第六章 学園祭、その後……⑫
十二
「き、昨日、屋上で寝たりしたから、風邪ひいたりしてませんか?」
「は?」
こちらを見上げ、オドオドもじもじとしながら鈴木ハルトが尋ねてくる。
明人は温度も音程も一層下がった声で、一言返した。
殆ど威嚇するような状態の明人だが、鈴木ハルトはそれでも一切引き下がる様子を見せない。両手を胸の前で握り合わせ、潤んだ瞳で明人を見上げてくる。
「熱とか……出てませんか?」
鈴木ハルトは精一杯こちらを心配しているのだろう。
その気持ちが伝わっては来ても、明人は嬉しさを感じなかった。
(知るか、そんなこと。……そう思うなら、こんな面倒なこと早く切り上げさせてくれ。一刻も早く帰って寝たいんだ、俺は。)
言えない本音を心の中で吐露しながら、こめかみをさする明人。
だいたい熱だ風邪だと言うなら、昨夜は屋上に二人でいたのだから、この鈴木ハルトだって風邪を引いていたっておかしくないのだ。
ただ、今そんなことを言って、万が一にも優しさに聞こえるような言葉を掛けるような愚を犯してしまうのが得策ではないことは明人にも分かった。それに、そんなことを言ったって、鈴木ハルトが自分は屋上では寝てないとか反論してきたりするのもいちいち面倒だった。
(……というか、待てよ。コイツ、俺が寝ている間、何してたんだ?怖っ!!)
ついでに別の恐ろしい事実も明人の中で浮上してきた。
「あ、あの!」
鈴木ハルトが話の切っ掛けを探ろうとして、口を開く。
明人は既に限界に達している頭痛に耐えるように目を閉じた。
「静かにしろ。頭に響く。」
鈴木ハルトの声はまだ少し幼さが残る分キーが高く、痛みを更に誘発する。
明人にしてみれば、声の響き的にも話の内容的にも、これ以上一言も鈴木ハルトに声を発して欲しくなかった。
ただ、そんな明人の気も知らず、鈴木ハルトは主人公由来の一生懸命さをアピールするように切実さを含んだ声を上げる。
「でも!!」
明人はもう限界だった。
「黙らないと口を塞ぐぞ。」
鈴木ハルトとの距離を一気に詰め、メガネ越しに睨むと、凍りつきそうな声で凄む。
明人の迫力に鈴木ハルトは壁際に一気に追い詰められた。
鈴木ハルトを見下ろす威圧的な明人の視線と、水嶋シュウの怒りの迫力に怯える鈴木ハルトの上目遣いの視線が間近で交錯する。
そんな緊迫した状況の中で、明人は乖離したような意識で自分自身の行動にツッコんでいた。
(どうやって?)
口を塞ぐという行為は一般的には相手の口をこちらの手で塞いだり、何か塞げそうな物を使用したりすれば塞げるだろうが、今の明人は塞げそうな物を何も持っていないし、自分の手で塞ぐのなら既に実力行使していた方が早いのにしていないということはする気がないということに他ならなかった。
脳内の腐った姉的発想を駆使したBL展開があるとすれば、それこそ唇で唇を塞ぐなどということが考えられるのかもしれないが、明人はそんなこと絶対に御免だった。
(……そんなの、姉ちゃんを狂喜乱舞させるだけだ。)
腐った姉のために、弟としてそんなサービスをするつもりはさらさらない。
さて、これからどうするか?
明人は乖離した意識の中でベストな答えを探し始めたが、さほど苦労することなくその答えは見つかる。
間近に迫った冷え冷えとした怒りを見せた水嶋シュウの迫力に耐えられず、鈴木ハルトが追い詰められた壁を背にしてずるずるとへたり込む。
明人はそのチャンスを逃すまいと、瞬時に身を翻して鈴木ハルトから距離を取った。
明人の水嶋シュウとしての瞬発力に対抗する術を持たない鈴木ハルト。どうにか追い縋ろうと必死に手を伸ばしたが、その手が掴んだのは虚空だけだった。
「俺は休む。邪魔をするな。」
その一言だけを吐き捨てるようにその場に残して、明人は鈴木ハルトが立ち上がる隙さえ与えることなくその場を後にした。
鈴木ハルトが縋るような視線で見上げていたが、メガネを冷たく光らせた明人は気に留めることはなかった。
その圧倒的な拒絶に、その場に置き去りにされた鈴木ハルトは、しばらくその場にしゃがみ込んだまま立ち上がることすら出来なかった。




