第2話 いのちの価値②
「おはよう。よく寝れた?」
宿屋の1階ロビーに行くと既にアイアンと胡菟がテーブルについていた。
机上には新聞や広告のようなものが並べてあり、宿泊者へのサービスのようだ。
2人はそれを見て兄弟を待っていたらしい。
「おかげさまで。センキュ」
紀一が軽く一礼する。何時なのか分からないが、わざわざ起こさないあたりにも配慮を感じる。──ただ時間を気にしなくなっているだけかもしれないが。
「アラ素直ね」
「お腹も空いてることでしょう。何か買って、進みながら食べましょうか」
宿を出て、出店でパンを購入するとそのまま町を出ることとなった。
曰く、【中央】と呼ばれるエリアから離れているが、あの山の近くにいるのは好ましくないらしい。
「定期的に人が来るのよ。神隊の人間ね」
「神隊?」
「簡単に言うと、神に従う公的機関ってトコ。因みに給与も待遇も良いし、強い種族で構成されてるの。つまり見つかったらとっても厄介」
「ふうん…政治家とか公務員みたいな立ち位置ってことかな」
自己解釈をしつつ真二は傾聴する。もともと真面目な性分だが、昨日より一層真剣にこの世界について確認しているようだ。
「ちなみに2人ってどれくらい強いカンジ?」
「うーん…分類で言うと私は上位、アイアンは下位種族になりますが…それも性質によって異なってくるので…」
少し気まずそうに胡菟は答える。何か理由もありそうな濁し方でもあった。
「トータル中の上くらいかしら!」
「いやヤバいじゃん!」
「上がいるじゃん!!」
ズバリと言いのけたアイアンにすかさず兄弟は切り返す。
「えっ、ちょ、つまり?二人より強い相手が来た時には…?」
「勝てない!」
兄弟の動揺虚しく、これまた一瞬でぶった切られてしまった。
こそっと紀一は真二に耳打ちをする。
「やっぱ逃げる?」
「話が違うぜ」
「コラコラコラ!お待ち」
ガシッと力強く肩を掴まれる。もはや馴染の光景になりつつある。
「安心なさい。そもそも上位種族ってそんなに数居ないわ。神隊だってほぼ中位種族だもの」
「あ…ソーナンデスカ…」
「大半の上位種族は天上に居ますから」
「天上」
胡菟が空を指差すが、つっこむ気にもなれなかった。大真面目な顔で説明するのだから、空に住めるというのは常識レベルのことなのだろう。
思えば胡菟は龍になれるわけだし、そもそも初対面時に足が地に着いていなかった。
飛んだり浮いたり出来る種族がいるのもなんとなく理解が出来てしまう。
「地上にいる間は概ね大丈夫よ」
「おおむね」
壊れたおもちゃのように反芻する真二の背中をアイアンがバンッと一喝する。
「それにアタシ達だって馬鹿じゃ無いの。勝てないと思ったら逃げるに決まってんでしょ」
「私達、逃げるのはかなり得意ですよ」
「…ああ!なるほど!その手もあるか」
格上相手に無理に戦うことはない。作戦でも危険なバッターは牽制などしていたというのに、そんな選択肢は全く浮かばなかった。会話に無意識レベルの違和感を覚えたが、不意に例えてしまった野球の情景で一瞬で消えてしまう。
「確かに胡菟さんの力を使えば問題なさそうかも」
「敬称は不要ですよ。胡菟、と呼んでください」
ニコリと微笑む。その背後で「アタシも呼び捨てでいいわよ」と野太い声が聞こえた。
「オレ達も同じように呼んでよ」
名前を教えあってから呼んだのは今が初めてで、まだ自分達の名は呼ばれていないことにも気付いた。
改めて宜しく、と意味も込めて紀一は二人の異世界人に伝えた。
「ええ、そうさせて貰うわ。…でも、シンジはともかくノリカズってあまり馴染みがない発音かもね」
「確かに…違和感がありますね。おふたりは漢字ってあったりします?」
「うん。…ちょい待って。オレ達は…こういう字」
道端に落ちていた適当な棒で自身と弟の名前を土の地面に書く。
それを見たアイアンが「…よし!」と何か思いついたようだった。
「ノリカズ、アンタのことはキイチって呼ぶわ。その方がこの世界に馴染みやすいもの」
「と、唐突…!でも昔そんな渾名で呼んできた奴もいたなあ……えぇ…」
「THE日本人みたいな名前は音馴染が無いってことかな」
今後は自分も呼び方に気を付けなければと心に留めているとこちらを見ていた胡菟と不意に目が合う。
「シンジはマジでいいですか?」
「オレも!?マジって!マジ!?ネーミングセンス!!」
「キイチだけこっちの世界の呼び方があったら寂しいでしょ。郷に入ったら郷に従いなさいな」
「マジよりは普通な気がしてきた。よろしくな、マジ」
「シンジのシンとかでいいじゃん…」
ぶつぶつと文句を唱える真二をよそに、アイアンと胡菟は次の計画について説明を始める。
四つ折りの大きい紙──地図を広げて立ち止まった。
「今居るのが大体ここら辺ね」
「おお…だいぶ東の端なんだ。さっきの町小さッ」
「やっぱ島国とかもあるんだ。でもあっちと違って、基本1枚の大陸プレートかな。…あ、でも空にもあるんだっけ…」
一晩過ごした先程の町【ロックタウン】と書かれた場所から、やや左下に進んだあたりの地名を指し直す。そこには【自由都市グラントホール】と記載があった。
「次はココ。普通に歩いて行ったら3日はかかるわ」
「ゲッ!やっぱ近く見えても遠いんだ…」
「そこはご安心ください。私が目立たない所まで皆さんを運びますので」
「やったーー!最高!」
「胡菟……さん…がいると移動で助かるってことか」
どうやらあまり女性慣れをしていない弟の方は現状の紅一点に敬称を使うことにしたらしい。
やや赤らめた頬を兄もアイアンも面白そうな目で見ていたが、視線を逸らされてしまったのでそっとしておくことにした。
「ただあまり治安の良いところでは無いので、そこは気を付けてください」
「その分いろいろ便利っちゃあ便利なんだけどね~」
「ふうん」
日本自体は治安が良かったので、どういうものかあまり想像がつかない。所謂海外のような感覚だろうか。気をつけろと言われても手持ちは無いし、むしろ着ている制服くらいしか持ち物すら無い。
軽い気持ちでキイチは相槌を打つ。
「まあヤバかったら逃げるって選択肢もあるらしいから」
「なんか逃げるってワードが凄い心強く感じてきた」
談笑する二人を傍目にアイアンと胡菟はひっそりと会話を交わす。
それこそ兄弟には聞こえないように。
「なんだか昨日より覚悟決まってるわねえ」
「少しは信頼されたのでしょうか。良かったです」
「アタシ達も大口叩いてる所はあるけど、とにかく二人を守り切ることは絶対よ」
「アイアンともあろう方が弱音ですか?私達なら大丈夫ですよ。あれから何年捕まってないと思います?」
「…そうね。アタシ達、伊達に逃げてないものね。──この数百年間」
**
【自由都市・グラントホール】
石畳で作られた地面、高らかに積まれた城壁からこれが町と都市の違いなのか、と圧巻される。
更には入国の際に門番に通行料のようなものを支払っていたので益々慄いてしまう。
だが先程までのロックタウンとの一番の違いは、活気であった。
あまり人通りはなく、露店なども疎らにあるぐらいで殆どがしっかりとした石造りの店舗を構えている様子だった。何より城壁のせいで薄暗い景観をしている。
「…わお……」
「陽が入ってこない…かびそう…」
「あー…野球少年には堪える環境だなあ」
生まれてから16年、日本から出たことも無い兄弟だがここは治安が悪いというより治安を悪くしている街並みだと感じた。
見たところ街灯もほぼ無いようなので夜は今以上だろう。
「2、3日ココを拠点にするわ」
「えぇッ!!なんでぇ」
気が滅入るような提案にキイチが異論を唱える。言葉にこそしなかったが、その横で数倍嫌悪感を露わにしている弟もいた。
「さっきも言ったけど、こういう所って動きやすいのよ。アンタ達だって知りたいこととかまだまだあるでしょう?」
「そりゃそうだけど…」
「神隊が来るような所でもないですし、この国の警備隊が居るぐらいです。あまり機能してませんけど」
そうそう、とアイアンが頷く。
「普通門番を置くような都市はもっとしっかり出入りを確認するものよ。きちんと記録もしたりね。種族は何か、犯罪歴の有無とか…ボディチェックするところもあるくらい」
「…特に何も聞かれなかったな」
「触られてもないな」
「払って済むのって本当便利」
ウフフと口角を上げながら親指と人差し指で円を作る。そのジェスチャーはこの世界でも自分達の世界と同じ意味らしい。
「クソ汚職じゃん……」
「もういや」
「これからこの都市を代表するグレーゾーンに行くんだから、そのぐらい慣れなさいな」
アイアンがそう告げると、ただでさえ暗い街並みのより暗い下層部の階段へと歩み始める。
階段を下りていくたびに生暖かい風と、何やら熱を帯び歓声が聞こえてきていた。