたい言葉だった。


 

 “精霊兵器”――それはすでに噂という形を取って各地に伝えられている。

 だが噂は広がれど、この精霊兵器の実情を知るものはほとんどいない。ゼーヴルムですら仕事柄、そしてそれ以上にある種の偶然によってその片鱗を掠める事ができたに過ぎない。

 それなのに、実際にその禁忌の品を存在させ、持ち出せるものがあらわれようとは。



「いったい何者が“精霊兵器”などを持ち出したのだっ!」

「それが分かっていれば貴様などと協力する必要は無い」


 泡を食って詰め寄るゼーヴルムを、パスマは鬱陶しげに振り払う。


「自分の目的は、この禁忌の品を取り扱おうとする下手人の正体を突きとめること。そしてこの品に関わる取引をいかなる方法を用いてでも妨害することだ」


「――貴殿はいったい、何故にこの件に関わっているのだ」


 ゼーヴルムは改めてパスマに不審の眼差しを向けた。


 本来ならば、この南海の諸島とは縁もゆかりもないはずである北方の人間。

 それがいったいどういう理由でこの禁制の品の密輸を知り、それを妨害せんと暗躍しているのか。もし関わりがあるとするならば、その糸はいったいどこに繋がっているのか。

 油断のない視線を向けるゼーヴルムを睨み返し、パスマはしかしふっと短く息をついた。それは鼻を鳴らしたようでも、ため息をついたようにも見える。


「貴様が心配するようなことは無いから安心しろ。自分は人に頼まれて、この件に関わっている」


 そうしてパスマはあっさりと、このギュミル諸島に生きるものなら誰でも知っている名前をあげた。

 ゼーヴルムは思わず息を飲む。

 それはギュミル諸島主国のひとつノート島の統治者にして、海大神殿の最高権力者の名に他ならなかった。


「その相手とは、エカイユ・シアーズ・マーガリタ大神官。――もっとも自分は、こんなこと好きこのんで関わりたいと思ったことは一度もないのだがなっ」


 パスマはあからさまに苦々しげな表情を浮かべて吐き捨てる。

 自分は騙されたのだ。と名も無き影は誰にともなく恨みがましい唸り声をたてた。



 


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