遠すぎる島
アメリカでは使えなくなったハワイの代わりを探し、ギルバート諸島に目を付ける。開戦後、日本軍に占領されてしまったが兵力は少なく奪還は容易だと考えられた。
ナグモタスクフォースさえいなければ。
この頃、アメリカ側は通信解析で日本の空母がいきなり増えたのでパニックになっている。確かにハワイ空襲でも機数が多すぎるのだ。搭載機数の少ない日本正規空母なら十隻以上が参加したと推定されている。しかし、確認が取れているのは、赤城・加賀の大型空母二隻と飛龍・蒼龍の中型空母二隻。それに新造の翔鶴・瑞鶴の大型空母二隻であった。六隻でしかない。どうやってもあの機数は無理だ。
呉と長崎で大型艦が建造されているのは掴んでいた。ただ建造開始時期から見て就役に間に合いそうにない。ドイツもイタリアも空母を建造する能力など無い。それに海峡を通過するからわかる。
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情報部は発狂しそうになりながら懸命に探るが情報統制がしっかりしているのか情報が出てこない。
調査している間に、
「そういえば真珠湾攻撃は日本時間十二月八日だったはず。何故十二月九日になったのだろう?そこに鍵がありそうだ」
と誰かが言ったが無視された。
その南雲艦隊 ’ は南方作戦とインド洋作戦終了後、葛城・出羽と雲龍・青龍がドック入りして整備に入っている。協議の上である。海軍からすれば違いが無いかと探したかったのだ。赤城・加賀と飛龍・蒼龍の代わりに葛城・出羽に雲龍・青龍、過剰と思われたが仙鶴・白鶴の六隻でインド洋作戦を展開。その間に赤城・加賀と飛龍・蒼龍は整備時間が確保出来た。
南方作戦、インド洋作戦とも過剰戦力であった。だがそのため損害は少なかった。続いて行われた米豪分断作戦で重油の在庫が激減。空母多数の同一行動はしばらく無しとなった。
葛城・出羽と雲龍・青龍がドックから出ると、翔鶴・瑞鶴と仙鶴・白鶴がドック入りする。
ポートモレスビー攻略作戦はアメリカ海軍が満足に動けないためポートモレスビー占領ではなく無力化に変更され成功している。空母は翔鶴が中破の他は損害は無い。参加空母は翔鶴・瑞鶴・赤城・加賀・飛龍・蒼龍のそろい踏みであった。レキシントンとヨークタウンの二隻は抵抗するも相次いで沈んだ。
そしてアメリカからの航空機輸送が無ければオーストラリアの航空戦力は無いも同然。日本海軍は整備を終えた南雲艦隊 ’ を加えてFS作戦を展開。フィジーとサモアの基地を破壊。さらにオーストラリア各地の軍事施設を空襲。
その後アメリカ軍の撤退と中立維持を条件にオーストラリアと日本は休戦条約を結ぶ。平和条約に進めることも交渉中だ。ここに米豪分断作戦は成功した。
ラバウルとガビエン占領時の残虐行為は主犯(命令した者達)をオーストラリアに引き渡すことで決着とした。後を引きたくないというのが日本側の考えで陸軍も海軍も渋々従った。
これによりアメリカにとってますますギルバート諸島の重要性が増す。
ギルバート諸島の重要性が増したアメリカだが、空母がサラトガ・ホーネット・ワスプ・レンジャーの四隻と空母機動部隊に追随出来ないサロング・アイランドのみ。
おそらく正規空母だけで十隻近い日本海軍空母部隊と対決は難しい。
やかましい奴が一人いるが太平洋はしばらく放っておくことにした。最低でもエセックス級四隻の戦力化後でないとやられに行くようなものだ。と決めた。
そう決めた。
だがそう決めた後。2042年10月。日本海軍がダッチハーバーを空襲しに来た。アラスカとはいえ少し南下すればバンクーバーやシアトルも攻撃圏に入る。
再び、太平洋で対峙をすることになった。空母は護衛空母が続々と就役予定で、レンジャー以外を大西洋に回し、正規空母は全て太平洋に配備となった。もちろんハワイは使えないのでサンディエゴに配備される。
正規空母全てがサンディエゴに配備されたのは翌2043年3月のことだった。
日本海軍がダッチハーバーを空襲したのは、アメリカ本土攻撃能力が有ると知らしめアメリカ海軍をなんとしても中部太平洋へ誘い出したいという理由だった。しかし占領は可能でも維持不能と見て攻撃だけにとどめた。でもアメリカ海軍は出てこない。
その日本海軍は暇していた。再びインド洋でうりうりしてみたものの難敵はおらず軍港への空襲と通商破壊戦に終始。結局ベンガル湾を封鎖してしまった。その後はシンガポールを拠点にペナンを出先基地としインド洋の平穏を保つのだった。たまにアラビア海まで出張ることもある。
ドイツとイタリアはイギリスへの人員と物資の流入が減り楽になったようである。
西暦ではなくユリウス暦の世界で西暦と100年違います。




