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『好き』と言えない聖女が王太子に告るため、神託を捏造し『バレンタイン』を制定したら、王太子フィーバーが発生。〜責任を感じて逃亡したら、全てお見通しの王太子に溺愛捕獲され壁ドン顎クイ後、妻になりました〜

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/02/14

 

「愛の女神様が、夢枕に立たれました!」


 王都の中央広場に面した、大神殿のバルコニー。


 そこに設置された拡声の魔道具に向かって、私は高らかに宣言した。


 眼下に広がるのは、何事かと集まってきた数千の群衆だ。


 彼らは固唾を飲んで、私――この国の聖女であるラナフィーナを見上げている。


 冬の冷たい風が、私の金色の髪と、聖女の純白のローブをなびかせた。


 きっと今の私は、誰がどう見ても「神々しい聖女様」に見えていることだろう。


 けれど。


 その内面では、私は滝のような冷や汗を流していた。


(言った……! 言ってしまったぁぁぁぁぁっ!!)


 心臓が早鐘を打っている。


 膝がガクガクと震えそうになるのを、気合で抑え込む。


 もう後戻りはできない。


 すべては、あの鈍感な幼馴染に、たった一言「好き」と伝えるために。


 私は深呼吸を一つすると、再び魔道具に向かって叫んだ。


「女神様は、こう仰いました! 『人の子よ、愛を恐れるなかれ』と!」


 広場がどよめく。


 私は構わずに続ける。


「来る2月14日。この日を、女神様は『愛の告白の日』と定められました!」


 さらにどよめきが大きくなる。


 私はここぞとばかりに、前世の記憶にある「あのイベント」のルールを、さも神託であるかのように語り始めた。


「この日、愛する者に想いを込めた『カカオ菓子』を捧げ、愛の言葉を告げなさい。それは女神様への供物と同じ意味を持ちます!」


 カカオ菓子。


 そう、チョコレートだ。


 幸いこの世界にもカカオはあるし、砂糖もある。


 ただ、それを混ぜて固めて愛の告白に使うという文化がないだけだ。


「そして! ここが最も重要です!」


 私は声を張り上げた。


「この日に愛を告げられた相手は、その場で答えを出さねばなりません!」


 群衆が「おお……」と唸る。


「有耶無耶にしたり、答えを出さず逃げたりした者は……女神様の逆鱗に触れ、恐ろしい天罰が下るでしょう!」


 嘘である。


 真っ赤な嘘だ。


 女神様なんて夢に出てきていない。


 けれど、こうでも言わなければ、あの男は――この国の王太子、ロートベルグは、真面目に向き合ってくれない気がしたのだ。


 いや、向き合ってはくれるかもしれない。


 彼は誠実だ。


 けれど、私たちの関係はあまりにも「幼馴染」として完成されすぎている。


 聖女と王太子。


 幼い頃から共に育ち、互いの立場を理解しすぎているがゆえに、一歩が踏み出せない。


 だから、外堀を埋めることにした。


 国全体を巻き込んだ、壮大な外堀埋め作業だ。


「この日を、『バレンタインデー』と名付けます! さあ! 皆様! 世界中で愛を叫ぶのです!」


 わぁぁぁぁぁぁっ!!


 広場から、割れんばかりの歓声が上がった。


 特に、年頃の娘たちの熱気がすごい。


 皆、待っていたのだ。


 身分や体裁を気にせず、堂々と意中の相手に想いを告げられる「きっかけ」を。


 これは町娘たちや身分の低い者にとっての最大のチャンス。言わば、恋の下剋上。


 その熱狂を見下ろしながら、私は心の中でガッツポーズをした。


(勝った……! これで、告白する口実はできた!)


 待っていなさい、ロートベルグ。


 今年の2月14日こそ、あなたに引導を渡してあげるわ!




 ◇◆◇




 私がこの世界に生まれ落ちた時、前世の記憶があった。


 前世の私は、事務職をしていた、ごく普通の会社員だ。


 恋愛経験は人並み。


 結婚願望もあったけれど、仕事に追われているうちに気付いたら死んでいた。


 そして気がつけば、このファンタジー世界に転生していたのだ。


 しかも、ただの転生ではない。


 生まれつき強大な「聖なる魔力」を宿した、稀代の聖女として。


 平民の生まれではあったが、その特異な力ゆえに、私は物心ついた頃から王城に出入りすることを許された。


 そこで出会ったのが、第一王子のロートベルグだ。


『お前が新しい聖女か? なんだ、随分と小さいな』


『むっ。あなたこそ、偉そうですね』


 それが最初の会話だったと思う。


 彼は私より2つ年上で、美しく、賢く、そして少しだけ不器用だった。


 王城という閉ざされた世界で、私たちは兄妹のように、友人のように、共に過ごした。


 私が祈りの儀式で失敗して落ち込んでいる時は、彼がこっそりと厨房からお菓子を盗んできてくれた。


 彼が剣の稽古で怪我をした時は、私が覚えたての治癒魔法で治した。


 そうやって過ごすうちに、私が彼に惹かれていくのは、あまりにも自然なことだった。


 けれど。


 成長するにつれ、私たちの間には「身分」という見えない壁が立ちはだかった。


 彼は次期国王。


 私は国の象徴である聖女。


 周囲は私たちを「理想的な主従」として称えた。


 あくまで、主従なのだ。


 聖女はすべての民に平等でなければならない。


 特定の誰か、ましてや王族と個人的な恋仲になるなんて、許される雰囲気ではなかった。


(……なんて、諦めてたまるもんですか!)


 前世の私は、恋愛リアリティショーを見て涙するような、普通の乙女だったのだ。


 転生したからといって、聖女らしく清廉潔白に一生を終えるつもりはない。


 好きな人は好きだ。


 欲しいものは欲しい。


 それが私の、ラナフィーナの生き様だ。


 だから私は、神託を捏造した。


 不敬罪で処刑されても文句は言えない大嘘だが、愛の女神様だって、恋する乙女の嘘くらい笑って許してくれるはずだ。




 ◇◆◇




 そして、決戦の日。


 2月14日の朝がやってきた。


 私は早朝から厨房に立ち、完璧なチョコレートを作り上げた。


 砂糖とミルクを絶妙な配分で混ぜ合わせ、湯煎とテンパリングを繰り返し、滑らかな口溶けを実現した。


 形はシンプルなハート型。


 それを、金色のリボンをかけた真っ赤な小箱に詰める。


「……完璧ね」


 私は小箱を胸に抱きしめ、鏡の前で自分の姿を確認した。


 いつも通りの聖女のローブだが、今日は少しだけ気合を入れて、唇にリップを引いてある。


「よし、行こう!」


 私は意気揚々と王城へと向かった。


 ロートベルグは今頃、執務室で書類仕事をしているはずだ。


 そこに「神託の報告」という名目で乗り込み、二人きりになったところでチョコを渡す。


 そして、「女神様の命令ですから、今すぐ返事をください」と迫るのだ。


 我ながら完璧な作戦である。


 あの堅物のロートベルグも、神託と言われれば無下にはできないはずだ。


 スキップしながら、王城の正門が見える中庭に差し掛かったその時だった。


「…………は?」


 私の足が止まった。


 目の前の光景が、理解できなかったからだ。


 王城の正門前に、見たこともないような長蛇の列ができていた。


 色とりどりのドレスを纏った令嬢たちや精一杯のオシャレをした町娘たちが、可愛らしい包みを持って、整列している。


 その列は正門から続き、城壁の外まで伸びているようだった。


「な、何これ……?」


 私は近くにいた衛兵を捕まえて尋ねた。


「これは何の騒ぎですか?」


「あ、聖女様! おはようございます!」


 衛兵は敬礼をしてから、困ったように笑った。


「いやぁ、それが……例の『バレンタイン』ですよ。王太子殿下にチョコを渡したいというご令嬢方が、朝から殺到しておりまして」


「……は?」


「宰相閣下が急遽、整理券を配布して対応に当たっているのですが、この通りでして」


 衛兵が指差した先には、最後尾を示すプラカードを持った騎士の姿があった。


 そこには『ただいま3時間待ち』と書かれている。


「さ、3時間……?」


 私は呆然とした。


 嘘でしょう?


 ロートベルグって、そんなに人気があったの?


 いや、確かに彼は顔が良い。


 銀髪碧眼のそれはそれは美しい王子様だ。


 剣の腕も立つし、頭も良い。


 でも、普段は仏頂面だし、色恋沙汰には興味がない堅物だと思っていたのに。


「きゃあ! 見て、聖女様よ!」


「本当だわ! 聖女様!」


 並んでいた娘たちが、私に気づいてざわめき始めた。


「聖女様も、もしかして……王太子殿下に?」


「手に持っているその箱……まさか、チョコですか!?」


「えっ、聖女様も参戦なさるの!?」


 好奇と、そして明らかな「ライバル視」を含んだ視線が、一斉に私に突き刺さる。


「負けませんわよ、聖女様!」


「身分は聖女様が上でも、愛の戦いは平等ですわ!」


「わたくしの愛の方が重いですもの!」


 彼女たちの熱気がすごい。


 私はその気迫に押され、思わず後ずさりした。


「い、いや、私は……」


 違う、と言おうとした。


 これは仕事の一環だとか、義理だとか、適当な言い訳をして、裏口から入ることもできたはずだ。


 私は聖女なのだから。


 けれど。


(……だめだ)


 ここで特権を使って裏から入れば、私は「ズルをした女」になる。


 何より、この『バレンタインデー』を提唱したのは私自身だ。


 皆、私の言葉を信じて、勇気を出してここに来ているのだ。


 それなのに、言い出しっぺの私がルールを破って抜け駆けをするなんて、そんなこと……できるわけがない。


(私がこんな日を作らなかったら、皆がこんなに寒い中、並ぶこともなかったんだもの……)


 罪悪感が、ズシリと胸にのしかかる。


 私利私欲のせいで、こんなにも多くの女性を巻き込んでしまった。


 しかも、その相手は全員、私が好きな人なのだ。


「……と、とりあえず並びます。整理券、ください……」


 私は消え入りそうな声でそう言うと、ふらふらと列の最後尾に向かった。


「えっ、聖女様、並ばれるのですか?」


「聖女様……なんて公平な方なの……」


「やはり聖女様は心の清らかなお方だわ……」


 周囲から感嘆の声が上がるが、私の耳には届かなかった。


 ただただ、胃が痛い。




 ◇◆◇




 列は遅々として進まなかった。


 一人ずつ王太子の前に行き、チョコを渡し、愛を告白し、その場で返事をもらっているから。


『答えを出さず逃げた者は天罰が下る』


 私が作ったそのルールのせいで、ロートベルグは一人一人に対して、その場でイエスかノーかを答えなければならないのだ。


(ごめん……ごめんね……)


 私は心の中で土下座した。


 執務で忙しい彼に、こんな苦行を強いることになるとは。


 列が進むにつれて、謁見の場の様子が見えてきた。


 そこには、疲労困憊した様子の宰相と、無表情で玉座に座るロートベルグの姿があった。


「王太子殿下! お慕いしております!」


 一人の可愛らしい令嬢が、チョコを差し出す。


「気持ちは受け取る。だが、私には心に決めた相手がいる。すまない」


「そ、そんな……」


 令嬢が泣き崩れる。


「次の方どうぞー」


 宰相が事務的に告げる。


「殿下! 私の愛を受け取ってください!」


「すまない。私には決めた相手がいる」


「殿下ぁぁぁ!」


「次の方ー」


 ……地獄絵図だった。


 長文の愛を伝える娘たちに、ロートベルグは機械のように短文で断り続けている。


 その横顔は、私が今まで見たことがないほど冷ややかで、そしてどこか苛立っているように見えた。


 断られた令嬢たちが、目を真っ赤にして帰っていく。


 すれ違う彼女たちの悲痛な表情を見るたびに、私の心は削られていった。


(私が……私が彼女たちを傷つけたんだ)


 憧れは憧れのままで終わらせておけばよかったのかもしれない。


 なのに、私が「告白の日」なんてものを作って焚き付けたせいで、彼女たちは玉砕し、傷つくことになった。


(それに……)


 あんなにきっぱりと「決めた相手がいる」と言い切るロートベルグを見て、私は怖くなった。


 彼の言う「決めた相手」とは、誰のことだろう。


 私ではないことは確かだ。


 だって、私たちはただの幼馴染で、今までそんな素振りを見せたことなんて一度もないのだから。


 もし、私がこのまま彼の前に出て、チョコを渡して。


 彼に「すまない、ラナフィーナ。お前は妹のようにしか思えない」と言われてしまったら?


 あるいは、「聖女であるお前まで、こんな馬鹿げた祭りに参加するのか」と軽蔑されてしまったら?


(……怖い)


 足がすくむ。


 次々に断られる彼女達の姿を見て、完全に心が折れた。


 さっきまでの自信はどこへやら、今の私はただの臆病者だった。


「次の方ー」


 列が進む。


 私の番まで、あと五人。


 その時、ふとロートベルグが顔を上げた。


 彼の視線が、真っ直ぐに私を捉えた。


 碧の瞳が、驚きに見開かれる。


「……ッ!」


 彼は玉座から腰を浮かせ、何かを叫ぼうとしたように見えた。


 その瞬間、私は踵を返していた。


「えっ? 聖女様? どこに? もうすぐですよ?」


 後ろに並んでいた令嬢が不思議そうな声を上げる。


「ごめんなさい……私、やっぱり……!」


 私はチョコの箱を胸に抱きしめ、脱兎のごとく走り出した。


「おい! 待て!」


 背後から、ロートベルグの怒鳴り声が聞こえた気がした。


 けれど、私は振り返らなかった。


 振り返れば、自分の惨めさと、罪悪感に押しつぶされてしまいそうだったから。


 私は王城の庭園を抜け、人気のない裏手へと走った。


 目指すのは、子供の頃に二人でよく遊んだ、古びた祈りの祭壇だ。


 あそこなら、誰も来ない。


 今の情けない私を隠すには、あそこしかない。




 ◇◆◇




 一方その頃。


 王城のテラス前には、微妙な空気が流れていた。


 王太子ロートベルグが、突然席を立って走り去ってしまったからだ。


「で、殿下!? お待ちください! まだこんなに列が!」


 宰相の悲鳴のような静止の声も無視して、彼は純白のローブを翻して消えていった聖女を追いかけていった。


 残されたのは、数百人の告白待ちの娘たちと、頭を抱える宰相のみ。


「ど、どうしましょうかね……みなさん……」


 宰相が引きつった笑顔で令嬢たちに向き直る。


 令嬢たちの目は据わっていた。


「殿下は……逃げたの?」


「私たちの愛を置いて?」


 不穏な空気が広がる。


 このままでは暴動が起きかねない。


 宰相が「私の胃に穴が開くのが先か、国が滅ぶのが先か……終わったわこれ」と遠い目をしかけた、その時だった。


「おや? これはこれは、すごい盛り上がりですね」


 不意に、明るく澄んだ声が響いた。


 場にそぐわないその声に、全員の視線が集まる。


 そこには、一人の美青年が立っていた。


 太陽の光を浴びて輝く、蜂蜜色の髪。


 キラキラと輝く、紫色の瞳。


 そして、見る者すべてを魅了するような、甘〜いマスク。


 ロートベルグが「氷の美貌」を持つとするなら、この青年は「春の日差しのような美貌」を持っていた。


 ロートベルグに劣らないとてつもないイケメンである。


「宰相。こちらにいらしたのですね。それにしても、この行列はすごいですね」


 青年が優雅な仕草で首を傾げる。


 その動作一つ一つから、キラキラとしたエフェクトが出ているようだ。


 宰相が、信じられないものを見る目で目を見開いた。


「えっ!? ス、スミス殿下!? 留学中では!?」


「あれ? ()()()()()()をいただいたので、急いで帰ってきたのですが、こちらも帰国の旨の手紙を出しましたが、読まれていないのですか?」


 スミス。


 この国の第二王子であり、ロートベルグの弟である。


 幼少期から隣国の王家へ留学に出されていたため、国内にはほとんどその姿を知られていない、「幻の王子」だ。


「て、手紙……?」


 宰相の顔色が青くなる。


 そういえば少し前、隣国からの外交便が届いていた。


 しかし、聖女ラナフィーナが発布した「バレンタイン神託」の対応、カカオ豆の流通確保、当日の警備計画、広報活動に忙殺され、机の上の書類の山に埋もれたままになっていたのだ。


「あ……」


「迎えがないので、おかしいなぁ? とは思っていましたが、その様子を見るに、相当お忙しかったようですね?」


 スミスはクスクスと楽しそうに笑うと、並んでいる令嬢たちを見渡した。


 そして、天然タラシ特有の、甘く溶けるような微笑みを浮かべた。


「それで、こちらの麗しい女性たちは?」


 その瞬間。


 女性たちから、「ふぁぁぁぁ」という甘い吐息と共に、ピンク色のオーラが立ち上った。


 彼女たちの瞳に映っていた「ロートベルグ王太子」という文字が、高速で上書き保存されていく。


 目の前には、冷たくあしらう王太子ではなく、自分たちに優しく微笑みかけてくれる、見たこともない極上の王子様がいるのだ。


「……あの、スミス様……とおっしゃるのですか?」


 一人の令嬢が、おずおずと尋ねる。


 スミスは彼女の手を取り、甲に口づけを落とした。


「ええ。初めまして、美しいお嬢さん。……その手に持っているのは、なんですか? 綺麗に装飾されて、可愛い箱だ」


「ちょ、チョコですぅ……♡」


「おや、どうりで、貴女からは優しくて甘い香りがすると思いました」


 スミスが破壊力抜群の笑顔で令嬢に微笑む。


「はふぅん……♡」


「もしよければ、僕がもらってもいいかな? ちょうど旅路で疲れていて、甘いものが欲しかったんです」


「はい♡スミス様のために作ってきたんですぅ♡」


 ドクン。


 その場にいた全員の心臓が跳ねる音が重なった。


「チョコを受け取ってくださぁ〜い! スミス様ァ〜!!」


「わたくしのも! わたくしのもらってくださいませ!」


「いえ、わたくしのが先ですわ!」


「キャーー!!!!」


 地鳴りのような歓声と共に、令嬢たちがスミスへと殺到する。


 王太子の列は、一瞬にして消滅し、新たに「スミス王子を囲む会」が結成された。


「な……なんとたくましい女性たちだ……」


 宰相が呆然と呟く。


「ははは。みなさん、落ち着いてください。僕は逃げませんから。一人ずつ、ちゃんと受け取りますよ〜」


 スミスのその言葉に、さらに黄色い悲鳴が上がる。


 こうして、王城前の危機は、予期せぬイケメンの登場によって回避されたのである。


 この頃にはもう、「返事を貰わねば女神の逆鱗に触れる」という神託の事など、誰も覚えてはいなかった。




 ◇◆◇




 ここは、祈りの祭壇。

 

 王城の敷地内でありながら、訪れる者のほとんどいない忘れられた場所だ。


 幼い頃、私とロートベルグはよくここで隠れんぼをした。


 公務や勉強から逃げ出した彼と、聖女としての修練に疲れた私が、唯一「子供」に戻れる場所だった。


 私は祭壇の陰に座り込み、膝を抱えて小さくなっていた。


 自分の愚かさに、涙が出そうだった。


(……馬鹿だ、私)


 好きだと伝えたいだけだった。


 それなのに、大勢の人を巻き込んで、傷つけて、挙句の果てに自分だけ逃げ出して。


 これじゃ、ただの卑怯者だ。


「……はぁ、はぁ……やっと見つけた」


 不意に、荒い呼吸音が響いた。


 ビクリと肩を震わせて顔を上げると、そこには息を切らせたロートベルグが立っていた。


 いつも冷静沈着な彼らしくもなく、額には汗が滲み、整った髪も少し乱れている。


「……昔から、隠れるときは決まってここだな」


 彼は苦笑混じりにそう言うと、私の隣にどさりと腰を下ろした。


「……ロートベルグ、様」


 私は震える声でその名を呼んだ。


 すると、彼は不機嫌そうに眉を寄せた。


「様はやめろ。2人きりの時は『ロート』と呼んでくれと、子供の頃から言っているだろう」


 その懐かしい響きに、胸が締め付けられる。


 ロート。


 私が彼をそう呼んでいたのは、まだ私たちが「聖女」と「王太子」という役割を背負う前のことだ。


「……ごめんなさい、ロート」


 私は俯いたまま、懺悔を始めた。


「私、嘘をつきました。女神様の神託なんて嘘です。全部、私が勝手に捏造したんです」


「ああ、知っている」


「えっ?」


 あまりにもあっさりとした肯定に、私は顔を上げた。


 彼は祭壇の天井を見上げたまま、何でもないことのように言った。


「お前が本物の神託を受ける時は、この祭壇や神殿が光り輝くだろう? 今回はそれがなかった。それに、お前が嘘をつく時の癖も、私が知らないとでも?」


「……え」


「左手の親指を、ぎゅっと握り込むだろう。昔、花瓶を割ったのを隠そうとした時と同じだ」


 指摘されて自分の左手を見ると、確かに親指を握りしめていた。


「全部……バレてた……」


 顔から火が出そうだった。


 私は、世界を欺いた稀代の詐欺師のつもりでいたのに、一番騙したかった相手は最初から全てお見通しだったなんて。


「だが、お前がそこまでして『何か』をしようとしているなら、乗ってやろうと思ったんだ」


 彼は視線を天井から私へと移した。


 その碧の瞳は、どこまでも優しく、そして少しだけ熱を帯びていた。


「……まさか、それが『愛の告白』の舞台作りだとは予想外だったがな」


「うっ……」


「で? その神託とやらは、私にも有効なのか? 答えを出さず逃げた者は……どうなるんだっけ?」


 彼は楽しそうに、意地悪く聞いてくる。


 私は小さくなりながら答えた。


「……女神様の逆鱗に触れ、恐ろしいことになる……って言いました」


「そうだな。なら、逃げ出したお前にも適用されるんじゃないか?」


「そ、それは……まだ渡してないから、セーフというか……そもそも……嘘だから何も起きないというか……」


 苦しい言い訳だとは自分でも分かっている。


 彼はため息をつくと、私の手をそっと握った。


「……普通に言ってくれれば、すぐにOKしたのに」


「……へっ?」


 耳を疑った。


「そんな回りくどいことをしなくても、私は昔から……お前しか見ていない」


 その言葉は、真っ直ぐに私の心臓を貫いた。


「……え?」


「気づいていなかったのか? 私が今まで、一度でも他の令嬢に色目を使ったことがあったか? いつだって私の隣には、お前がいただろう」


「だ、だって、それは……私が聖女だから……」


「聖女だからじゃない。お前がフィーナだからだ」


 フィーナ。


 それは、私が彼をロートと呼ぶように、2人きりの時だけの、秘密の呼び名。


「……くれ! 私に! お前のそのチョコを!」


 彼は子供のように手を差し出した。


「ロート……」


「私に愛を、告げてくれ。神託通りに」


 彼の瞳は真剣そのものだった。


 私はためらいがちに口を開いた。


「……よいのですか。私は今でこそ聖女ですが、元は平民なんです。中身は、ただの一般市民です」


 そう、私は高貴な魂なんて持っていない。


 ただの、恋に臆病なだけの女だ。


 けれど、彼は笑い飛ばした。


「何を今更。元々告白しようとしていたのだろう?」


「そ、それはそうですけど……」


「心が折れたのか? お前の私に対する愛は、その程度だったのか?」


 挑発的な言葉。だけど、見抜かれてる。


 心が折れたのは本当だから。


 けれど、その奥に「俺を信じろ」というメッセージが隠されているのが分かった。


 私の愛が、その程度……。


 そんなわけがない。


 私は、この世界に来てからずっと、彼だけを見てきたのだから。


 そうだ。


 ここまでやっといて、今更引いてどうする。


 玉砕した彼女たちの分まで背負って私が想いを伝えなくてどうする!


「そんなこと、ありません」


 私は勢いよく立ち上がった。


「なら、教えてくれ。お前の気持ちを。お前の口から直接聞きたいんだ」


 手の中の小箱を彼に突きつける。


 私は深呼吸をして、叫んだ。


「……ずっと前から好きでした! 好きで好きで、たまりませんでした!! 大好きです! お付き合いしてください!」


 私の声が、祭壇の石壁に反響する。


 言った。


 言ってやった。


 心臓が破裂しそうなくらい、うるさく鳴っている。


 ――すると。


 ロートが、ゆっくりと私の方へ近付いてきた。


「やっと聞けた。お前の、愛を。これでやっと……お前は、俺だけのものだ」


 その迫力に、私は思わず後ろへ下がる。


「へっ!? へっ!?」


 背中が冷たい石壁に当たった。


 もう逃げ場はない。


 ドン!


 重い音がして、私の顔の横に彼の手が叩きつけられた。


 いわゆる、壁ドンだ。


 至近距離にある彼の顔が、信じられないほど綺麗で、そして男の顔をしていた。


「……ロ、ロート……?」


 彼のもう片方の手には、私が差し出したチョコの箱がいつの間にか握られている。


 受け取ってくれた。


 安堵したのも束の間、彼は私の顎をくいっと持ち上げた。


「女神の神託に則り、答えを出そう。……これがその答えだ」


 彼が顔を寄せ、唇が重なった。


「んっ……!?」


 甘くて、熱い。


 私のファーストキスは、想像していたよりもずっと甘かった。


 チョコレートなんかよりもずっと甘くて、濃厚な、彼自身の熱の味がするものだった。



 ◇◆◇



 ちゅぴっ。と、音が響き、長い長い口づけの後、ようやく唇が離れる。


 私たちは互いのおでこをくっつけて、荒くなった息を整えた。


「……はぁ、はぁ……」


 顔が熱い。


 直視できない。


 けれど、彼は逃してくれなかった。


 耳元で、彼が低く囁く。


「……この時をずっと待っていたんだ。お前を私だけのものにする日を」


「ちょ……ロート……?」


 彼の唇が私の首筋を這う。


 その濡れた感触にゾクゾクして足や指先が震える。


「め……女神様が見ている前でこんなこと……」


「知るか。女神も気絶するくらい、お前を愛するところを見せてやってもいいんだ」


 ロートの指先が私の耳に触れ、思わず腰を反らせてしまう。


「ん……」


「……却下だな」


「却下……? な、なにが……?」


「恋人からなんて、生ぬるい」


「えっ……?」


「私の妻になってくれ。フィーナ」


 思考が停止した。


 つま?


 妻?


 つまり、結婚?


「つ……妻っ!? い、いきなりそれは……!」


 お付き合いをすっ飛ばして求婚!?


 彼がポケットから何かを取り出し、パニックになる私の手に握らせた。


 見ると、それは小さな包みだった。


「こ、これは?」


「私の手作りチョコだ。お前は受け取った。私は愛を告白した。さて、神託に則り、答えを聞かせてもらおうか」


「て、手作り!?」


 い……いつの間に!?


「で、でもバレンタインは女性が男性に……」


 私は必死に抗弁した。


「おや? おかしいな。そんなことは一言も言っていなかったが? 『愛する者に』と言ったはずだ。男からだって、愛を伝えたい時なんかいくらでもある」


 彼は再び、私の顎を持ち上げる。


 その瞳の引力に吸い込まれそうになる。


「はぐらかしたな。このままでは女神の逆鱗に触れるぞ? さあ、答えてくれ。私の妻になるか、女神の逆鱗に触れるか」


「な、ななななななっ……」


『答えを出さず逃げた者は、恐ろしい天罰が下る』


 それは、嘘のルールだって分かってるのに……!


 なのにこの人は……!!


「さあ」


 彼の顔が近づく。


 キスをする直前の距離で、彼は楽しそうに笑っている。


 断るなんて選択肢、最初から用意されていない。


 私は真っ赤になりながら、ありったけの声で叫んだ。


「……〜〜〜〜〜ッ!!」


「なりますぅぅぅぅぅぅ!!!」


 私の絶叫が、王城の裏手に響き渡った。


 彼は満足そうに目を細めると、再び私の唇を塞いだ。


 今度は、先ほどよりもずっと甘く、深い口づけだった。




 ◇◆◇




 その後。


 私たちが息を切らせ、顔を真っ赤にして祭壇から出てくると、遠くから何やら黄色い歓声が聞こえてきた。


「キャーー!!!!」


「スミス様ーー!!」


「こっち向いてーー!!」


 地響きのような大歓声。


「……なんか……あっち、随分盛り上がってる……?」


 私が首を傾げると、ロートはどこか呆れたように、けれど安堵したように息を吐いた。


「……()()が効いたな。スミスが帰ってきた。あっちのことはあいつに全部押し付ければいい」


「スミス様って……弟君の? 手紙って……」


「ふっ。大した手紙じゃない。ただ、あいつが帰ってくれば、どんな令嬢もあいつの虜になる。そう思っただけだ」


「……?」


「だが、お前はあいつの虜にはならない」


「どうして、言い切れるんですか?」


 ロートは私の肩を抱き寄せ、耳元で囁いた。


「お前はもう俺の虜だからだ」


「〜〜〜〜!!!」


「さあ、戻ろうか。私の妻として、皆に紹介しなければならないしな」


「ええっ!? い、今からですか!?」


「当然だ。神託は絶対なのだろう?」


 彼は悪戯っぽく笑うと、私の手作りチョコを大事そうにポケットにしまった。


 こうして。


 私の私利私欲から始まった「異世界バレンタイン騒動」は、幕を閉じた。




 ◇◆◇




 後に、この日はこの国最大の「愛の祭典」として定着することになる。


 聖女ラナフィーナは、王太子ロートベルグと結ばれ、やがて国母となって多くの国民から愛された。


 彼女が制定した「バレンタインデー」は、男女問わず愛を告げる日として、そして何より「スミス王子を愛でる日」として、末長く語り継がれることになるのだが――。


 それはまた、別のお話。






ハッピーバレンタイン。

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