モフってないで仕事して!
人間、あまりにも分不相応な贅沢を前にすると、逆に冷静になるらしい。
「……にゃふぅ」
私が目を覚ましたのは、雲の上のような寝心地のベッドだった。
いや、ベッドというよりは、もはや「絹の海」だ。最高級のシルクが何重にも重ねられ、私の小さな体が沈み込むほどに柔らかい。天井を見上げれば、そこにはシャンデリアが輝き、壁にはルネサンス調の絵画が飾られている。
(……待って。ここ、どこ? 私、昨日まで会社でエナジードリンクの空き缶に囲まれてたはずだよね?)
混乱する頭で、昨日の記憶を手繰り寄せる。
そうだ、死んだんだった。過労で……たぶん。
それで、白い子猫……じゃなくて、伝説の魔獣「ステラ・キャット?」に転生して、変な場所で倒れていたところを、顔面国宝級のイケメン騎士に拾われたのだ。
私はおそるおそる、自分の首元に触れてみた。
そこには、前世の私の年収を軽く超えていそうな、大粒の魔石が埋め込まれたチョーカーが巻かれていた。
(重っ……物理的にも、金銭的にも重いわ、この首輪!)
「……おや、起きたのかい? 私の小さな天使」
部屋の重厚な扉が開き、朝の光を背負って一人の男が現れた。
昨日私を拾った男、レオヴィル公爵だ。
驚いたことに、彼はまだパジャマ姿だった。しかも、その胸元はだらしなくはだけており、彫刻のような腹筋がチラリと見えている。
(朝からサービスショットが過ぎるでしょ! 嬉しいけど、なんてデリカシーがな……私いま猫だったんだわ……)
「おはよう。昨夜はよく眠れたかな? 君があまりに愛らしく寝息を立てるものだから、私は一睡もできなかったよ。……ずっと、君の寝顔を眺めていたからね」
(怖い! 爽やかな顔して言ってるけど、それただのストーカーだからね!?)
レオヴィルはベッドに腰を下ろすと、私をひょいと抱き上げた。
そして、当然のような顔をして、私の後頭部に顔を埋める。
「スゥー……はぁ……。ああ、極上の香りだ。天国はここにあったのか」
(また嗅いでる! このイケメン、朝イチで猫をキメてやがるわ……! まあ、猫のふわふわなお腹に顔を埋めたくなる気持ちは、分からなくもないけど)
私が全力で前足を突っ張って彼の顔を押し返していると、控えめなノックの音が響いた。
「失礼いたします、閣下。……あの、そろそろ登城の時間なのですが。本日は国王陛下との軍事会議が予定されております」
扉の向こうから聞こえてきたのは、困り果てたような若い男の声だった。おそらくレオヴィルの側近だろう。
レオヴィルの動きが止まった。
彼は私を抱いたまま、氷のように冷たい声で告げる。
「セドリック、伝えておけ。『我が家の至宝が目を覚ましたばかりで、一刻も目が離せない。国難よりも重大な事態につき、本日は欠勤する』とな」
(この人、なに言ってるの?)
「……はい?」
(いや、「はい?」じゃないわよセドリックさん! もっと強く言って! 止めて!)
「閣下、正気ですか!? 『至宝』って、昨日拾われたその子猫のことですよね? 陛下にそんな理由で欠勤届を出したら……」
(そうそう、まともな人がいて安心だわ)
「安心しろ。この子はステラ・キャットだ。国益となる。それに今日はこの子が喜ぶような極上のキャットタワーを職人に発注しているんだ。それを一番にあげなくては」
「会議は、キャットタワー以下なんですか!?」
扉の向こうで心なしかセドリックが泣いている気がする。
私も心の中で泣いた。この飼い主、顔はいいのに中身が詰んでる。
しかも、私は死んで、生き返ったショックと、猫という現実と共に酷い罪悪感を背負わされた。
(仕事しろ、レオヴィル! 一応騎士団長なんでしょ!? あんたがクビになったら、私のこのシルクの海と銀鱈のパテはどうなるのよ!)
私は彼の腕の中で「にゃーん!(行け!)」と一喝した。
だが、レオヴィルには別の意味で伝わったらしい。
「ああ……今、君は私を行かせたくないと鳴いたのかい? なんて健気なんだ。わかった、軍議どころか、引退届を書いてこよう」
(逆効果……言葉が通じないって不便)
結局、セドリックが半泣きで「せめて着替えだけでも!」と部屋に押し入り、レオヴィルは無理やり騎士服に着替えさせられた。
しかし、彼は着替え終わった後も、私を離そうとしない。
「……どうしても行くというなら、この子を連れて行く。私の胸ポケットに入れておけば、会議中も指先でモフれるはずだ」
「閣下、軍議ですよ? 厳粛な場ですよ? いい加減目を覚まして下さい。魔法兵団の団長が、猫の鳴き声を聞いたら腰を抜かしますよ!」
「ふん。ステラ・キャットの鳴き声は魔力を安定させる効果があると言われている。むしろ魔獣嫌いな、奴らの老い先短い寿命を延ばしてやる恩寵だと思えばいい」
(恩寵って何!? よからぬ魔法がこの私の体を蝕んでいるの!?)
揉めに揉めた末、レオヴィルは「昼休みには必ず戻る。それまでに君の好物を十種類用意させておくからね」と私のおでこに深々とキスを落とし、ようやく出勤していった。
静かになった豪華な私室。
私は大きなため息をつき(猫にため息がつけるかは謎だが)、ふかふかの絨毯の上に寝転んだ。
(……はぁ。スローライフの第一歩としては上出来だけど、これ、別の意味で命の危険を感じるわね。私までセドリックみたく神経がすり減りそう)
とりあえず、レオヴィルが帰ってくるまでに、この屋敷の構造を把握しておこうかしら。
私は勝手に立つしっぽをピンと立てて、冒険(お散歩)に出かけることにした。




